作品名:『Twin』(6)
  製作  : 97/11/12(19KB)
  作者  : あきよ  氏
  形態  : 長編区切(恋愛)


   Twin8



 今日の海は穏やかだった。
 あたしが今いる砂浜は夏になると海水浴場になる。ここは平時から波が高
い事で有名だった。大体、50センチくらいの波が押し寄せるので、大きな
プールにある人工波プールの最前列と同じようなものだ。見た目ではプール
と同じと思えるのだが、やはり自然は甘くない。10メートルも進めば足は
付かないし、放っておけば徐々に沖へと流されていくのだから。
 事実、毎年何人かが沖に流される。そういう時は市の消防署のヘリコプタ
ーが文字通り飛んで来て救助する。家族連れも恋人も楽しい一時を忘れ、救
助活動を見守っている。流されていた人がオレンジ色の隊員に引き揚げられ
ると、拍手を送ったり万歳をする人もいる。
 中学生の頃、あたしの友達が沖に流されたことがあった。勿論、友人は無
事に救助されて直ぐに病院へと転送された。あたしを含む仲間は涙を流して、
喜び合ったのだが、自分たち以外の人達のそれと微妙な違いを感じたのだっ
た。
(この人達は、本気で喜んではいない!)
 寧ろ面白い見世物が見れて喜んでいるかのように見えたのだ。あたし達以
外の人間からすれば他人事には違いないのだが、映画みたいだったね等と声
をかけてくる無神経な人間が存在する事が信じられなかった・・・
「ま、でも、そんな人達ばかりじゃなかったんでしょ? その時の相田さん
は友人の事で感情が昂ぶっていたんだから、周囲がそのように見えても仕方
のない事だと思うし」
 詰まらないあたしの話を聞いていた陽司くんは微かに笑っていった。彼は
砂浜にちょこんと正座して、目前の砂を掻き集めて砂山を作っていた。そし
てあたしはその横でうつ伏せに転がっている。学校指定の水着だから肌の露
出部分が少なく、綺麗に日焼けする事は難しい。もっともあたしの目的は日
焼けなんかではなく、陽司くんと一緒にいる事なのだから今の状況に対して
十分に満足していた。
「感情的だった事は否定しないの。だって凄く怖かったんだもの。あたし、
この浜の側で生まれ育ってきたから、小さい頃から人が溺れたところは何度
も見ているし、溺死体だって見た事あるわ。でもね、矢張り当事者が自分の
知っている人か知らない人かによって全然違うのよ」
「そりゃ、そうだよ。僕だって家族とか友人とかが、そういう状況になった
ら頭に来るし。でもさ・・・こう、砂浜の海水浴客を見ていると、ある意味
では仕方のない事かなって思ったりするよ」
 陽司くんは周りをぐるりと見回した。あたしも彼の視線を追い掛けるよう
に首の回る限界まで海水浴場を見渡した。この海水浴場は幅500メートル
程で、その中に凡そ2千人位の人間がいる。江ノ島や湘南程ではないが、そ
こそこの密集地帯で、波打ち際から海岸線と平行に走っている道路までの数
十メートルの距離をまっすぐ歩く事は不可能だった。
「これだけ多くの人がすぐ近くにいるのに、自分達のグループ以外とは会話
の一つもないんだよな。同じ砂浜で休み、同じ海で泳いでいるのに、何で心
を開くって言うか、その・・・自分の視界でしか動けないのか」
 そこまで言って陽司くんは舌打ちした。
「ごめん。折角、遊びに来たのに変な話しちゃって」
「ううん、元はあたしだし」
 彼の紡ぐ台詞ならばどんな内容でも、あたしにとっては幸せだ、とは流石
に恥ずかしくて言えなかった。



 海に誘ったのはあたしだった。
 何のことはない。金がかからず遊べる場所を探したら、ここだけが残った
のだ。この砂浜は学校のすぐ南側にある。当然、あたしは学校までの定期を
持っているし、陽司くんに至っては家が学校から徒歩10分と言う素晴らし
く近い位置だったりするので、ここまで交通費は一切かからなかった。
 いや、朝一番に待ち合わせしてからでも、全くお金を使っていない。余程
の貧乏って訳ではないし、お小遣いはきちんと貰っているから、金が無い訳
ではないのだが、ここは学生らしくと言う事で、ね。
「そういえば相田さん、そろそろお腹空かない?」
「あれっ? もう、そんな時間だったっけ」
「正確な時間は分からないけど・・・ほら、周りは皆、お弁当広げてるし」
 言われてあたしは砂浜から起き上がり周囲を観察した。確かに彼の言う通
