女流講談師・神田紫先生 高谷真理一代記 総括編
バン。バン。
皆様おはようございます。只今ご紹介いただきました、女流講談師の神田紫と申します。昔から七色の虹は、夢の架け橋だと申します。その虹の一番内側に、控えめに、慎ましく出るのが紫。ご存じお醤油も紫。源氏物語も紫。ウニも紫、風呂敷も紫、ブドウも紫、私は神田紫、よろしくおつき合いの程お願い申し上げます。
 声ちゃんと後ろの方まで届いておりますでしょうか。あ、大丈夫ですか。はい。ありがとうどざいます。
 それでは、さっそく「谷真理一代記」
 時は正に昭和50年4月、谷真理は、三鷹市議会議員選挙に初当選。当時35歳でございました。父谷太郎は、戦後第1回の選挙に立候補するも。連続3回落選。しかし人生七転び八起きと申しまして、その後みごとに連続4回当選。その父太郎の後を受けて真理は、市議会へと進みました。しかし、その父も、2期目の選挙を3ヶ月後に控えた、昭和54年1月4日、他界したのでございます。まだまだ父から学ぶべきところが沢山あった。あれも聞いておきたかった。これも話しておきたかった。亡くしてみて初めて解るその大切さ、支えを失ったショックは隠しきれず心細い思いで選挙を戦いましたが、きっと父が天国で見守ってくれたんでしょう、2期目も見事当選。ところがほっとする間もなく、あくる年、昭和55年3月、父太郎の後を追うように、母とみ子もあの世へと旅立ちます。親孝行、しないうちに親はなく、親孝行、したくないのに親がいると。まあ申しますけれど、世間では。なかなかうまくいくものではありません。これから親孝行して安心させてあげられると思った矢先に立て続けに両親を亡くした真理は、痛恨の念は今も絶ち難く、子供のためにも長生きをしなければと思う谷真理ですが、いや、私たち市民のためにも健康に気をつけて働いていただきたいと存じます。

 その後、58年、62年と当選を果たし、総務、建設、文教の各常任委員長、市議会副議長、三鷹市監査委員などの職をつとめます。ここで、真理の行ってきた、市議会議員としての仕事はと言いますと、先ず第1に、昭和57年3月、三鷹市非核平和都市宣言。この宣言が議決されるときの会派幹事長を努めておりまして、谷真理の存在がなければ、これは議決に持ち込めなかったものでございます。
 第2に、中国残留孤児の親探しです。
テレビをご覧になった方も多いでしょうが、中国帰国者の会の訪中団に参加し、ハルビンで残留婦人や、孤児と会って実情を視察いたしました。すると、それらの人々は、口々に、「今すぐ、日本に帰りたいのはやまやまですが、子供達は大学に行っているし、夫もこちらで重要な仕事に就いております。私たち、それなりの生活をしているんです」「こちらではこちらの生活があるし、日本に帰りたくても、すぐ帰ると言う訳にはいかない事情が沢山あります。しかし谷さん、今帰らなければ、日本政府は、私たちを見捨てしまって、二度と日本に帰れないのではなのでしょうか。」こう相談を受け、真理は、はたと考え込んでしまいました。「確かに、彼らの言うとうり、無事帰国できたとしても、言葉の問題、働く場所、住むところ、その他、様々、困難な問題があるのが現実だ。日本にいたってそうだ。北海道の男性と九州の女性が結婚しても、毎日の生活があるから、お互いの実家を訪れることはままならない」真理は、不安な面もちの彼らに向かって言いました。「皆さんの素直なお気持ちも、それぞれの事情もよく分かりました。兎に角、国境のない、お互いに自由に行き来できる日中関係、友好を深めましょう」こう答えるのがせいいっはいでありました。しかし、即実行主義の真理は、帰国後すぐに、市議会本会議で、中国帰国者問題について質問し、当時の坂本貞雄市長の「人道的立場で考える」と言う本会議答弁をもらい、全国の自治体に先駆けて、翌年、昭和60年5月、予算措置を講じてついに<ばん>日本語学校開設を実現したのでございます。そしてもう一方では、帰国者の会の方達の努力のお陰で、ハルビンにも、帰国前の日本語学習と日本の事情を理解する為の日本語訓練センタ−を設立する事が出来ました。ここでは勿論中国人の方も勉強をしていらっしゃいます。その昔、五族共和、大東亜共栄圏の掛け声もと国策として大陸侵略が展開された結果、今なお異国の地に放置されている同胞がどれだけ多くいることでしょうか。本当の故郷、我が故郷日本に帰りたい。日本で暮らしたいと、夢にまで見た日本に、やっと帰ってきても、希望する職に就けなかったり、様々な問題で、苦しい生活を余儀なくされてる、中国帰国者にとって、谷真理は、とても頼りになる、心の支えなのでございます。
 そして、第3番目に、環境問題での取り組み、いろいろどざいますが、その一つに、通水が絶たれ、ゴミ捨て場と化していた玉川上水に水を流すことを主張、これは、多摩川上流処理場の高度処理水の利用ではありますが、無事通水を実現させました。
 第4番目に、地域の商業を守る立場から三井中研跡地への大型店出店計画を中止させるなどなど、常に市民の立場、弱い者の立場に立った、活動、実行力は、多くの市民の間で、高く評価されているのでございます。

