t_kuriの生活日記
1998年8月29日から2ヶ月間入院しました。
その闘病日記を随時掲載します。
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1998年10月30日(金)

63日間の入院生活を終わる。
入院生活を振り返ってみると、「1日は長いけれど、日にちが経つのはやい。」の一言につきる。
あまりよくない患者だったように思う。
日にちは、記録していないが、アマチュア無線機を病室においていた。N婦長がやってきて。
「t_kuriさん、これ携帯電話じゃないですか。携帯電話は病室内使用禁止ですよ。」
「これ、アマチュア無線機なんです。」
「これで、電話機の盗聴するんじゃないんですか。」
それにしても、看護婦さんは走っているのか、歩いているのかわからないほどよく働いている。
ドクターも、夜遅くまでいる。看護助手の方は、休憩する時間があるのかと思うほど働いている。
本当にみんなよく働いていると思う。そんな皆さんのおかげで、退院できたのだと思う。
皆さんありがとう。こんな不良患者にも親切にしていただき。



1998年10月25日(日)

10月23日から外泊をしていた。
今日病院に帰る日であり、久しぶりに外食しようと、最近御坊市に出来たガストにゆく。
待つこと1時間、オーダーし終わり話し込んでいると、ガチャンと音がした。ウェイトレスが食器を床に落としたのだ。
水から食べた後のスープなどが私のズボンにかかった。ウェイトレスがすみませんとべたべたに濡れた布巾を出してきて、ズボンを拭こうとする。
「乾いた布巾持ってきて」というと、ゆっくりと歩いて布巾を取りに行った。持ってきた布巾はやはり濡れて、べたべたした布巾だった。
ムカっとしたが、家族もいることだし我慢した。オーダーしてから待つこと1時間、やっときたが、その不味さ。2度と行くまいと思った。
病院に帰って体重を量ってみると、75kgあった。4日前は72.5kgだったのに、2.5kg増えている。



1998年10月21日(水)

栄養相談を受けるが、とにかく飯食うな。油料理食べるな。体重落とせ。の一点張りである。
あまりのことに頭にきて、「体重おとさなダメなのはわかっている。しかし子供もいるので、僕だけの料理をするのは無理である。」と言う。
体重72.5kgとなり、今までのうち最低の体重となる。



1998年10月17日(土)

個室から大部屋(元の部屋に)に



1998年10月16日(金)

リカバリー室から個室へ。



1998年10月15日(木)

朝、太股のところの動脈に入れっぱなしにしていた。管をはずす。
相変わらず腰が痛く、嫁さん、看護婦にぶつぶつとヨマイを言う。某ジャイアンツのK投手みたい。
PM1:00 ようやく寝返りを打ってもよいとの許可がでる。PM3時には歩行可能となる。後2時間の辛抱である。
PM3:00急に腹痛がおきる。ちょうどこの時間で歩行可能となるために、歩いてトイレに入る。もちろん点滴をつないだままである。
フッとした瞬間、悪寒が走り、尻を拭きかねてベッドの上に転がり込む。看護婦が急にあわてだした。
ドカドカ多数の看護婦がリカバリー室に入り、血圧、体温、心電図等を測定する。
このことにより、自由になる時間が延びた。



1998年10月14日(水)

昼食ぬき。狭くなった血管を広げる手術(経皮経管動脈形成術)通称、風船を行うべく、PM1:30手術室に入る。
PM2:30無事終了し、リカバリー室(看護婦詰め所の隣の部屋)に入る。これから24時間天井を見たまま過ごさなければならい。
もちろん、チン○に管を通している。夕食抜き腹が減る。今日1食しか食べなくても、1日分の食費760円である。
PM8:OOごろ腰が痛くなってくる。
「こんなに、腰が痛いのなら手術しなければよかった。」とT看護婦にヨマイを行ったところ。
「私だったら、ようせん」
と言うではないか。これどういう意味、しばらく沈黙するが、言葉の重大性に気がついたか。
「変な意味にとらないでよ。私恐がりいやさかい、ようせんといったんや。」
看護婦が恐がりってあるんですか。・・・・・・・



1998年10月13日(火)