りだった。考えてみたら少し前から美味しそうな匂いが潮の香りに混じって
漂っている。
「陽司くん、お昼何にしよっか」
「うん。それなんだけど、ウチで食べない。売店でヤキソバとか買ってもい
いんだけど量が少ないし。でもウチだったらちゃんとした定食あるからさ。
あ、勿論、お金は取らないから安心して」
「で、でも、それは悪いわよ」
「遠慮しないで。ね」
 あたしの右手はしっかりと彼に握られていた。瞬間、体が熱くなる。それ
は水着姿だったからかもしれない。慌てて陽司くんの手を振り払おうと思っ
たがそれは出来なかった。恥ずかしいと感じると同時に、彼が自然にこうい
う事をしてくれたのが嬉しかったからだと思う。
 定食屋「なかおみ」は賑わっていた。いつもは近くの港から漁師さん達で
いっぱいなのだが、今日は快晴の週末だけあって、海水浴場からやってきた
家族連れ等も一緒になって、店の前に行列を作っている。
「う〜ん・・・ここまで混んでいるとは想像していなかったなぁ」
 半ば諦め声で陽司くんは溜め息をついた。とは言え、お店なのだからお昼
時なんて混んでいる事を、あたしはある程度予想していたので彼を元気付け
るように言った。
「やっぱり、海の家でも行こっ」
「そうするしかないかぁ」
 あたし達は踵を返して浜の方へと戻ろうとした。その背中に聞き覚えのあ
る声が投げられた。勿論、声の主は香月さんである。
「陽司? どうしたの、こんなところで?」
「あ、いや・・・混んでいるみたいだから他に行こうと思って」
「別に店じゃなくたっていいじゃん。折角、ここまで来たんだから、ね」
 そして香月さんはあたしの方へと向き直ると
「陽司の部屋でもいいよね」
と言って店内に戻っていった。
(相変わらず元気と言うかマイペースと言うか・・・)
 そんな香月さんとは対照的に、陽司くんは何となくばつの悪そうな表情を
浮かべ、そしてそれを一生懸命隠そうとしているようだった。恐らく、あた
しと妹である香月さんの存在に板挟みにされ、悩んでいるのだろう。
(自分だったらここまで悩まないだろうな)
 そう思いつつも、最近のあたしは中小見家の双子の事で振り回されてばか
りだから、あまり人のことは言えないのだ。
「行こ」
 あたしは陽司くんの剥き出しになった腕に自分のそれを絡ませた。すると
予想通りというか彼もまた顔を赤くして、微かに逃げようと重心をあたしか
ら遠ざけていこうとする。
(さっきのあたしも、こんな感じだったのかしら)



 陽司くんの部屋にあがるのはこれで2回目だった。
 前に来たときは、そりゃもう衝撃的な香月さんの過去が語られたのだから
忘れられる筈もなく、部屋に足を踏み入れた瞬間に、あの時の光景がまざま
ざと甦ってくるようだった。
 あたし達に続いて香月さんがバスタオルを持って上がってきた。
「はい。これ使ってね」
「あ、ありがと・・・でも、あたし達タオルならば持ってるわよ」
「・・・座布団の代わり」
 薄く笑いを浮かべた彼女は押し付けるようにバスタオルを渡すと階下に戻
っていった。それが冷笑だったのか苦笑だったのか判断できなかった。
 そして、あたしは気が付いた。水着の上にパーカーを羽織っただけの格好
だった事を。気温が高いせいか殆ど乾いている筈だけど、やはり住んでいる
人間からすれば、水着で上がられては余り心証のいいものではないだろう。
「相田さん、こっちにおいでよ。風が入ってきて気持ちいいよ」
 彼は窓際の一角に腰掛けていた。窓から入った海風は部屋の中を突き抜け
て開け放たれた襖を通り、廊下へと去っていく。
「うん」
 あたしはゆっくりと彼の側へと移動した。近づくに連れて心臓の音のボリ
ュームが大きくなっていくようだった。
(すごい・・・多分、これは、あたしが、彼の事を好きだからだろう)
 しかしそれは互いの肩が触れると同時に、収束していった。今迄とは対照
的なまでにあたしの鼓動は落ち着いていった。
 否。
 パーカーの裾を直すつもりで胸元に持っていった手が、ドラムのような振
動を察知したのだ。心臓は自分の意志に関係なく、触れるもの皆を驚かせる
ようにと震えていたのだった。
 どうやら自分の神経の一部が麻痺してしまったようである。そう言えばど
ことなく呼吸も苦しい。
「ど、どしたの、相田さん?」
 あたしの視線に気が付いた陽司くんは、一度ちらりと襖の方を見やってか
