平成 11年 (1999) 11月23日[火] 先勝

主張 これ以上の“混乱”回避を

【普天間問題】
 沖縄県の稲嶺恵一知事は、普天間米海兵隊航空基地の返還にともなう代替ヘリ基地を同県北部に建設することを正式に表明した。北部・名護市の海兵隊キャンプ・シュワブ沖に海上ヘリポートを造成する案が実現直前に大田昌秀前知事の反対で空中分解してから一年九カ月余り、ヘリ基地問題は、元のところに戻ってきた。

 普天間問題は、基地をめぐる日米関係のいわばノド元に刺さった骨だった。これが解決されないうちは、その他の基地問題も円滑にはかどらない。それほど大きなテーマだった。

 計画は、地元、県、国の三者とも賛成している。経済支援、軍民共用化、滑走路の建設方式、使用期限など残された問題がないではないが、よほどのことがない限り、事態はスムーズに前進するだろう。日米関係にもいい影響を与えるに違いない。稲嶺県知事の決断をまずは評価したい。しかし、基地問題がこれで終わったわけではない。むしろ終わりの始まりと考えるべきなのである。

 わが国の基地問題、なかんずく沖縄の在日米軍基地については、問題が起きるたびにほころびを繕ってその場をしのぐ繰り返しだった。平成七年九月に米海兵隊員による少女暴行事件が発生、返還はあり得ないと考えられていた普天間基地が米国の主導で返還されることになった。整理統合の面では大きな前進ではあるが、在日米軍基地の七五%までが沖縄に集まっている一極集中の弊害という観点から見れば、問題の根本的な解決とはほど遠い。

 すでに、国は在沖米軍の演習を一部本土の演習場に振り向けてはいるが、これを機会に新たな演習場を取得するなど、米軍の訓練・演習場の分散化にさらなる努力をしなければならない。それだけではない。地位協定はいまのままでいいのか、特別措置をいつまで続けていくのか−を検討し、さらには二〇一五年、二〇二〇年を見通した在日米軍と基地問題の研究にも着手してもらいたい。

 一方、沖縄県も国からの支援に頼らず、また「二〇二〇年までに基地をなくす」といった硬直した行政ではなく、県民の発展のために、基地と共存していく第三の道をも模索すべきだろう。暴行事件という不幸なできごとはあったが、一昨年、沖縄県警が検挙した飲酒運転ドライバーは一万四千七百人、うち、米兵らの外国人はわずか六人だった。共存しつつ基地の整理統合、縮小を進めていくのが現実的なやりかたではなかろうか。そして、首長リコールなどで新たな混乱を生み出さないよう望みたい。