◆9月9日付・読売社説(1)

 ◇余りにも理不尽な通り魔殺人◇

 「相手はだれでもよかった」「だれでも殺してやろうと思った」

 東京・池袋の繁華街で白昼、通りがかりの八人に、刃物や金づちで次々と襲いかかり、女性二人を死なせ、六人に重軽傷を負わせた造田博容疑者(23)は逮捕後の調べに、そう供述した。

 動機は「仕事がなくなり、むしゃくしゃしていた」ためだったという。

 余りにも身勝手な犯行だ。

 現場は、池袋駅東口から超高層ビル、サンシャイン60に通じる「60階通り」と呼ばれる目抜き通り。昼食時でごった返す雑踏の中で、被害者たちは何が何だか分からないままに刺され、死亡したり負傷した。

 まさにいわれのない被害である。

 警察庁によると、こうした通り魔殺人や殺人未遂事件は、過去十年間に全国で五十件発生し十六人の尊い命が奪われている。痛ましいかぎりだ。

 その被害者の多くは、子供やお年寄り、さらには女性といった「弱者」だ。

 容疑者らは一様に「だれでもよかった」と言うが、その実、もっぱら「弱者」をねらった陰湿で卑劣な犯行だ。

 犯罪は社会を映す鏡だといわれる。

 確かに、近年の犯罪は、以前に比べ凶悪化、粗暴化、陰湿化してきている。

 豊かさの反面で、長引く景気低迷と失業率の増大を背景として指摘する声がある。事実はどうあれ、造田容疑者も職を失ったことを犯行の動機に挙げている。

 また、地域社会のつながりの薄さが、防犯意識や犯罪抑止機能の低下を招いているとの分析もある。その結果、青少年を中心に、社会全体に「規範意識」が希薄になっているというのだ。

 さらには、家庭や学校の教育機能の低下も見逃せない。

 他人への思いやりや他人の痛みに対する想像力の欠如が広がってはいないか。

 昨年の毒物混入事件の連鎖や今回の事件に見られるように、不特定多数の人を対象にした犯罪の多発はそうした表れだ。

 自分と関係ない人々に対する極端な「冷淡さ」と言ってもいいだろう。

 電車の床に平気で座り込む、大声で携帯電話をかける。「他人の目」や迷惑を意に介さない傍若無人な少年、少女たち。

 大人の中にも、そうした人は決して少なくない。

 造田容疑者は、高校を中退した後、職業を転々としており、会社に勤めてもせいぜい一年余りしか続かない。直前まで働いていた新聞販売店でも、四か月余り勤務したところで、突然、無断欠勤してそのまま行方がわからなくなったという。

 今回の犯行はあくまで個人の問題だが、「辛抱」や「我慢」といった訓練ができていない今日的な若者像を感じる。

 「むしゃくしゃした」こととこれだけの重大犯罪との間には飛躍があり過ぎるが、これもまた今日的犯罪の特徴だ。

 身勝手で理不尽な犯行――。

 憤りと同時に、社会の有り様も問われているような気がしてならない。

(9月9日9:00) Copyright 1999 The Yomiuri Shimbun