ら、再びあたしの方を見た。心なしか彼の顔も少し赤いように見えた。
(こういうのって、今日、何度目だろう)
 陽司くんもあたしも、よく、まあ、飽きずに何度も赤面するものだ。
 確かにその要因は共通している事が多い。恋愛経験が皆無であること、異
性との交流が薄かったこと。理性では一々納得が行くのだが、感情は果てし
ない暴走を続けるだけだった。
 今の自分には陽司くんだけしか見えなかった。陽司くんが全てであり、全
ては陽司くんなのだった。まるで盲目のようにふらふらと、しかし確実に互
いの距離は近づいていった。
「へいっ、刺し身定食2つ。お待ちっ!」
 香月さんが両手に盆を乗せて入ってきたとき、あたしと陽司くんの唇は触
れ合っていた。



 登場人物の背景を知る者ならば、現在の状況は修羅場に繋がると考えても
不思議ではなかった。事実、あたしは香月さんがどのようなアクションを起
こすか一種の恐怖に似た感覚をもって身構えていたに違いない。何と言って
も彼女の陽司くんへ対する依存ぶりを知っているだけに、目の前でその対象
を奪われるような行為を見せ付けられては、何を仕出かすか予想できなかっ
たのだ。
 あたしを詰るだろうか。
 それとも両手の盆を投げつけるだろうか。
 はたまた、泣き出すのだろうか。
 しかし、あたしの予想は外れた。香月さんは至ってクールだった。
「ボク達の部屋ってテーブルないから、床に置いちゃっていいよね」
 彼女は平然と、表面上は平然と、足元に散らばる雑誌類をどかしてお盆を
置いた。そして部屋の片隅に置いてある魔法瓶とマグカップを引っ張ってき
てお湯を注ぎ始めた。魔法瓶の根元には急須があり、香月さんは手慣れた動
作でお茶の葉を入れたのだった。
「香月、お前・・・」
「ん? あたしの事は気にしないでよ。どうせ、すぐに店の方へ戻らなきゃ
行けないんだし」
 そういう問題じゃないだろ、と陽司くんの表情が物語っていた。しかし、
香月さんはそれに気付いているのか、それとも本当に気付いていないのか矢
張り平然と、座っているのだった。
 あたしはスローモーションの様に陽司くんから離れた。その瞬間、香月さ
んの表情が微妙に変化した。あたしと陽司くんが距離を置いた事により、喜
びの表情を浮かべたりするのかと思っていたら、ちょっと後悔しているよう
な印象だった。
 やがて湯飲みが十分に暖まったのか、香月さんは湯飲みの中のお湯を急須
に注いだ。
(これって・・・香月さんは知っているんだ・・・)
 あたしは祖母がお茶の先生だったから、こういうお茶の入れ方を知ってい
るのだが、自分と同世代の人間でこれを知っている人は殆どいなかったし、
よしんば知っていたとしてもそれは知識としてであって、実践している人間
は皆無に近かったのだ。
 現在の状況はさておき、あたしは香月さんにちょっと感心していた。あた
しと同じように祖父母から教えられたのだろうか。
「とりあえず、食べちゃおうよ」
「うん」
 あたしは陽司くんに促されるように箸を取った。
 それはとても美味しい定食だった。お刺し身は近くの漁港で今朝、仕入れ
てきたものだろう。生臭さが少なく、ちっとも堅くない。あまり和食って食
べる事がないのだが、こういう美味しいモノならば積極的に食べたいと思う。
「これ、香月さんが作ったの?」
「まっさか。親父だよ」
(女の子なのに自分のお父さんの事を『親父』だなんて・・・)
 思わず口から出掛かったが寸前で止める事が出来た。別に深い意味での発
言ではないのだが、香月さんにとっては色々と受け取れるような気がした。
「香月さんは料理しないの?」
「ううむ。ボクは苦手なんだ。嫌いじゃないんだけどね。だから厨房は親父
と陽司の独擅場だよ。僕は専ら店ん中を走りまわっているだけ」
「ならば料理習えばいいじゃない」
「・・・面倒くさいし。あ、そろそろ下に戻らなきゃ。じゃね」
 そそくさと香月さんは襖の向こう側に消えてしまった。軽やかな階段を降
りる音が聞こえなくなって始めて陽司くんは口を開いた。
「相田さん、気を遣わせちゃったでしょ。ごめんね」
「ううん。それは大丈夫よ。どちらかと言えば香月さんの方が、その、ショ
ック受けちゃったんじゃないかって・・・」
 先程のキスを思い出してあたしは徐々に俯いてしまった。
(なんで? なんで、あんな事しちゃったんだろう?)
