東京都立高校の学区制緩和が都教育委員会できょう、正式決定される。名門進学校の復活などという文脈で取りざたされがちだが、都立高校全体の活性化に目的があるということを忘れないようにしたい。
都立高校には、大学入試センター試験の自分の専門教科で、今年どんな問題が出たか知らない教師がいるという。都立高校に子どもを進ませたものの、在学中に進学指導は一切してもらえなかったという経験は多くの父母に共通する。
今から三十数年前、都教育庁は「入試準備教育の是正について」と題する通達で、「入試を目的とする教育は行わない」と明言した。こうした方針のもとで、受験生が自分では高校を選べない学校群制度などが導入されることになる。
都立高の沈滞はこの時に始まったと言える。その後、制度は少しずつ改善されて来たものの、当時の考え方が今も根強く都立高校のあり方に有形無形の影を落としているのは間違いない。
いま私たちの社会が目指している教育改革の基本的な精神は、子ども一人ひとりが能力や関心に応じた教育を受け、個性を磨くという点にある。石原都知事の言葉を借りれば「保護者や子弟が人生観によって選択できる教育」ということになる。
その意味では、大学進学希望者がいればそれに応じた指導をするのは当然だ。現在の眠ったような状態から一日も早く目覚めて、生徒の求めにきちんとこたえる態勢の整備を急がなければならない。
学区制が緩和されれば、生徒が集まる学校と人気のない学校は判然とする。都立高校間に競争意識がわき、そうした改善を強く各高校に迫ることになろう。
学区制はそもそも「教育機会の均等」を確保するために導入された。しかし、交通網が発達した現在では大きく事情が異なってきている。むしろ、通学手段を含め、選択肢をどれほど豊かにするかが機会均等に欠かせない条件と言ってもいい。
都心のある都立高校では、都の方針転換を受けて、多摩地区や周辺区の全中学校あてにダイレクトメールを送ったという。学校の教育方針を示し、それに見合う優秀な生徒を受験させてほしいという内容だ。
是非はともかく、こうした一種の経営感覚もこれからは大切になってこよう。各学校は特色を強く打ち出して、それをアピールする方法を考えなければならない。
都立高の活性化が進学実績という一つの物差しで測れるものでないことは言うまでもない。ほぼ全員が高校に進学する今日、高校へは多様なニーズがある。国際化、情報化、芸術、体育などあらゆる求めに対応する都立高再編は急務だ。
学区制緩和は、どんな生徒を集めるかという入り口の論議に過ぎない。その生徒をどう伸ばして行くかが教育の本質だ。
知識の詰め込みで通用する大学入試は排除していくべきで、そんな入試で挙げた実績はおそらく二十一世紀の日本では価値を持たない。そこを見越した教育こそが今求められていることも思い起こしたい。
(7月21日23:47)
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