| 一瞬の出来事であった。 でも確かに見た。 一条の光が東の空を横切るのを。 その姿は私が想像していたのとは違っていたが、 無空間の中から突如現れて消え去った軌跡は 私の脳裏に遥かなる宇宙への憧れとともに 確かな刻印を残した。 「しし座流星群」は毎年11月中旬過ぎに数日間にわたり観測される。 テンペル・タットル彗星を母彗星とするこの流星群は母彗星が 回帰する年を中心に大出現すると云われている。 およそ33年周期といわれ、前回は1965年であった。 その時は日本でも1時間あたり300個を数えたという。 私の少年時代に話はさかのぼるが、私は小学生の頃、天体望遠鏡を持っていた。 その頃の記憶は定かではないが、「しし座流星群」の記憶がないことから、ひょっとしたら「しし座流星群」の後に天体観測ブームが起こり、両親に天体望遠鏡をねだったのかもしれない。 時期的には丁度一致する。 当時は今と違い、夜になると建物の灯りもなく、きれいな星空を仰ぐことが出来た。 家の前の空き地に望遠鏡を設置し、毎晩のように星を眺めていたものだ。 星のある生活。 この自然で当たり前のことがいつの間にか特別なものになってしまったのは環境が変化したせいであろうか? それとも大人になり日々の生活の中に埋没してしまい、心のゆとりを失ってしまったせいであろうか? なるほど科学文明の発展が人類を幸福に導くことは、今日私達が手にしている便利な生活環境をみても否めないが、その反面環境汚染問題をはじめ犠牲にしてきた部分は決して少なくない。 最近のエコロジーブームに象徴されるように人類の生存のために如何なる環境が必要なのかを生態学的に模索し続けている風潮もそれを物語っていると云えるだろう。 自然に優る美しさはない。 元来、人には美を認識する能力が備わっている。 人にとって星空を眺めることは単なる存在認識にとどまらず、 そこに美的対象としての価値を付与しているに等しい。 それは他の動物にはない特異な能力といえよう。 話は飛躍してしまったが、今回の天体ショーは私達が忘れかけていた“星を眺める”という有史以来最も単純で基本的な行為を思い出させてくれた。 果たして次回33年後にはどのような環境のもとで「しし座流星群」を迎えることができるのであろうか? 11/18/1998 |