 頭の中で情景が蘇ってくる。それは凄く自然な動作の帰結だったのだ。ど
ちらかが、しよう、と言った訳でもない。気がつけばキスをしていたと言う
のが一番正確な表現だった。
(こういう時って、どんな顔をすればいいんだろう・・・)
 相手に、陽司くんに対して微笑んであげるのがいいのだろうか。
 それとも、恥ずかしいから素直に俯いていてもいいのだろうか。
「僕さ、相田さんの事が凄く可愛く感じるよ」
 それは唐突すぎる陽司くんの告白だった。
「その・・・キスしたからって訳じゃないんだろうけどさ。なんだか今の相
田さんって、何か、こう・・・まるで小さく見えて、可愛くて・・・しょう
がないよ」
 あたしは俯いたままだった。今、顔を上げても、彼の言葉に撃沈されるの
は確実だったからだ。でも、声だけは逃さぬように聴覚へと神経を集中して
いた。
「今、さ・・・相田さんを凄く抱きしめたい・・・」
「・・・い、いいよ」
 肩を震わせながらあたしは答えた。彼の気持ちに応えたかったのだ。でも
あたしの期待は彼の明るい声で裏切られた。
「でも、親父に見つかったら殺されるから、やめとくね」
 もっともだと思う。幾らなんでも香月さんが告げ口したりするとは思えな
いけど、何も自ら陽司くんの家族の印象を悪くする事もないのだ。
(期待???)
 あたしは彼に抱きしめられる事を期待していたのだろうか。いや、そんな
事はない。と言うよりも、そんな大それた事なんて考えた事すらなかったの
だ。
 無意識のうちに思っていたのだろうか。あたしの自我の関わらない部分で
・・・精神じゃないとすると、肉体。でも自分はまだそういう感覚ってない
と思う。何せ、男性経験どころか恋愛経験だって、これが始めてなんだし。
 しかし先程のキスの事を考えると完全に否定する事も出来なかった。あの
時、自分の意識はしっかりしていた筈だった。目で何が見え、身体がどのよ
うに動いているかをしっかりと把握していたのだった。
(一種の本能みたいなモノなのかなぁ)
 自分自身の事なのによく分からないのが釈然としなかった。



 砂浜に戻ってきたあたし達は、荷物を置いてすぐに波の中へと飛び込んで
いった。日差しは一段と強烈に舞い下りていて、海面は温水プールよりも遥
かに温度が高かった。
「相田さんっ。ま、待ってよ」
 あたしは別に泳ぎが得意と言う訳でもないのだが、気がつくといつも陽司
くんの前方へ飛び出しているのだ。身体を動かしていると体育会系のノリで
がむしゃらに突き進んでしまうのかもしれない。
(男性よりも元気に運動しているのって・・・女の子らしくないかな?)
