平成 11年 (1999) 8月10日[火] 仏滅

主張 未来に夢もてる国づくりを

【国旗国歌法成立】
子供には国際常識とマナーも
 日の丸を国旗、君が代を国歌とする国旗国歌法が成立した。法は「国旗は日章旗とする」「国歌は君が代とする」の二条から成り、尊重規定や義務規定はない。これによって、国民生活が明日から急に大きく変わるというものではない。しかし、慣習として定着していた「国旗=日の丸」「国歌=君が代」が改めて法律に明記されたことの意義は大きい。

 われわれとしても国旗国歌法の成立を機に、日本という国のありようや地域社会での助け合い、家族の価値(ファミリー・バリュー)などの問題について考えてみたい。国際社会に生きる日本人として、自国に誇りをもち、相手国からも尊敬され、子供たちが未来に夢をもてるような国づくりをスタートする契機としたいからだ。

《日本の伝統文化に誇りを》

 子供たちは将来、スポーツや学術などで外国と交流する機会が増える。そのときに堂々とした態度や礼儀作法、国際常識を身につけさせる教育が、こんごますます必要になる。自国の国旗、国歌だけでなく、外国の国旗、国歌にも敬意を払う態度の育成は、その中で最も大切なものの一つである。

 交換留学などで外国の子供たちと接する際は、お互いの国の歴史や文化を語り合うことがある。そのようなときに、自らの国のことや国旗、国歌について何も話せずに日本の子供たちが笑い物になっている現実があるからだ。

 日本には、世界最古の豊かな土器文明があり、古代から天皇をいただき、雅(みやび)やもののあわれ、わび、さびを愛する伝統文化をもっている。そんな日本の歴史に誇りをもち、同時に外国の歴史にも理解を示せるような素養も必要だ。日本の過去をことさら暗く描き、先祖をおとしめ、非をあげつらうような教え方は、もうやめるべきである。

 法制化の意義の一つは、これまで「法的根拠がない」という理由で日の丸、君が代に反対していた人たちが、その“論拠”を失うことである。学習指導要領は、入学式や卒業式における国旗掲揚と国歌斉唱のほか、小学校の社会科や音楽の授業での国旗、国歌の指導義務を定めている。これに、国旗国歌法が加わった。校長や教頭は自信をもって教員を指導し、教員も迷うことなく児童・生徒に日の丸・君が代の意義や由来を教えることができる。

 一部のマスコミや政党は、今回の法制化が学校での国旗、国歌の「強制」につながることを過敏なまでに恐れている。だが、国会で有馬朗人文相らが答弁したように、児童・生徒が精神的苦痛を伴うほどの長時間の指導や、口をこじあけてまで君が代を歌わせることはできようはずもない。そのような意味での「強制」はあり得ない。

 しかし、校長や教員には、学習指導要領に沿って国旗、国歌を指導する義務がある。これは法制化以前の問題である。

《先生には指導義務がある》

 もともと教育は「ある種の強制」を伴うものである。指導要領を無視し、子供たちが国旗、国歌を学ぶ機会を奪う自由までは許されていない。その意味では、校長や教員は拘束されている。従って、指導要領を逸脱した先生が相応の処分を受けるのは、やむを得ない。それを「強制」とはいわない。

 「日の丸・君が代の強制反対」を叫ぶグループは、一九四三(昭和十八)年に米連邦最高裁が下したバーネット事件の判決をしばしば持ち出す。星条旗への礼拝と宣誓を求め、それに従わない者を処分する規則を制定していたウェストバージニア州で、「エホバの証人」派の子供たちが「教義に反する」として国旗への礼拝と宣誓を拒否し、退学処分を受けた事件である。

 連邦最高裁は「個人の精神の領域を侵害する」として、州規則とそれに基づく退学処分に違憲判決を下した。だが、それは「子供を退学までさせるのは行き過ぎである」といっているのであって、国旗に忠誠を求める愛国心教育まで否定していない。米国では、先生には国旗、国歌を指導する義務があり、それが世界に共通した公教育のあり方である。

 また教育のみならず、政治も子供たちが日本の将来に夢をもてるような政策を立案し、実行に移さねばならない。今国会では国の存立に欠かせないガイドライン関連法が成立したほか、さまざまな重要法案が成立する見通しだが、まだまだいびつな戦後体制を脱したとはいえない。

 安心して暮らせる国、世界のために金だけでなく、汗もかいて敬意を払われる国づくりに邁進すれば日本の子供たちも自然な気持ちで日の丸を仰ぎ、君が代を歌うようになるだろう。そのためには、地域社会や家族の協力も欠かせない。祝日に国旗を揚げる習慣もとり戻したい。ふだんから日の丸、君が代になじめるような雰囲気づくりが大切であることは論をまたない。