平成 11年 (1999) 7月28日[水] 先負

主張 自衛隊は士気モラル高めよ

【防衛白書】
 防衛庁が今年版の防衛白書を公表した。本文と資料で四百八十ページ以上、添付のCD−ROMには英語版白書、A4判五百五十枚分の条約、関係法令、政府見解、報告書といった資料集から、自衛隊演習や逃走する北朝鮮不審船などの動画まで収録され、防衛白書ができてから二十五年目という防衛庁の意気込みが感じられる力作になっている。

 こうした白書の充実は、わが国防衛の体制が整ってきたことの反映でもあるだろう。冷戦構造崩壊後の世界秩序に対応した防衛計画の大綱見直し(平成七年)、日本周辺での紛争事態にどのように対処するかを示した新たな「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」(九年九月)、さらにガイドラインを実効化する周辺事態法など関連法の成立(ことし五月)…。一方では、昨夏のテポドン事件や今年春の北朝鮮不審船事件、わが国排他的経済水域での中国調査船の度重なる調査活動など、具体的な緊迫感もある。

 しかしながら、自衛隊の前身である警察予備隊発足から数えると、来年で五十年になる防衛庁・自衛隊という組織は、長年の“コレステロール”が蓄積され、組織体に悪影響を与えている点も見逃せない。どんな組織も適度の刺激を受け続けていなければ、組織の本来目的が薄れ、組織それ自体に奉仕しようとする傾向が生まれる。組織のマンネリ化であり、防衛庁・自衛隊もまたその例外ではなかった証左が続出しているのである。

 防衛装備品の調達をめぐる不明朗な官民の関係、航空自衛隊業務隊の収賄事件、海上自衛隊幹部による海曹試験手伝い事件。護衛艦の機関砲弾隠匿・発射事件では、いかなる場合も筒先を人や物に向けてはならない、という武器取り扱いの基本すらおろそかにされていることが明るみに出て、われわれをがっかりさせた。国民のだれかを殺傷したかもしれない機関砲弾発射の重大事を隠そうと図った行動は、組織の自己奉仕化の典型であるだろう。

 安全保障への国民の関心が高まり、自衛隊という武力集団の存在感が膨らんでいるいま、われわれが求めるのは、集団のモラル、モラール(士気)の高揚であり、精強化である。

 かつて防衛白書は、経済白書に次いで白書のベストセラー第二位だったが、最近は七、八位から十位と低迷していた。今回の白書がより多くの読者を得て、それがわが国の安全保障への理解につながり、期待感がまた戦闘集団の士気に反映して、国民の財産である自衛隊の価値をさらに高めることを願わずにいられない。

主張 「敬う心」で犠牲減らそう

【高齢者の輪禍】
 さきごろ警察庁が発表したことし上半期の全国交通事故死は、昨年より三十七人、〇・九%少なくなっていた。これ自体は好ましい傾向だが、高齢者の事故死が相変わらず増え続けているのが気掛かりである。国をあげて交通安全に取り組んでいる中で、高齢者の事故死だけが減らない現状では、対策の目配りをさらに広げることを考えなければならないだろう。

 事故統計を見ると、ひところ憂慮された若者の交通事故死は、平成に入って激減しているが、他方、六十五歳以上の高齢者事故死は昭和五十年代から一貫して増え続けてきた。平成七年に大きなピークを迎えてからも、微減ないしは横ばいのカーブを描いたまま、いっこうに安全努力が結実する様子を見せていなかった。それが、ことし上半期は前年同期から四%余り急増し、悪い予感すら感じさせる。

 なかでも、交差点内の高齢者死亡事故が減らない事実は、安全対策に何らかのヒントを与えているのではなかろうか。

 本紙の山口昌子・パリ支局長によれば、日本では定年退職すれば「元会社員」となり、いかにも「用なし」的な呼称によって、存在理由まで喪失したような気分を押し付けられる。だが、フランスでは、「定年退職者」はれっきとした肩書であり、自分も周りも社会的弱者という意識があまりない。むしろ、高齢者には「国のために長年奉仕してきた」という誇りや自負すら感じられる。こうした国民的認識があるからだろうが、横断歩道をゆっくり渡るお年寄りを、オートバイに乗った若者がののしるような、非文化的な場面にはお目にかからない、のだそうだ。

 国は、道路交通環境の整備だけでも年間一兆七千億円近く(平成十年度)をつぎ込み、生涯交通安全教育も進めている。しかし、それでも高齢者の事故死が減少傾向をたどらないのは、これまでの交通安全対策を越えたさらなる施策が必要であることを示唆している。そのひとつが、高齢者を大事にする国民的コンセンサス作りである。フランスに限らず、高齢者を敬う欧州主要国の高齢者交通事故死の比率は日本の半分であることが、何よりの手掛かりになるはずである。

 交通安全対策に特効薬はない。あの手この手の施策を繰り返さなければならないが、とくに高齢者安全対策には、技術的な対策だけでなく、高齢者を社会の功労者と考えるほどの道徳性もまた国民の中に育てていかねばならないだろう。高齢者は、ただの思いやりの対象ではない。高齢者には感謝を込めたまなざしが必要なのである。