ところで、そもそも真理が政治に関わるきっかけとなりましたのは、中央大学法学部法律学科に入学した頃、丁度60年安保闘争があり、この時代の多くの若者と同様に、闘争に加わり、安保から、新島闘争など学生運動に参加、やがて政治の道に足を踏み入れることとなったのでございます。安保から、新島ミサイル射爆場建設反対闘争にも参加。その為新島に暫く留まっているうちに、「くさや」と島自慢。芋焼酎の味もしっかりと覚えました。芋焼酎を飲みながら、仲間、東京へ帰ったら、絶対に、社会主義青年同盟を創ろうと相談。「お−、これからの日本には、若者の感性が必要だと激議論を交わしたものでした。そしてついにそれが実現。東京にもどった真理は、武蔵野・三鷹社会主義青年同盟を組織しその委員長となったのでございます。それと同時に、社会党東京都本部の武蔵野・三鷹地区担当オルグとして、後の中央線革新ベルトライン、多摩地区での革新市長誕生の原動力ともなりました。
 それらの方々は、武蔵野の後藤喜八郎市長、藤本政信市長、本日ご出席いただいております、三鷹の坂本貞雄市長、昭島の皿島忍市長、ご出席有り難うございます。そして、保谷の戸丸市長、田無の木部市長、小金井の永利市長、日野の森田市長、町田の福祉の大下市長、そして、今は故人となられたが、調布の本多、田無の指田市長、以上の方々です。これらの市長選挙の時には必ず谷真理は、あちらにいたかと思えば又こちら、汗水垂らして骨身を惜しまず、走り回ったのでございます。それですから今でも当時の市長さん方が、陰になり日向になりして、谷真理を叱咤激励、応援をして下さっているのです。
 一方、社会党の専従になったとは言っても、それだけでは、はっきり言って食べられませんでした。そこでタクシ−の運転手をしたり、行政書士の仕事をしたりと、体の忙しさと努力は人の二倍三倍は当たり前。<ばん>でもそのお陰で、普通に働く人々の生活、すなわち、市民の生活の悩みや苦労が、自分の体験を通して手に取るように分かるのでございます。
 やがて、昭和50年4月、三鷹市議会議員選挙に初当選。こうして市民の見方となった谷真理は、もっともっと幅広い地域の皆様のお役に立ちたい、働きたいと、いよいよ、都議会議議員に立候補。平成元年、みごと初当選を果たします。この時真理49歳。そして、公営企業委員長、厚生文教・警務消防の各副委員長、また、所属する会派の幹事長代行、政務調査会長を歴任。そして現在は、経済・港湾委員会副委員長ならびに民主党都議団代表として活躍しているのでございます。

 ところで、今までこれだけのことを成し遂げてきた谷真理とは、一体どういう人物なのか、幼い頃はどういう子供だったのでしょうか。
 時は正に1940年、昭和の15年と言えば、今世紀、30年から40年代にかけては、ヨ−ロッパ、アジア、アフリカ、オセアニアの20億の人々、当時の世界の人口の4/5をを巻き込む、反ファッシズム、帝国主義闘争の坩堝と化し、私たち日本も、不幸なことに、帝国主義列強の側に立ち、5族共和、大東亜共栄圏を唱え、中国を侵略する、太平洋戦争に突入する前夜でございました。