 彼を待つ間、ふとそんな事が脳裏に浮かんだ。まあ、確かに、陽司くんよ
りは体力があるかもしれない。彼は運動なんて体育の授業くらいしかやらな
いと言っていた記憶がある。それに比べてあたしときたら、ほんの少し前ま
で何も考えずに運動、と言うか武道に精を出していたのだから、身体能力も
それを支える精神力も違うのかもしれない。
 やがて陽司くんが追いついてきた。息が荒いのは、少々無理してでも追い
つこうとした為だろうか。
「はぁはぁはぁ・・・ちょ、ちょっと休もうよ」
「ん。じゃ、そこの筏に乗りましょ」
 ここの海水浴場には波打ち際より50メートル程の沖合いに3つの筏が浮
かんでいる。筏の一角からは太さ3センチ程のロープが下方に向かって伸び
ている。恐らくは海底に繋がれているのだろう。筏の四方は柔らかいゴム状
の緩衝材が付いている。生身に近い海水浴客が大怪我をしない為の処置だっ
た。もっとも砂浜近くの波は高くとも、筏の周辺ではそれほどでもないので
実際に怪我をしたと言う話を聞いた事はない。
 筏の上には何人かの先客がいた。恐らくは地元の子供だろう。順番に海面
に飛び込んでは、暫く潜った後に勢いよく筏の上に上がってくるのだった。
「陽司くん、大丈夫」
「なんとか。・・・それにしても相田さんって体力あるんだね。感心しちゃ
ったよ」
「感心しないでよぉ。陽司くんは男でしょ」
「うん・・・まあ、そうなんだけどね」
 そう言って彼は筏の上にごろんと横たわった。あたしはその傍らで所謂体
育座りをしている。彼の全身は海水でびっしょりと濡れていて、皮膚の表面
では夏の陽光を受けて所々がきらきらと反射していた。
 その光の塊を掴むように、あたしは手を伸ばすが、指の関節を曲げた途端
それは幻となって消えてしまう。代わりに触覚を通して彼の肌の感触が伝わ
ってくる。
「!」
 とそこであたしは慌てて手を引っ込めた。
(な、何・・・あたしってば何をやっているんだろう)
 今と言い、先程のキスと言い、あたしは、そういう事がこんなにも簡単に
出来るキャラクターだったのだろうか。
 やがて陽司くんもゆっくりと起き上がり、あたしの隣に座った。大分、呼
吸も整った彼は、そのままの姿勢で何度か身体を伸ばしたりしている。
 今のあたしは幸せだった。好きな人と一緒に過ごす時間はとても満たされ
る感じがした。可能ならば、ずっとこのまま、そう、時間が止まってしまう
事すら期待しているのだった。
 しかし、何故かあの少女の事が頭に浮かんできた。陽司くんの双子の妹、
香月さんである。すぐ横に座る想い人の顔を見ていると、瓜二つの彼女の顔
をどうしても連想せずにはいられないのだ。
「ねぇ、陽司くん」
「何?」
「今頃、香月さんは何してるかな」
「そうだなぁ・・・多分、後片付けか、部屋で本読んでいるんじゃない」
「こんなに天気が良いんだから、香月さんも泳げば良いのに。目の前が海な
んだしさ。そうだっ! 今度は彼女も誘ってあげようよ。ね? 偶には表に
連れ出してあげないと、身体に黴生えちゃうよ」
 しばし考えた後、陽司くんは首を横に振った。
「それは無理だよ。水着とは言え、アイツが人前で肌をさらす訳ないし。そ
りゃ兄として、いつまでもそれじゃいけないと思うけど、こればっかりは香
月の気持ちの問題だからさ」



 あたしは先日、彼女の異性恐怖症を、陽司くんに対する依存症を治してあ
げたいと誓った。あれから一週間が経つけれど、何ら具体的な事は出来ず終
いである。一つには季節が夏になった事によって、店の手伝いが忙しくなり
陽司くんと入れ替わって学校に来る機会が減っている事もある。最後に学校
で彼女と会ったのは一昨日だったか、Yシャツの下の真っ赤なタンクトップ
が透けている事がクラス中の話題になっていた。
(あの時は美代ちゃんと二人で目を丸くしちゃったもんね)
 思い出すだけで顔が緩みそうだった。そりゃ、クラスでは真面目で大人し
い男子と評判の彼が、あんな格好して来たんじゃあね。勿論、即座にあたし
達は、その陽司くんが香月さんである事に気が付いたけど。
