作品名:『Twin』(9) 製作 : 97/12/12(10KB) 作者 : あきよ 氏 形態 : 長編区切(恋愛) Twin9 セミの鳴声が周囲に空しく響き渡る。 お寺の裏手にあたる墓地はお盆が近い事もあって帰省中の家族連れなどが まばらに見受けられる。墓石を念入りに掃除し、商店街の花屋で買ったと思 われる真新しい花を差し、供え物を置いていく。真夏の日差しの下、じっと 手を合わせ拝む大人。その周囲をはしゃぎまわる子供たち。この季節、全国 共通に見られる光景だ。 墓地の所々には大きな松の木が生えている。セミ達はそのどこかに留まっ て合唱しているのだった。 これらの松はもともと防風林の役目を担っていたと聞いている。数十年前 つまりあたしが生まれるずっと前、海岸線沿いにバイパスが完成してからは 以前ほど海風の影響も受けなくなり、存在意義を失った松の大半はあっさり と伐採されてしまったのだ。今では僅か10本余りの松だけが残されている のだが、一世紀を生きる住職が選んだだけあって、どれも品の良い格を漂わ せているのだった。 時は8月。学生社会における夏休みである。 この日、あたしは、お盆前に宿題を全て終わらせるつもりで机に向かって いたのだが、南向きの部屋では扇風機など無力な存在であり、気が付けば室 温は炎天下のそれと殆ど変わらなくなっている。仕方なく、と言うよりも良 い口実が出来たとばかりに散歩する事にしたのだった。 「ふう・・・」 近所の駄菓子屋で買ったアイスキャンディーを舐めながら少しでも涼しい 場所を求めて木陰へと避難する。 図書館に行った方が良かったのだろうか。 あそこならばセミの鳴声も聞こえないし、完璧な冷房機器が備えられてい るから、快適さは保証付きだ。しかし、その考えは直ぐに捨てた。何せ、図 書館はあたしの家から自転車で30分以上もかかるのである。この炎天下で は日射病にかかって倒れるかもしれなかった。 この墓地は寺の本堂の側面を通り抜けて入る事が出来る。その正反対側、 即ち海側にも小さな扉があるのだが、ここは寺の関係者と近所に住む人々の 通り抜け専用となっている。あたしも駅などへ向かうときは利用するのだが 流石に夜は恐くて通らない。 「相田さ〜ん」 ふと誰かに呼ばれた。周囲を見渡すが見知っている顔がない。 「相田さん。こっち、こっち」 声のする方角、本堂の脇の廊下に彼女は立っていた。 「香月さん!?」 なんでまた、こんな所で出会ってしまうのだろう。 彼女と会うのは約一週間ぶりである。 一段と日に焼けた小麦色の肌が健康的で印象深かった。 季節柄、Tシャツに半ズボンと言う知らない人が見たら中学生くらいの男 子と間違えそうな風体だった。凡そ寺社には似つかわしくない蛍光色をふん だんに混ぜ合わせたTシャツの襟元には有名なメーカーのサングラスがかけ られている。片手にはバスケットシューズの紐が握られており、もう一方の 手には小さなDバッグがあった。 「今、そっちに降りるね」 そう言うと彼女は本堂から身を躍らせた。 高さにして約2メートルくらいだろうか。不可能ではないけれど、あたし と同学年の女の子はまず実行しないアクションである。香月さんはきちんと 足を揃えて見事に降り立った。 「び、びっくりしたぁ〜。怪我ない?」 「大丈夫だよ。この位の高さなら慣れっこだもの」 彼女はその場にしゃがみ込むと手早くバスケットシューズを履いた。 「慣れっこって?」 「ほら、ボクん家は定食屋でしょ。朝に買い出しで港の魚市場にいくんだけ どさ、ときどきは漁師の人達から直接仕入れちゃうんだ。埠頭から漁船に飛 び移るときは、いつもこんなもんだし」 あたしはその風景を連想しただけで背中に冷たいものが走った。係留され ている船とは言え、波に揺られているのだから安全とは言い難い。まして埠 頭と船腹との間は、くっつく時も有れば1メートル近く離れてしまう事もざ らである。タイミングを誤ればコンクリートと漁船の間に挟まれて押し潰さ れてしまう気がしてならない。 もっとも、そんな事故は殆ど聞いた事がないけれど。 「ところで、香月さんはどうしてここへ?」 「ま、まぁ。細かい事は気にしない、気にしない」 と頬を軽く掻きながら香月さんは遥か西方に聳える霊峰を見やった。 今日は天気が良いので富士山がはっきりと見える。その前景の箱根連山も 緑が萌えており、観光客で賑わっている事だろう。 「相田さんは夏休みにどっか旅行に行かないの?」 