作品名:『ま、いいけどね』(1〜2)
  製作  : 98/10/10(28KB)
  作者  : 瞳夢  氏
  形態  : 長編区切(ストーリー)

   ま、いいけどね。1


   1

 あたしは子供の頃からずっと無表情だったらしい。
 赤ん坊のおり、あまりにギャンギャン泣き喚くからと一発ぶったら、それっきり
三年片頬になってしまった。と母は言う。
 幼稚園、小学校、中学校とずっとそうで、一時は病気じゃないかしらと慌てふた
めき、そこいら中の病院を駆けずり回ったのだそうだ。
 あたしにはどう考えても、父からの遺伝としか思えないのだが、今でも母は時々、
「ごめんねごめんね。あんたの無表情はあたしのせいよ」
 と繰り返すことがある。
 言われるたびに、
「いいわよ別に。困ってないから」
 と言ってあげなければならないので、いい加減うっとうしい。
 あたしはこの性格が普通だと思っているのだが、どうも世間ではそうは言わない
ようである。
 普通、女の子につくニックネームといえば、一位は名前の一文字をもじった、え
っちゃん、みっちゃんの類だろう。
 だがあたしのは違う。――フロッピである。
 なぜにそんな名前なのかというと、別にお風呂が好きとか、そういうことではな
い。
 無表情、無関心、無反応の三つの頭文字で3M。加えてそれが、ワープロ用のフ
ロッピーディスクメーカーの名前とダブるところから、そう呼ばれているのだ。
 あたし自身は別に、フロッピでもシロップでもイソップでも何でも構わないので、
放っておいて欲しいのだが……。
 クラスメートは相変わらず、そうしてくれないのが現状である。


 昼休み。皆、三々五々しゃべったり弁当を食べたりして、騒がしい教室。
「ねえねえ! 面白い話があるんだけどぉ? どう?」
 と、急にあたしの顔を覗き込んできたのは、自称あたしの親友――事実上おせっ
かいオバサン――のヤス子だった。
 彼女は何でも、『フロッピの表情を豊かにしよう協会』とかいう協会の会長とい
うことだ。ことあるごとにイベントの情報やら噂話やら、あたしが興味を持ちそう
な話題を持ってきたり、くだらないギャグを連発したり、あたしの表情を変えよう
とする。
 性格は至ってシンプル。無意味にオバサン臭い。
「パスパス。興味なーし」
 あたしはいつものように手を振って答えた。
「まだ何も言ってないじゃないのよぉ!」
「言ったも同じよ。あんたの持ってくる話に興味はないの」
 あたしは冷たく言い放ち、マンガ本を取り出して読み出した。
 だがヤス子はめげない。それはあたしも分かっている。
 彼女は本をパッと奪い取ると、
「今度は違うのよ!」
 と自身ありげに自分のポケットをまさぐりだした。
「なななんと! あの! 慶成医科大学の三年生とのコンパの話なのよ!」
 バン! と机の上にわら半紙を叩き付ける。紙には何の意味があるのか、『てん
こもり!』とデカデカと書かれている。
 その瞬間。――ざわっ!!
 教室中の女の子に変化が起きた。
「ちょっと! 今の話ホント!?」
「行きたい行きたい! あたしも行きたい!」
「いついついつ!? どこでどこで!? 何月何日何時何分何秒!?」
 クラス中の女の子の目の色が変わり、ヤス子の周りに集まってきた。
 慶成医科大学とは、この高校から、駅で三つほど行ったところにある有名大学で
ある。なぜか美形が多いという噂で、『慶成の彼氏を持つ』ことがうちの高校の女
の子の、ステータスシンボルにもなっている。
「だーめだめ! 席数が決まってるの! 今度のこの話はフロッピのために持って
きたんだから! 他の人は駄目なの!」
 しかし、ヤス子があっさりと言うと、周囲からブーイングが上がる。
「けーちぃ!」
「行きたい行きたい! 意地悪しないで!」
 うるさくてかなわない。あたしは蝿を追い払うような口調で、
「いいじゃない別に、行きたい人が行けば」
 ボソリとあたしは呟くが、
「なに言ってるの! これはあんたのためなのよ!」
 ヤス子がいない方があたしのためよ。――と言いたいのをとりあえずこらえる。
「あんたが来ないと計画が……じゃなくていつまで経っても、まともな恋愛一つで
きなくて、一生その歪んだ性格を矯正できないのよ!」
 どうやら何か企んでいるらしい。ま、いいんだけど。
「……別に恋愛に興味はないし、性格が歪んでるとは思ってないから矯正もしたく
ない」
 呟きながらヤス子の手からマンガを奪い返し、再び読みふける。
「…………」
 その瞬間、その場にいた全員が押し黙ってしまったが、まあ、あたしには関係の
ないことだ。
 しばらくヤス子は呆然としていたが、ハッと我に返ると、
「いいこと! 次の土曜日! 迎えに行くから準備して待ってるのよ!」
「ま、いいけどね」
 肩をすくめつつ、あたしはわら半紙をチラリと見た。
 開会時間は午後三時になっている。ということは、余裕を持って二、三時間前に
はヤス子は迎えに来るだろうから、その時間帯にマンガ喫茶にでもいればいい。
 あたしは頭の片隅でそんな計算を行いながら、マンガのページをめくった。

