野球のプロ・アマ合同チームがシドニー五輪への切符を獲得した。苦しい闘いぶりだったため、本番ではプロ選手の増強を求める声が強いが、勝負だけにこだわる姿勢は五輪の精神に反しないだろうか。
野球のプロ選手参加はシドニー大会で初めて認められた。背景には、国際オリンピック委員会(IOC)が他の競技でも一貫して進めるビジネス戦略がある。
今や五輪の最大の収入源はテレビの放映権料だ。世界からスター選手を集め、レベルの高いゲームを見せれば、テレビソフトとしての商品価値が上がる。
IOCのそんなしたたかな計算から野球のプロ参加も始まったのである。現在の五輪にはびこる商業主義に、まず冷めた目を向けなければならない。
アジア地区では韓国、台湾が最初にプロ選手中心の五輪チームを作った。予選突破さえ難しくなったというアマ球界の要請があり、日本の合同チーム結成となった。
予選は確かにプロ選手の活躍があって突破できたと言える。特に台湾戦はプロとアマが一体となって劇的な勝利を手にし、大いに盛り上がった。
こうした雰囲気を受けて、本大会ではもっと多くのスター選手の活躍を見たいという声が出てきたが、現実には様々な障害もある。何より、本大会のある九月の三週間と言えば、優勝争いがかかるペナントレースの終盤にあたる。
そんな事情もおかまいなしに、日本のために日の丸のためにという大合唱は、軽薄なナショナリズムをあおるだけだ。
アマチュアリズムと平和主義、国際協調主義という五輪運動の原点を思い起こしたい。とどまるところを知らない商業主義と国威をかけたかのような勝利至上主義はこの精神に著しく反すると言っていい。
ちなみに、米国の大リーグは予選に選手を出さなかった。本大会にも派遣しない方針と伝えられる。予選決勝ではキューバに敗れたが、国民からも大リーガーを出すべきという声は出ていないそうだ。
プロ野球の長い歴史が、五輪は五輪、大リーグは大リーグという冷静な見方をさせているようだ。関係者は、将来構想として五輪への参加ではなく、野球独自のワールド・カップを描いているという。
国際サッカー連盟も、五輪出場選手には年齢制限を設け、各国の最高レベルの選手による試合はワールド・カップで見せるという姿勢を貫いている。
五輪が世界最大のスポーツイベントであるのは間違いない。しかし、だからと言って、そこにすべてのスポーツが犠牲を払ってまで集う必要はない。多様な選択肢をそれぞれに楽しむ。それが、多くのスポーツファンの望む姿ではないだろうか。
五輪出場というアマ選手のこれまでの目標は、強さだけを追求していけばやがてプロ選手に奪われてしまう。夢がなくなれば既に始まっている日本のアマ球界の衰退に一層の拍車がかかることになろう。
勝ちにこだわることで、失うものも少なくない。そこにも目を向けたい。
(9月23日21:47)
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