「それがね・・・最初は信州の方に行く予定だったんだけど、兄貴が忙しく って家に戻ってこないから、結局ボツになっちゃったのよ。楽しみにしてた んだけど・・・仕方ないかな」 「そうなんだ〜。残念だね」 「そういう香月さんは?」 聞いた後で愚問だったと後悔した。中小見家は定食屋である。そして家事 手伝いの香月さんが旅行なんて行っている暇などある筈もなかった。 「うんにゃ、お盆の時にぷらっと温泉にでも行こうと思ってるよ」 「お、温泉!?」 「うん。そんなに時間ないから近場に一泊くらいだけどね。伊豆もいいけど あっちは海水浴客が多いから落ち着かなくって・・・だから箱根、それも余 り人のいない静かなトコロにするつもり。あっちは涼しくて身も引き締まる し美容にもいいんだよ」 温泉とは意外と地味と言うか古風な感じがした。海外とは言わなくとも若 者向けのスポットの方が似合いそうだから・・・いや、それは偏見に過ぎな い。とは言ってもあたしや香月さんくらいの年頃では珍しい部類だろう。 「それって・・・陽司くんも一緒に行くの?」 定食屋が休みと言う事は、陽司くんも家の手伝いがお休みになるのだ。今 のところ彼からは特に聞いてはいないけど、香月さんの事だから陽司くんを 誘ったのではないだろうか。 「誘ったよ。・・・気になる?」 「そ、そりゃあ」 言い掛けてあたしは口を噤んだ。好きな異性が自分以外の同性と行動する 事に気にかけるのは極自然な事だろう。でも、香月さんの場合は双子の兄妹 なのだから、よくよく考えてみれば何もおかしな部分はないのだ。 彼女はあたしの顔をじっと覗き込んだ。可愛らしい、それでいて今の季節 を連想させる眩しい笑顔だった。深い瞳の黒はあたしの心を見透かしている かのように存在している。 どうも、あたしは、彼女のこの視線が苦手だった。 「断られたよ。と言うか無理なんだよね。お盆の最中に親類が来る事になっ ているから父さん一人にしてはおけないし。ボクと陽司は入れ替わりで休み をとるんだ」 「そ、そうなんだ」 ほっと胸を撫で下ろす。 ・・・何故だ? あたしは彼女に後ろめたさに似た感覚を覚えた。 あたし達は寺の勝手口を潜り抜けて、砂浜の方角へと歩いていった。 普段ならば近所の子供たちでいっぱいの海水浴場も、お盆が近い事もあっ てか家族連れの方が圧倒的に多い。今日は風もなく、雲一つない晴天なので 泳ぐにはもってこいの日和だった。 砂浜に降りてから波打ち際までおよそ百メートルの開きがある。この浜が 太平洋に面している為、大型の台風が襲来した時に津波を防ぐ意味が有るの だ。あたしが生まれてからはそのような大きな天災はないけれど、無用の心 配で終わるにこした事はない。 バイパスの下はちょっと固めの土が敷かれている。内陸側の二辺にはベン チが据え付けられている。面積や形状からして野球の内野を連想させるが、 実際にここで野球をやっている風景は殆ど見た事がない。すぐ近くに小学校 のグラウンドが自由に利用できるのだから、わざわざ日の当たらないバイパ ス下なんかには来ないのだろう。 何年か前に大学生くらいのグループが四輪駆動の車で乗り付けてキャンプ を張る無法者がいた。勿論、近所の住民の通報で警察に連れて行かれた。も ともと海以外何もない場所なので旅行者が来る事もない場所であり、住んで いる人間にしてみれば、いい退屈しのぎだったかも知れない。 鉄筋コンクリート製の柱はひんやりと冷たかった。時折、バイパスの振動 が微かに伝わってくる。お盆が近くなるとここのバイパスは交通量が減る。 大した観光地でもないのだから、もともと多くはないのだが。 「気持ちいい〜ね」 香月さんは頬をぺっとりとコンクリートに当てて歓喜の声をあげた。 「ほらほら、相田さんもやってごらんよ。冷たいよぉ」 あたしは苦笑して彼女の言う通りに従った。背筋がざわざわと落ち着かな くなる感覚。思わず声をあげそうになる程、気持ちよかったのだ。 ちょっと耐えられそうにない。 すぐに身を剥がそうとしたがそれは叶わなかった。ひっかかったと言うよ うな表情を浮かべた香月さんがあたしの身体を押さえつけていたのだ。 「うひゃひゃひゃ・・・」 「相田さん、変な笑い声〜」 「だ、だって。全身が、つ、冷たいんだものっ」 季節柄、薄着なので直に肌がコンクリートに触れる場所は少なくとも、そ の硬質な質感と十分に冷えた温度ばかりは防ぐ事が出来ないのだ。特に頬と 二の腕、そして腿は暴れ出したくなるような、筆舌に尽くし難い感覚が這い ずり回っているのだった。 