作品名:『明日幸せになれる条件』 製作 : 97/10/03(6KB) 作者 : おじゃ 氏 形態 : 短編(ショートストーリー) <明日幸せになれる条件> 「朝よ〜、早く起きなさ〜い!」 姉の声。寝床から這い起きた権治は、寝ぼけ眼でガクランをあさった。 いつも朝は苦手だった権治も、連続一週間続けると、さすがに今日は起き れたようである。ここ一ケ月ほど日記を付けずに寝ている分だけ、早く寝 ているからかなぁと、権治は思った。 朝食はいつも1人だった。父は物心つくまえに他界し、母は深夜を主と した職を手に持つ為、朝は入れ違いで家に帰ってくる。姉は権治の朝食を 置いて、すぐに学校へ急ぐ毎日だった。 権治は電車で1時間程度の中学校へ通っていた。今日は、夏休みを終え た学生が電車の中で賑わっている。しかし、満員の大ラッシュには間違い なかった。 『間際居〜間際居〜』 本当は、ここで乗り換える筈だった。 権治は降りなかった。今、ここで乗り換える事で今までの生活は保証で きるかもしれない。しかし、足が言うことを聞かなかったのだ。そう、こ こで降りるな、と。 「あ、権治く〜ん・・・って、ドア閉まっちゃうよ〜!」 クラスメイトの飛鳥だった。別に閉まったところで、自分が変わるわけ ではなく、今の生活が続くだけ。そんな毎日を捨て去りたかった。 飛鳥は目の前でガラスの外の存在となった。 『次は 見瀬戸 です』 そう表示があった。ここから先は、学校生活の中では行ったことがない。 未開拓地なのだ。そう思うと、権治の心はワクワクした。 既に学生の姿は無くない。時計を見ると、8時45分を表示していた。 なんとも新鮮な気分だろうか、登校時間に椅子に座れる事、学生ではなく 会社員の中に自分がいる事、行ったことの無い町に向かっている電車、そ れに乗っている自分。全てが新鮮でたまらない。 だが、それは次第に恐怖へ変わりつつあった。明日は変わるのだろうか? 明後日は? また元の生活、元の自分に戻ってしまうのではないのか? それは、正しく恐怖に等しい事だった。今もしも電車を降りると、そこで また自分が変わるのだろうか、学校へ向かって、そして遅刻で廊下に立た される事で学校生活も変わるだろうか。 『見瀬戸〜見瀬戸〜』 権治は、電車から降りる勇気がなかった。このまま電車に乗っている事 が、自分を変える切っ掛けとなるのだと信じて。 「幸せってなんだろう」 そう言う会社員がいた。権治は横目でその会社員を見た。萎れたスーツ に身を固め、疲れた顔をした男だった。 「あの・・・」 権治は、回りに人が乗っていない事に気づき、ふと声を掛けた。 「あの、どうかしたんですか?」 何と無く声をかけたつもりだった。 「あ、あれ? 学生かい? まだ学校じゃないのかい?」 「え、あの・・・、さぼっちゃいました」 男は、一息置いて言った。 「そっか、私と同じだね」 「えっ・・・・?」 権治は、同じという言葉が良く判らなかった。 「・・・実はね、会社が嫌になちゃって。降りる駅を無視して、今もこう して乗り続けているんだよ。ここにいる事で、今は会社員ではない自分 を保っていられるんだ、って」 「・・・僕も・・・同じ、かな・・・」 「ははは・・・。今はいい、でも明日は同じさ。明日は憂鬱な朝が待って いて、また同じように駅を乗り過ごしたくなるんだよ。そして、毎日が 嫌でたまらなくなる」 「ち、違うよ! 駅を過ぎて、それで新しい所に出会う事で、それで」 「違わないさ」 「・・・なんで? だって、今こうしておじさんに合うことが変わったっ ていう事でしょ?」 男は、微笑んだ。 「そうだね。今日は変わった、でも明日は?」 権治は答えられなかった。もしかして、この人は毎日こうして駅を乗り 過ごしているのかもしれない、そう思ってしまったからである。 それから先はただの乗客の一人になってしまった。 何回往復したんだろう、いつしか外は赤く染まり始めていた。 『次は 間際居 です』 そう表示が出た。 「おっと、ではそろそろ私は降りなければ」 「え・・・」 男は立ち上がると、権治の頭をワシャワシャと撫でた。 「君は、こうして今日を過ごした。でも私は今日が最後、明日からは普通 の生活に戻れる。このまま毎日を乗り過ごしているのもいい。だけどね、 新しい出会いもあるけれど、それが幸せっていうわけじゃあないんだ」 「だって、おじさん言っていたじゃん・・・幸せってなんだろう、って」 「そうさ。幸せってなんだろう、君の幸せって何だい?」 「・・・毎日が新鮮な事」 駅が見え始め、電車が減速を始めた。ゆっくりと見えてくる間際居駅、 帰宅をする学生に埋め尽くされている。なんだかその風景が、権治には新 鮮に見えた。 『間際居〜間際居〜』 空気の漏れる音、ドアの開く音、外から中に入ってくる雑音。 「さあ、毎日の新鮮は、彼女に鍵が隠れているかもしれないね」 と、男は権治の背中を叩き、人混みの中に姿を消した。 「あ、権治君・・・!!」 「や、やあ」 なんだか新鮮な夕方だった。飛鳥は、何で駅で降りなかったのか、何を していたのか等、色々な事を聞いていた。それを答えるのも新鮮だった。 どうも権治は逃避的な事をする、という認識をされたららしい。 「明日は、手縄を掛けてでも学校に引っ張っていくからねっ!」 「はいはい・・・」 苦笑いをしながら、そう答えた。 明日、幸せになれる条件は、飛鳥と居る事・・・そう思いながらいつも とは違った道で家に帰った。 「ただいま〜・・・って、誰もいないか」 ふと、玄関にハイヒールがあった。 「あれ? 母さん帰ってるの?」 すると、中から小さく声が聞こえた。 「あら、早かったのね。ねえ、ちょっと来てみて」 母の方へ行くと、なんだか押し入れを整理していたような感じに、段ボー ルやらが散乱していた。その中に1枚の写真を手に持った母がいた。 「ほら、憶えてないでしょうけど、お父さんの写真よ」 権治は写真を見るなり、今日の出来事が頭を回り始め、母に話したくなっ て仕方がなくなってきた。今日学校に行かなかった事、電車で会社員に会っ たこと、父の写真にそっくりだった事、飛鳥の事・・・。そんな話に花が咲 き始めると、玄関で声が聞こえた。姉である。 「ただいまぁ〜、あれ? お母さん、どうしたの? 仕事は?」 廊下を走るその足音が、楽しそうに聞こえる。 明日が楽しみだなぁと、久しぶりに日記を綴り、今日の幕を閉じた。