院長回診、院長に直訴をする。
「入院での楽しみは、食事である。僕の最初入院したときに、看護婦さんとか栄養士にこの食べ物は、嫌いで食べられない。と訴えているのに嫌いなおかずがたびた出される。これはどうしてか。」
「もっともな話である。婦長、調理室に伝えなさい。」
といい、院長は出ていった。しばらくしてN婦長があわてて入ってきた。
「t_kuriさん、入院してすぐに嫌いな食べ物を聞いたのは、アレルギーとかあったら悪いので聞いたのです。それに、入院患者からいちいち希望を聞いた食事など出せるはずが無いじゃないですか。」
「でも、入院患者は、糖尿とか色々障害のある人それぞれに合わせた食事をしているのではないですか。」
「でも、出来ないものは出来ないのです。」
「院長は、調理室に言うようにおっしゃっていましたが。」
「話は変わりますが、これなんですか。ビデオじゃないですか。こんなのに許可出していませんよ。入院生活に必要なものじゃありません。」
「・・・・・」
病死の外は庭になっており、出入りは自由で中庭にベンチがおいてあった。
そのベンチに腰をかけ、するめイカをパクついていた。
そのとき・・・主治医が不意に姿を現し。
「t_kuriさん、するめイカなど食べてはいけません。絶対にいけません。」
とものすごい剣幕で怒るのです。
再び、チン○付近の毛を剃る。
再び風とおしがよくなる。
今日は今までの入院生活のうち、最悪の一日となる。



1998年10月8日(木)

心臓カテーテル検査の結果説明を受ける。
冠状動脈の一カ所がものの見事に、狭くなっていた。ここが詰まったのだろう説明を受けた。
この狭くなった血管を広げる手術を受けることにする。
別の冠状動脈は、動脈硬化をおこしており、ぼこぼこになっていた。ショックを受ける。


1998年10月7日(水)

AM9:30,心臓カテーテル検査のために、手術室に入る。
Am10:30,手術室よりでる。これより6時間絶対安静。上を向いたまま、ピクリとも動かず天井を見たままで過ごす。
AM12:00,昼食・・・食べさしてもらう。
PM2:00,腰が痛くて、腰が痛くて、嫁さんにヨマイばかりをいう。
PM4:00,寝返りをしてもよいとの許可がでる。腰痛から解放される万歳。

* 心臓カテーテル検査・・・・・太股のところの動脈から、心臓に細い管(カテーテル)を通して造影剤を入れ、心臓を動かす血管(冠状動脈)のようすを調べる検査。



1998年10月6日(火)

心臓カテーテル検査のため、チン○の毛を剃り、生まれたままの姿になる。
股間がスースーし、パンツの中の風とおしがよくなる。
僕のチン○は、こんなに大きかったのかと感心する。



1998年10月5日(月)

病院近くの郵便局に、「筆まめVer9」のバージョンアップの振り込みを行う。
N病棟婦長が突然病室に現れた。
「t_kuriさん、扇風機の使用許可申請出していただきました。まだですよね。」
「それと、そのパソコン何に使うのですか。」
「ゲームとか、日記とかです。」
「電気を使うものは使用許可申請を出し、電気料を払って下さい。でもパソコンは使用許可申請を出しても、許可できません。」
「パソコンは、療養生活に必要なものではありませんから。わかりましたね。」
と強い口調で申す。
「でも、戦線には使ってよいとのことですし。それに、これバッテリで動いているんです。」
「先生は病棟のことはなにも知らないんです。バッテリでは使ってもいいですが、充電は出来ません。いいですね。」
「はい・・・・・」とションボリ
バッテリで、パソコン使えるはずが無いですか。充電バッテリで約30分しか持たないのですよ。
知り合いのpolicemanが入院する。



1998年10月3日(土)

