作品名:『ダイエット』 製作 : 97/07/09(9KB) 作者 : アキレウス 氏 形態 : ショートショート 「これ....、ほんとに? 凄ぉい....」 少女は軽い驚きの声をあげた。インドから来た秘薬ギムネマに始まり、全身タ イツ、有酸素運動、水断ち、不眠、高額なエスティックサロン、はては絶食、失 恋に至るまで、ありとあらゆるダイエット方法を試したが、理想体重の四二キロ はおろか、一度たりと五五キロを下回った事が無かったのだ。それが今、彼女の 足元の体重計は五一キロを指している。 「たったみっかで....うそぉ! す〜〜っごぉい!!」 もう一度彼女はおそるおそる体重計を見て、突如として自分の前に降りたった 天からの授かりものの幸せに嬉々としつつ、街に出かける支度を始めた。憧れて 買ってはみたものの、今まで恥ずかしくて着られなかった、ボディラインを浮か び上がらせる服がクローゼットにところ狭しと並べられている。 明るめにコーディネイトされた服をおっかなびっくりしながら身につけ、今ま で避け続けた全身が映る鏡の前に立つと、そこには見た事も無い自分がいる。頬 を赤らめながら彼女は心の中でガッツポーズを取った。これなら、これならなに もかも大丈夫な気がする。髪を茶色に染めても似合うだろう。ピアスもしてみよ うか。頭の上に花を載せても違和感無いような気がする。そうだ、眼鏡も止めて コンタクトにしよう。そうだ、これならあのひとに告白出来るような気がする! 彼女の幻想はその日一日中止む事無く膨らみ続けた。 「奥様、先日は素晴らしいものを本当にありがとうございますわぁ。」 「いえいえ、とんでも無い。奥様のお役にたてて、わったくしこんなに嬉しい事 はございませんこと」 「なんだか、こう、わたくし、若返った気がいたしますわぁ....なんだかあの頃 に戻れたような....ええ〜、もう、本当に良いものを頂きまして....」 「わたくしも宅の主人がこれを買って来た時には、まぁあの主人の事でごさいま すから、ただのあてつけにしか思わなかったのでございますがねぇ、露骨に捨て てしまうのも何でございましょ? それでこれもまぁ義理だてと申し上げてしま えばカドがたつのでございましょうが、まぁ一週間ばかり使ってみて、それでし まいにするつもりだったのでございますが、これが奥様、一度使ってみますと、 御目方がみるみる落ちてゆくのがわかるじゃありませんか! わたくしもう、ほ んっと、びっくり...あら、ほほほ」 「わたくしも主人に隠れていろいろ試してみたのでございますが、いちどたりと 成功したことが無かったのに....ほんとに驚きましたわぁ。全く、これも奥様の おかげを持ちまして....」 「いえ、いぃ〜え〜ぇ、これも皆、あの薬のおかげでございますわよ。」 「そうでございますわねぇ、ほんっとに....」 ”あの薬”には正式な名称は無かった。口コミで伝達された電話番号に問い合 わせてみると、会社名など一切明かさず電話番号のみを繰り返し、住所氏名年齢 電話番号を事務的に(!)聞かれ、正確に三日後に薄緑地のシンプルな箱の中に、 親指二つ分くらいの小さなビンが二つ入った小包が送られて来る。透明なほうの ビンには「一日一回」と不気味なまでに簡素にラベルした白い錠剤が七つ、赤い ガラスに「緊急時用」とまがまがしい赤字で書かれたもう一つのビンの中身は、 黄色と白のカプセル錠剤が二つあるだけ。小包の中には紙片が二枚はさまれてお り、一枚目は大きな字で書かれた使用上の注意。もう一枚は顕微鏡でも使わなけ れば見られないような字で書かれた約款、その最後だけは老眼の人にも読めるく らいの字で「以上の条項を守る意志を表明した者のみ服用を許可する」と書かれ ている。 これほど不気味で、商売っけの無い、高飛車な薬なら誰も飲まないと普通なら 思うだろう。だがこれは体重を減らしてくれる魔法の薬であった。これに関して は、ありとあらゆる不便を忍ぶだけの価値があった! 効果がありさえすれば。 そして、効果に関してはすさまじかった。この薬を飲んだ九九パーセント以上の 女性が、一週間以内に、残りの女性も二週間以内にはあまねく効果を現した。殆 どが今まで”ありとあらゆる方法を試して全て失敗していた”にも拘らず! そ して全ての女性が、電話番号の声の主が指定した口座番号に継続的に金を振り込 むようになるのには時間がかからなかった。 しかしこの薬を三ヶ月も使っていると、重大な副作用がある事に彼女達は気が つく。体重が上がらなくなるのである! ”食べても食べても、太らない身体” になった彼女達は、最初は狂喜して古今東西のありとあらゆるものを暴飲暴食す るようになるが、にもかかわらず次第に減少を続ける体重に恐れを為すようにな り、理想体重を五キロ割り込む頃には恐怖におののくようになり、あわてて今ま で振り向きもしなかった使用上の注意を綿密に読むようになる。 すると注意書きに、「暴飲暴食は生体バランスを崩す故、絶対に行わぬ事。一 定水準を越えると体重が只ひたすら下落するようになり、やがて死に至る」と容 赦無く書かれているのを発見し、彼女達はこの世の終わりを悲嘆する呪詛の声を あげる事になる。