「ね、ね。香月さんって趣味とか、好きなものってあるのかな?」
「趣味ねぇ・・・昔は花を育てるのが好きだったよ。後は裁縫とか」
「へぇ〜。それって凄く家庭的じゃない」
「でも、料理がからっきしなんだよ、香月は。ご飯の用意はいつも僕にさせ
ているし」
 もうちょっと外に出るような趣味とかないのだろうか。身体を動かすよう
な、そう、スポーツとか・・・いや、別に身体を動かす事が解決方法になる
とは思っていないけれど、今の生活と異なるモノに目を向けてくれれば、プ
ラスになる事だって多いだろうし。
 香月さんに必要なのは、きっかけだと思う。彼女は決して弱い人間じゃな
い筈だ。だから、誰かの助けなんか必要としていないのだ。それが彼女の冷
笑癖や人を混乱させる言動などから、あたしが分析した結論である。
 だから彼女に必要なのは、ほんの些細なきっかけなのだ。きっかけさえあ
れば彼女は自分の力で這い登って行く事が出来ると信じている。
「香月さん、あのままじゃ駄目だよね」
 あたしは不安定な筏の上に立ちあがった。筏の中央部には小さな柱があっ
て小さな子供たちは蝉のように抱き着いていたりする。子供を避けながら柱
のてっぺんに片手を付けて、漸く身体を安定する事が出来た。
 そんなあたしを見上げ、すぐに視線を海原に転じて陽司くんは呟く。
「うん・・・でも、香月自身の問題だし、周りがとやかく言っても無駄だよ。
ゆっくりと時間をかけてでも立ち直ってくれれば僕は良いと思ってる」
「駄目よ、そんなんじゃ。何ヶ月、何年かかるか分からないじゃない。香月
さんはあたし達と同じ年なんだし、そんな悩みを抱えたまま10代後半を過
ごすなんて勿体無いわよ」
 これは半分本音であり半分嘘だった。あたしは同性として、香月さんの知
人として、彼女に早く立ち直って欲しいと思っている。そして、それと同じ
くらい打算的思考の末に全く同じ結論に至っているのだ。
 あたしと陽司くんは両想いである。既に一部の友人はあたし達の関係の変
化に気が付いているようだ。香月さんと言う存在がなければ万事上手くまと
まっていたに違いない。
 しかし香月さんの話を詳細に渉って聞いてしまった以上、あたしの心は手
放しに両想いの状況を喜ぶ事が出来なかったのだ。多分、陽司くんも似たよ
うな感覚を覚えているだろう。
 もともと一つだった陽司くんと香月さん。全てにおいて二人は同等でなけ
ればならないと思い込んでいる。文字どおりの一心同体である。香月さんは
陽司くんに頼り、陽司くんは香月さんを守る。それが二人の関係をより一層
強固なものにしているのだった。
 だが、しかし。
 香月さんが立ち直り、普通に生活する事が出来るようになれば、陽司くん
もまた彼女に何の遠慮もなく自由に生活を送る事が出来るのだ。つまり陽司
くんが誰と付き合おうが問題ないのだ。
 打算的と言ったけど、視点を考えれば誰もが皆幸せになる一石二鳥どころ
か三鳥も四鳥も落とせそうである。
「確かに・・・上手く行けば、万々歳だね」
 陽司くんは説明を終えたあたしの顔を意外そうな表情で眺めていた。そり
ゃそうだろう。どちらかと言えば頭よりも先に身体が動くあたしである。そ
んなあたしだからこそ料理なんて柄でもない部活動を始めたくらいなのだか
ら。・・・ううっ自分で言ってて空しい気がする。
「でしょ? 今はまだ何をすればいいのか分からないけど・・・その、出来
れば、陽司くんにも協力してもらえないかなって」
 彼は大きく肯いた。つまり陽司くんは、あたしの提案を受け入れてくれた
のだ。あたしは喜びのあまり、つい彼に抱き着いてしまった。
「ちょ、ちょっと。相田さん!?」
 彼は真っ赤になってあたしを引き剥がそうとする。が、あたしの方が力が
ある(これもまた女として悲しいのだが)ので、そのうち諦めたように空い
ている左腕であたしの背中をそっと支えてくれたのだ。
「かなわないなぁ・・・でも相田さんと一緒にいると、何かしなきゃいけな
いような気分になってくるよ。香月の為にも、相田さんの為にも」
「そして陽司くんの為にもね。皆が幸せにならなきゃいけないんだから」



 続く