初めての外泊をする。
夜、近所の友達からTEL
「これか行くから、Lotus教えて」
早速彼は、ラップパソコンをもってやって来た。そうなんです、彼のパソコンは、HDなし、FDDのみ、10年ぐらい前のNECのPCなんです。
どうも、FDが壊れているみたいなので、我が愛機EpsonPC−386Mを動かし、FDの修復を試みてみるが・・・・・我が愛機のFDDがいかれている。他のFDを動かしてみると、そのFDも壊れた。最悪のパターンである。結局彼が帰ったのは、夜の11時を回っていた。これでは心臓にいいわけがない。
私のパソコン暦は、初代シャープポケコン(機種は忘れた)から始まり、NECPC−8801mkU、EpsonPC−286LE、EpsonPC−386Mと遍歴を繰り返し、現在はシャープMebius,MNー6350Dを使用している。
MNー6350Dを購入してすぐに、MMXPentiumが発売された。そう何日もたたない内に、ショックを受けた。HDは、のこり80M、メモリは、48Mに増設したが、よくフリーズする。
「ああ・・・新しいパソコンが欲しいな。しかし、嫁さんにこれが最後やで」と釘をさされている私にとっては、難しい。もう少し我慢して宝くじに賭けようと思うこのごろ。



1998年9月22日(火)

台風7号が、国立病院の所在地の近く(御坊市)に上陸する。
御坊市は、ものすごい風のようだが、この病院は松林に囲まれているために、あまり風の影響はないようだ。
しかし、午後1時頃より停電になる。非常電源に切り替わらないのか、業者と思わしき人々が、発電器を何台も持ち込んでいた。
この発電器の騒音がひどい、とても療養にならないが、病院内に発電器を持ち込むのを始めてみた。



1998年9月18日(金)



1998年9月16日(水)



1998年9月10日(木)

病院より、入院中の請求書が届く。さすが太っ腹国立病院、個室料がいらなかった。
レストランに食事に行くと、狐うどんと、サーロインステーキでは値段が違うが、おも湯でも、五分がゆでも、ご飯でも値段は同じである。
病院の食事代は1日760円である。しかも、1日一食食べても、三食食べても760円である。
何でこんなこと訴えるかって。そりゃ病院生活での楽しみは食べることだけなのに、初日からしばらくは、おも湯、2分粥、3分粥であった。
悪いのは、心臓で、胃腸はきわめて丈夫だったのに。



1998年9月9日(水)



1998年9月7日(月)



1998年9月3日(木)

8月30日より便秘のため9月2日夜、目薬みたいな容器に入った下剤を飲む。・・・・目薬のように、猪口に4−5滴入れ5ccほどのお茶とまでて飲みほす。
それは、朝7時40分腹痛から始まった。「ピーゴロゴロ」と腹部から聞こえ不吉な予感が始まった。
ナースコール・・・間に合った。そうなんです。まだベッドより起きあがることが出来ず、ベッドの上で大便をしなくてはならないのです。初めての経験なんです。
しかし、腹はゴロゴロ鳴るばかり、最初が詰まっているのです。看護婦は、「力まないで、力むと心臓に負担がかかるから良くないですよ。」とのたまう。
腹は痛し、出ないしどうしよう。少しだけ、少しだけ力もう。ウーン出た。ナースコール・・「出ました。」、便器を引き取ってもらって、ホット人息していると・・・。
腹痛が始まったのです。ナースコール押すが、出ないんです。看護婦さんが。そうなんです夜勤明けのために、看護婦さんは2人しかいなく、しかも朝は、配膳や検温などで超多忙で呼んでも出ないんです。
どうしよう、どうしよう、脂汗たらたら、「はやくきてー」と叫びながらお尻に力を入れ、根性で我慢する。こんなこと心臓にいいわけないじゃないですか。
セーフ、間に合った。間一髪、看護婦が病室にきた。
「どうしたん、汗いっぱい出ているよ。」
「看護婦さん、速く速く便器を持ってきて、出そうなんです。」
すると、看護婦は、ベッドの上にされては大変とあわてて飛び出していった。セーフ・・・・



1998年8月31日(月)



1998年8月30日(日)

1998年8月29日(土)



心筋梗塞とは、心臓を動かす動脈が心臓の周りに、3本あります。これを冠状動脈といい、その冠状動脈がつまり、詰まった先から血液が行かなくなり、壊死してしまう病気です。
気分転換に、タバコを吸ったのですが、タバコを吸うと血管が収縮し、血液の流れが悪くなるそうです。心筋梗塞、タバコの害については、入院当時わかりませんでした。


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