しかし、そこで絶望して自殺せず、次の行の文字を見られるだ けの冷静さのカケラを保持していた人たちは「万止むを得ざる事情からかかる事 態に至った場合は同封の赤ラベルのビンの中に入っているカプセルを服用すべし 」と書かれた慈悲深き天の助けを得る事が出来る。続きに「但し副作用が強い故 留意すべし。副作用については一切関知せず。」と書かれている事に一瞬戸惑い を覚えるが、目先の身の危険には勝てず、藁をも掴む思いでカプセルを服用する ....すると、翌日には標準体重にまで戻っているのである。 そこで懲りて標準体重を維持する為の普通の努力をするかと言うと、一切しな い。元々彼女達が”勝ち取った”ものでは無いから、維持する為の方法は全く思 いつかないのである。その上で暴飲暴食の風だけはきっちりと身に付いてしまっ ているものだからひたすら食べてしまい、二週間もしないうちにたちまち標準体 重を二桁上回り、以前嬉々として身につけていた最新流行の服が着られなくなっ ておたおたするのである。彼女達は一度止めていたあの薬を手にいれようとあり とあらゆる努力を払い.... 「景気? いやもう上々ですよ。」 とある中堅アパレルメーカーの社長室。経済系雑誌の記者に対して前年比九五 パーセントの売上に自信満々で応えながら、彼はふと自らを回顧した。三年前ま で空前の不景気で会社は倒産寸前。アパレル業界全体が不振を極めており、輸入 ブランド品以外は軒並みの不調ぶりだった。それが突然、ある日を境に降って沸 いたように注文が殺到し、それも毎日のように増える一方。不渡りを回収しクビ にしていた従業員を再雇用し、それだけでは到底足りず新規採用、事業規模拡大 、そして今や彼はまがりなりにも都心のビルのオーナー社長である。何がなんだ か解らないが降って沸いたような景気だった。新聞を読むと、服飾、外食産業を 中心に異常なまでの内需拡大による景気拡大の文字が踊っていた。社会全体が明 るい方向に向かっている気がする。彼は自らの職業に対する天分に感謝すると共 に、この夢が永遠に続くように祈らずにはいられなかった.... 「....見事なものだな。」 そう呟かずにはいられない。女性の平均寿命は僅か三年で一.二年も下落した 。世界一の高齢化社会を唱われる日本にあって、勤労をせずに消費だけを行う女 性の存在はただ邪魔でしか無い、と彼は考えていた。厚生省に努めて二〇年。深 刻な財政破綻に直面した危機を、こんな形で乗り越えられるとは思ってもいなか った。このままいけば二〇年もすれば高齢化バランスは劇的に変化する。 「それにしてもうまい副作用だな。六〇歳にならないと効果が出ないとは。」 もう一度彼は呟いた。いや、正確には隣に影のように控えている色白の研究員 に向かって話しかけたのだ。 「最新の遺伝子技術を使えば、こんな事はたやすい事です。生存本能を司る遺伝 子配列が破壊される記憶のタイミングを操作してしまえば良いだけの事ですから 。倫理面で問題があるという事で誰もあまり本格的な研究はしたがりませんから ね。自然死に見せかけるようにするのには若干苦労しましたが、不摂生が原因と いう事で情報はリークしていますから大して問題は無いでしょう。」 事もなげに研究員は言った。厚生官僚はもう一度頷くと今までの人生を振り返 るように暗い研究所の黴の生えた窓に手をやった。今まで女性にはロクな思いを していなかった。単に顔が醜いというだけで避けられ、蔑まれ、優秀な中央官僚 という肩書きを背景に見合い結婚したものの、”妻”は常に彼を避けつつ彼の金 を使って他の男と寝泊まりしている。女などと言うものは滅ぼしてしかるべきも のなのだ。 いや、決して私怨では無い。このまま生産性の低い女が増えれば社会的に危険 だし、女の社会進出と称するものによって社会秩序そのものが犯されているのだ 。それにこれは現内閣の指示による極秘の国家プロジェクトだ。私情をはさむ余 地など無い。 それにしてもここまでうまくいくとは思わなんだ。なんと女性とはおろかな存 在である事だろうか。まぁこのプロジェクト成功を背景に本省に帰れば着実にキ ャリアを積める事であろう。うまくすればに次官だって.... 想像を膨らませる官僚の影に立っていた研究員〜中国特務機関員〜は、蔑みを 込めた小さなため息をついた。 (女がおろかだって? おろかなのはお前らだよ。日本人。あの薬は女だけが使 っていると本気で考えているのか? お前らが思うよりも遥かに酷いレベルで男 達も堕落しているんだよ。特に若年層は、同世代の女性以上に激しくあの薬を使 っているという事をご存じ無いのだろう。もうお前らが思い描くような日本男子 はこの世の何処にも存在してはいないと言うのに。) (それに、あの薬の”副作用”は、元々男の、特に生殖活動に対して強い影響を 持つという事に気づいているかい? 出生率の減少が、ただのトレンドによるも のだと思い続けているのかい? 大量のインポテンツを国レベルで生産している 事に気がつかないとは、なんてまぬけなバカどもだろう。) (まぁいい。いずれにしてもこれでライバルにとどめをさすという任務は達成さ れたわけだ。二十年後に臍をかんでももうどうしようも無い。近視眼なおめでた いやつらには丁度良い報いと言うものだろうな........)