   2

 迂闊だったのは、ヤス子との約束をすっかり忘れていたことである。
 別段気にもかけていなかったものだから、三時間前には家を出て、ヤス子の追撃
をかわす、という計画が瞬時に崩れてしまった。
「じゃ、そういうことで、彼女には必ず男をくっつけて見せます!」
「お願いね! この子の人生は今、あなたの双椀にかかっているわ!」
 熱烈な握手を交わしているのは、母とヤス子である。
 あたしはその横で、今着ている服を眺めてため息をついた。
 童謡で、赤い靴はいてた女の子〜とあるが、彼女が履いていたような靴。靴下は
フリル付きの短い奴。ちょっと丈が長めのピンクのフレアスカート。袖が提灯にな
っているTシャツ。ハートのマークのついたポーチ。おまけに頭には大きな黄色い
リボン。
 要するに、大昔の小学生が付けていたような《お嬢様スタイル》である。
 これだけならまだいいが、極めつけは、柴田亜美バリの仏頂面。ブスッとした顔
がこんな服着てるんだから、自分で言うのもなんだがかなり怖い。
 ……笑っていいともの、服の似合わない大賞に出るんじゃないんだから。――な
どと思いつつ、あたしとヤス子は家を出た。
 会場は駅前のカラオケボックスらしい。実を言うと、そう言うところに入るのは
始めてだったりするのだが、別に興味はないので入りたくもなかったりする。
 中に入ると、そこは白熱灯とミラーボールに照らされ、音楽のガンガンにかかっ
た、とてつもなくうるさい世界だった。
 来なきゃよかった、という後悔の念があたしの心を過ぎる。
「いいこと! 愛想良く、行儀良く! でなきゃ誰にも相手されないわよ!」
 別に、あたしには誰かに相手にされなきゃいけない理由はないので、とりあえず
肩をすくめて見せる。
「おー! 来たな! こっちこっち!」
 大学生らしき男が三人。その部屋にはおり、そのうち一番ヒョロリとした男が、
ヤス子に向かって手招きする。この男がリーダー的役割を果たしているらしい。
 ついでその後ろにいるのが、金髪野郎。というより、『太陽族』の金髪版という
雰囲気が否めない。なんか、軽い感じだ。
 この二人を見れば、ヤス子や他のクラスメート達がキャーキャー騒ぐのも、分か
らないではない。
 だが、三番目の男だけは違った。ちょっと小太りの男で、明らかに二人の小間使
いである。そう極端に太っているわけではないが、かといってその肉が筋肉と贅肉
の見分けがつかないわけではない。その程度。顔も、ハンサムには及第点まであと
少し足りない。
「やっほ! 約束通り、例の難物を連れてきたわよ」
 ヤス子が言うと、
『おー!』
 と言う歓声を、ヒョロリと金髪太陽が上げた。小太りは微笑んだだけである。そ
の歓声は数秒間続いたが、だが、そののちに声は乾いたものになる。
「や……やあ……よく来たね――」
 男は、振っていた手をゆっくりと、所在なげにおろした。あたしがピクリとも笑
わないから、どう反応していいのか分からないのである。
 テレビによれば、女の子はヘラヘラしていれば、男にもてはやされる。それが世
の中の常である。だが、残念ながらあたしはそれが嫌いだ。
「ちょ……ちょっと、挨拶くらいしたらどうなの!?」
 ヤス子が言うのを振り切って、あたしは手近な椅子に座る。
「どうぞ。あたしのことは気にしないで、パーティ始めたら?」
 言って、鞄からマンガ本を取りだして開く。
 こんなことをすれば、どっちらけなのは分かっていたが、しかし本来無理矢理に
連れてこられたわけであるから、意味もなく愛想を振りまく義理はない。
「も……もしかして……怒ってる? 無理矢理連れて来ちゃったから」
 ヤス子はあたしの態度に、さすがに驚いたらしい。だがあたしは、
「別に」
 それだけ答えた。
「え……えーと……。それじゃあ、始めよう!」
 ヒョロリがうろたえながらも、何とか仕切りなおした。


