『三〇歳』

(何だ?)
  ふっと後ろを振り向いた。
  そこには、中年の男性が、日本経済新聞に顔を隠している姿があった。
(……??)
  釈然としないまま、もう一度前を向いた。ちょうど、アナウンスとともに、いつも
乗っている、瀟洒な安っぽさを持った銀色の電車が、旧式のホームに滑り込んで来る
ところだった。

  ぐりぐり。
(??)
  ぐりぐり、ぐりぐり
(???)
  また、背中に違和感が走った。
  電車のドアが開き、この駅で降りる僅かな人を吐き出し、この駅から多くの人を呑
み込むために。僕は、背中の事が少し気になっていたが、いつものように、開いたド
アから三列から二列になって……
  ガン!
  何か金属質のものが頭にぶつかった鈍い感触が脳内を駆け巡った。
(!!)
  思わず涙目になりながら、さすがに驚いて振り向くと、太い金属製の棒のようなも
のが目に入った。しかし、良く見ると金属というよりはゴム……
  ふと、刺されたような痛みが心に走った。見ると、回りのサラリーマン達の冷たい
視線が僕に集中している。あわてて営業仕込みのうすら笑いを浮かべながら、急いで
飛び乗った。ついで、サラリーマン達が心の中でぶつくさとつぶやきながら、無表情
に乗り込む。満員電車、というわけではないが、それでも、決して自由が効く程のス
ペースを貰えるわけでもない。かろうじてアタッシュケースを網棚の上に置いたが、
哀しくも吊革の確保には失敗してしまった。なんとか一人分立てるだけの空間を確保
した頃、ドアが閉まった。

(ん?)
  閉まったドアの外に、大きなバックを持った女の子が、口をゼロの形にしたまま、
立尽している姿が目に映った。そのバッグの外に、黒いゴムのような……

  がくん。
  思わず、足元が疎かになってしまった。
  電車は、再び動き出していた。

  このまま電車に乗って、会社まで一直線
  次の駅で降りて、元の駅に戻る
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