そんな、昭和15年1月15日。真理は、東京都昭和町田中、現在の昭島市、母の実家で、父太郎、母とみ子、の長男として誕生しました。それはそれは、何とも愛くるしい可愛いいボ−ヤでした。<バん>今からご想像いただけますでしょうか。<ばん>。しかし父は男の子と聞いて一瞬がっくりしました。と申しますのは、その頃は今と違って赤ん坊の性別など分からない時代ですから、女の子が欲しかった父は、初めは女と信じ切っておりましたので赤ん坊が生まれたら、真実の眞で、理想の理で、マリと名付けようと心に決めておりましたのでございます。そこで生まれたのがこういう男の子だったもんですから、一瞬がっかりしたというものでした。すぐに父は思い直し、いやいや、次には男の子が欲しいと思っていたから、まあ、先に出て来たと思えば同じことだ。それよりも五体満足で生まれてきたのだから、まあ、先ずはともあれ、良かった良かった。しかし女の子とばかり思っていたので、男の子用には名前を用意しておりませんでした。改めて名前を考えるのもちょっと面倒だなと思いまして、大変な親でございますがそのまま同じ名前で、読みをしんりとして名付けます。そして次に子供が出来たと聞いたときには、今度はきっと女の子と思い、用意した名前が不羈。しかし、二番目も男の子でした。え−い。新しく考えるのも面倒だ次男の名前もそのまま不羈。又子供がと聞いて、、今度こそ絶対女の子と思って用意した名前が悠。しかし又男の子です。え−、面倒とまたも名前はそのまま。そこでお父さんは考えました。女の子とばかり思って女の名前を用意しておいたら全部男の子。そ−だ。今度赤ん坊ができたと聞いた時は、男の名前を用意しておこう。そうすれば大丈夫。待望の女の子が産まれてくるに違いない。よう−し。こう考えて、次に用意したのが、カネ片の岡。鉄鋼所の鋼と書いて鋼。何と男らしい逞しい名前ではありませんか。こうして生まれたのが、その名のとおりの男の子だったのでございます。
 まあ、お父さんの嘆きは、いや、いや複雑な心境たるやいかばかりだったでしょうか。
こうして父の期待を見事に裏切り続けた谷4兄弟は、その後、長男の眞理を筆頭に、優秀な人物へと、それぞれ成長していったのでございます。

 さて、真理が5歳の頃、春から夏にかけて一人で青森の知り合いのところへ疎開させられます。しかし、村の子供達と遊んで居りましても、よそ者はいじめの的にされる。昔からいじめというのは沢山あったのですね−。悪いことがあれば、全て真理のせいにされたり、誤解されて大人から怒られることもしばしばでした、そんな具合ですから、たった一人で、畑の中に小鳥の巣を見つけては、ぼ−っと一日、卵を見続けていたものでございます。今でも、大自然に親しんでいる時が一番好きと言う、この感性は、この頃培われたのでしょう。
 こうして、やっと青森から帰ってきた時、夕食時、両親や弟たちが食卓を囲んで居りますと、真理だけが一人6畳間の片隅に正座しております。これを見た母は、「アラマ−、お行儀の良いこと。でも、なんだか家の子じゃあないみたいね。サ−、サ−いいから早くこっちへいらっしゃい」とからかいながらも、内心では「疎開先で、よほど辛い思いをしてきたのだろうな−」と不憫に思えてなりませんでした。
 そんな真理も、中学から高校時代にかけては、昆虫採集に熱中。大好きな自然の中で駆け回っていたのでございます。そしてやがて中央大学進学と同時に、、

 ところで、都議会ではどんな活動をしてきたか。振り返ってみますと、。
 先ず、オリヂナルな活動は、
 初めて都議会議員に当選した頃、第一に、二枚橋焼却場の野川公園への移転阻止。   1年間の論争の末、改めて、本会議で鈴木知事の答弁を「地元自治体と協議をし」と修正させ、本日会場にご出席頂いております、安田養次郎現三鷹市長などの協力もあり、移転中止の持ち込む。
 その2.玉川上水の歴史環境保全地区指定の実現について。谷真理の公約の一つでございます。玉川上水の史跡指定の件ですが、真理は、平成7年、鈴木知事最後の予算委員会で、平成10年の東京近代水道100周年までに史跡指定をと、期限を切って鈴木知事に迫り、約束を取り付けました。そして、全庁挙げて準備に取りかかろうとした矢先、玉川上水敷きの所有者が不明と分かり、当面の史跡指定は暗礁に乗り上げた形となりました。が、しかし、歴史的に非常に価値のある玉川上水です。そこで、平成8年6月の本会議で、当面の史跡指定は、困難でも、何とかそれに準じる管理をし、保全するために、平成10年には、歴史環境保全地区指定を約束させ、東京都は現在、今その作業を進めております。
 まあ。その他のことはもう皆様もうよくご存じでございます。
すれは、社会福祉法人での預り金処理の是正。
 中原3丁目都営住宅建て替えとシルバ−ピアの建設。
 多摩川・秋川の魚道整備。
 使途不明金問題では、断固として、平成7年度決算議案の認定を拒否。
 動物愛護の風土を東京に。
 超党派で自主的に結成された、都議会税制研究会の幹事として、大都市税制の問題、特に、固定資産税、都市計画税の問題に取り組む<バン・バン>などなどなど、多くの分野で実績を上げて参りました。
 これら、私たちにとって身近な問題で実績を上げておりますのが、三鷹では、谷真理ですが、外の地域でもこられの問題に取り組もうと、