「ふ〜ん・・・」 パニくるあたしと正反対に、彼女は落ち着いてあたしの醜態(?)をまじ まじと観察していたのだった。 「なんだか、相田さんって・・・色っぽいね」 今日、最大級の悪寒があたしを襲った。 「な、な、な、なんて事言うのよ〜!」 あたしは香月さんの手を払い除けるように後ずさった。正常な感覚を持ち 合わせた人間ならば当然の反応であろう。全身を流れる汗は決して暑さの為 ではなかった。何度も深呼吸をして自分を取り戻そうとする。 「じょ、冗談だよ、冗談」 と彼女は小さく手を合わせて見せた。が、その表情は明らかに面白がってい るような気がする。 たかがイタズラで怒ってはいけない。と思いつつも殆ど生理的な悪寒には やはり許し難いものがある。 (いつか・・・ふくしゅうしてやるぅ) 堅く心に誓いを立てて、あたしは彼女を(一時的に)許す事にした。 それにしても。 いつだって香月さんは意外な時にあたしの前に現れる。故意かそうでない かは本人にしか分からない。いや、単なる偶然の連続なんだろう。時には出 会うとちょっと困ったり、見られたくないような場面に遭遇する事だって少 なくない。 あたしだって別に彼女が嫌いな筈はない。好きな異性の身内と言うだけで 嫌いになんかなっては不利なのだから・・・でもそこまではっきりと打算的 に考えた末に今に至っている訳でもない。まあ、普通の親しい知人と言うか 友人と言ったトコロだろう。 そういえば彼女はいつも一人で現れる。誰かと連れ立って、なんて事は一 度もない。彼女は友人が極端に少ないのではないだろうか。高校を中退した と言っても友達の一人や二人くらい交流が続いていてもよさそうなものだ。 もっともそんな事を口に出して聞ける筈もなかった。そもそも中退の理由 がアレなのだから、きっと彼女はその話題を嫌がるに違いない。 香月さんは本心から人間を嫌っている訳ではない。でなければ陽司くんと 入れ替わって学校に来たりはしない。入れ替わりの話自体は陽司くんがすす めた一種のリハビリと言えなくもないが、いくら香月さんと言えど人間が嫌 いならばその提案を受け入れたりはしなかっただろう。 ひょっとすると彼女は人恋しいのではないだろうか? 逆に考えてみることも出来る。あれだけの事件があったにも関わらず、他 人のすすめがあるとはいえ、不特定多数の人間が集まる学校などに来たりし ているのだ。陽司くんと偽って現れた彼女の行動は自然そのものだ。いや、 寧ろ大人しめの陽司くんよりは余程明るいかもしれない。 人間が嫌いだとしたらあたしの元へひょっこりと現れたりするだろうか。 一度や二度ならば偶然かもしれないけれど、あたしと香月さんの遭遇回数 は偶然と言うには不自然だった。自意識過剰かも知れないけれど、彼女は意 図的にあたしの前に現れたと信じている。そしてそれは彼女が人間嫌いでな いという間接的な証明にはならないだろうか。 あたしが見た限り、彼女の本質は陽である。例の事件をきっかけに彼女は 人間を嫌いになったように見せかけているが、実は自分がそうだと思い込ん でいる、いや、思い込ませているだけなんじゃないだろうか。 確かに強姦は女性にとって許し難い犯罪行為である。勿論、香月さんは大 きなショックを受けたに違いない。だが、香月さんは生まれながらの人当た りのよさ、人間好きみたいなものがあったのではないだろうか。 好きと嫌いと言う極端な感情のはざまで苦しんだのだ。 香月である間の人間に対する恐怖感、陽司である間の人懐っこさ。自分で も気付いているであろう大きな矛盾に彼女の心はますます迷宮へと落ちてい ったのだ。 以上があたしの推測だが、あながち的を外しているとは思えなかった。す ると彼女を立ち直らせると言うプランは悪くないのだ。ちょっと邪ではある けれど。 少なくとも香月さんはあたしに対して恐れたりなんかはしていない。彼女 がちょこちょこあたしの前に姿をあらわすのだから他の人よりは好意を抱か れていると思っていいだろう。 自閉症的な彼女から近づいてきてくれるのだ。ならば、あたしからも積極 的に近付いてみようじゃないか。 「相田さ〜ん、カニがいたよぉ」 いつのまにか香月さんは波打ち際にいた。バスケットシューズとDバッグ は近くの砂の上に投げ捨てられていた。くるぶしの辺りまで海水につかり、 彼女は時々立ち止まって足元を見ているのだった。 「どこどこ?」 あたしもサンダルを脱ぎ捨てて、彼女の元へと走っていった。 続く