平成7年、参議院の候補者として、菅直人さんや本日出席いただいております山花貞夫さんらの呼びかけで立ちあがりましたのが、あの中村敦夫さん、見城ミエコさん、、鈴木キクコさんと言う方々でございます。この時は苦戦いたしましたが、らが呼びかけて、東京リベラル会議を結成。当時の社会党東京都本部執行委員、三多摩地区本部長、三鷹の代表を務めていた谷真理は、党の方針でもございましたが、これに賛同し、いづれは二極にの一つになる新党運動に参画したのでございます。

 ところで最後にもう一つ、今、世間では、お年寄りのシルバ−パス制度を巡って、廃止されるととか存続されるとか、いたずらにお年寄りを不安に駆らせる様な、噂が流れております。そこで谷真理は、真理流シルバ−パス制度というアイディアを考え出しました。今までのものに加えて、JR・私鉄    ある範囲までは、半額で利用できるようにしようと言うものでございます。そこで     昨年末から、署名活動を展開、昨年の12月、つまり半年前、青島知事に、3万名の署名簿を提出。ついに青島知事も、「う−ん、これはなかなか優れたアイデアで、是非実現したい」と賛同を得たのでございます。
 そこでこのアイディアをもっと詳しくご説明いたしますと、そのアイデアとは、シルバ−パス所持者は、午前10時から午後4時の間は、子供料金で切符を買い、パスを提示して駅に入ります。JR・私鉄は朝・夕の最大輸送時に合わせて、車両、機材、人員を整備しているので、新たな設備投資をしなくて済む上に、空(す)いてる時間にお客が増えれば、利益が上がります。そして、東京都は、既にシルバ−パスの発給事業をしているので、新たに経費は、かかることはないのです。つまり、高齢者が気軽に外出し、豊かな人生経験を社会に役立て、健康にもなっていただけば、医療費など社会的負担も減り、経済波及効果もあるということ。誰もが得をするというシステムです。如何でしょうか。お分かり頂けますでしょうか。後で又、詳しく説明があると思いますが、これが実施されれば、私鉄の小田急線などは、小田原、箱根まで、もしかすると半額で行けるようになるかも知れないし、兎に角、高齢者の行動範囲も広がると言う訳でございます。

私は、この神田紫として、個人的に、真理流シルバ−パス制度が気に入っています。と申しますのは、あの−、ちょっと個人的な話にはなりますけれど、私の師匠、神田さんよう。今87歳でございますけれど、おととし脳梗塞で倒れまして、そして半身がちょっと不随になりまして、リハビリ−の結果でも、悪くなったり良くなったりして、今はもう、つい先頃、國の、選択、記録無形文化財に指定されました。どうしてこんなに元気になったかと申しますと、ご高齢でございますが、本当に危なかったのでございます。ところが、家で、元気になってくると看護婦さんに、絵まで描いて、紙に書いて  家でやって下さいヨ−。さんようせんせい。  
家ではやらないものですから、家に来るとこんなになってよたっちゃあうんですネ−。それがちゃんとリハビリ−センタ−に入って、リハビリ−を続けると、元気になって、   國の、記録無形文化財になりまして、元気で皆さんの前で高座を務めております。と言うことは、動くこと、歩くことが大事かと言うことですから、この真理流シルバ−パス制度、もうお年寄りの方々に、広い行動範囲で動いて貰う。リハビリ−も運動でございます。運動が大事だと言うことでこれが気に入っていると言うことでございます。マ−、このように長々とご説明して参りましたが、皆様のお役に立ちたいと、いろんな事を考え出すアイヂアマンの谷真理ですが、 

実はこの人なくては谷真理は語れません。それは既に、故人となられましたが、衆議院副議長を務められ、日本の社会運動史の中に大きな足跡を残した、大先輩、中村高一先生のことでございます。ちなみに、谷4兄弟全て、中村高一先生にお仲人をして貰いました。   ご指導を賜り影響を受けた方でございます。常に教えを守り、谷真理は信念を持って政治道をまっしぐらに歩いて参ります。その信念とは「人は他の為に生かされている」と言うことです。谷真理きっと生まれながらにしてこの道を歩むように出来ているのでしょう。今、市民による市民のための政治、すなわち、市民が主役の住みよい社会を創るために、皆様どうぞ、再生産できない谷真理の感性を大いに活用して下さい。そしてどうぞ、谷真理を、皆様の代弁者として、活用するために、都議会へ三度送って下さい。そして最後に、是非お知り合いの方を一人でも多くご紹介していただくことをお願い申し上げまして、谷真理一代記はこれで読み終わりと致します。