 だが――そんなこんなで、何だかんだ言いながらもパーティは盛り上がった。
 ガンガンと鳴り響くスピーカー。甲高い声。テーブルの上に並ぶジュースとジャ
ンクフード。
 うるさいことこの上なかったが、本人達は至って楽しそうだった。
 もっとも、あたしに話しかけようとする者は誰もいなかったが。
『〜逃げ出したくないから〜どこまでも歩いてく〜☆』
 金髪太陽が、その顔に似合わず女性声優の歌なんぞを歌っている。
 うるさい雑踏を数時間にわたり聴かされた場合、人間が耐えていられる時間は本
当に短い。
 通常の状況であれば、あたしは普通の人間より遥かに長く耐えられるのだが、さ
すがのあたしも、いい加減イヤになってきた。
「ちょっと外に出てくるわ」
 言ったが、うるさくて誰にも聞こえなかったらしい。
 受付を通り過ぎ、入り口から外へ出る。街の雑踏と風が、あたしの頬を程良く冷
やす。
 どうせ、あたしが外に出たことに、誰も気づいていないのだろう。まあ、別にそ
れはそれで構わないが。
 ――そう思っていたら、そうではなかった。
「……あの……」
 不意に、声がして振り返る。そこには三人組のうちの一人、小太りが立っていた。
「あなたは……えーと」
「琴蕗(ことぶき)です。おめでたい名前でしょう? あははは」
 当然、あたしは笑わなかった。
 彼は笑いをフェード・アウトさせる。
「……えと……」
「何か用?」
 言葉に困ったようだったので、あたしは質問を投げかけてやる。
「べ、別に用ってほどのこともないんですけど……えーと、訊きたいことがあって」
「何?」
 特に彼の質問について興味があったわけではないが、とりあえず訊かないと可哀
想な気がしたのだ。
「……なにか、僕達、悪いことしました?」
「いいえ」
 答えるが、彼の顔を見はしない。
「じゃあ……なんで……そう、無表情なんです?」
「それは――」
 言いかけ、しかしあたしは迷った。
 そういう性格だから。――もちろんそれもあるが、そういう性格である理由が、
さらにあるのだ。
「え、えーと! こ、答えたくなければいいんです」
 慌てて彼は手を振った。
 ――しょうがない。あたしは彼の問いに答えてやることにする。
 本当は言いたくはないのだが……。
「……このことはあたしとあたしの父しか知らないんだけど。生まれつきなのよ」
 あたしは答えた。
「生まれつき?」
 彼の疑問符に、あたしはさらにこう答える。
「アルツハイマーの一種。先天性サヴァン症候群。医学生なら知ってるでしょ?」
 と。
 彼が生唾を飲むのが、聞こえてきた。

   3

 目の前の道を通る自動車は、次第にライトを点け始めていた。歩く人はスーツ姿
のキリリとした顔から、酒場などへ向かう明るい顔へと変わっていく。
 今まで騒がしいカラオケボックスの中にいた反動で、街路はやたら静かに感じた。
 邪魔にならない歩道のすみで、小太りこと琴蕗君は、隣の電話ボックスに入って
いく女性からチラリと身を逸らしながら、
「脳活動の極端な異常の代わりに、常人にはあり得ない特異な能力を手に入れる病
気。脳内器官の一部が本来とは違う働きをすることで、脳の働きに『かたより』が
出来るんだってのが、一般見解だね。
 たとえばアインシュタインがそうだったことは、研究者の間では有名な話で、彼
は言語野の一部が本来の働きをしなかったため、他人の文章を読むことができなか
ったと言われているが、その代償としてあの天才的な頭脳を手に入れたんだ。
 それ以外にも、何百年分ものカレンダーを記憶する能力や、聞いただけでピアノ
曲をコピーする能力なんかもあって、事例を上げればキリがない。これらは全て、
脳の能力を一部失う肩代わりに得た能力だ」
 と言ってのけ、最後に、
「だよね?」
 と不安げにあたしを見た。どうやら、彼は記憶力はいいものの、自信という点で
あまり成績が良くないらしい。
 あたしはそんな彼に軽くうなずいて、
「父がそうなの。……あたしも父も、人間の感情的思考を司る『右脳の前頭連合野』
が遺伝的に七十パーセント消失してるのよ。
 だからあたしには、感情ってモノがほとんどないの」
 そう。
 あたしが感情希薄なのは、根性がないからでも、ドラマティックな過去を過ごし
たからでも何でもない。純粋に感情を表現する能力が『ない』のである。もちろん、
サヴァン症候群の中には後天性のものも多々あるが、少なくともあたしは先天性で
ある。
 この『ない』という状況を馬鹿にしてはいけない。
 たとえば、世の中には頼まれたら断りきれない、という人がいる。その事を行っ
てしまったら、自分にとって不利な状況に陥ってしまうとしても、その人は頼み事
を請け負ってしまう。これはその人が優柔不断で、それを治そうと努力していない
のではない。
 本当の意味で、『頼み事を断る回路が備わっていない』のである。だから、他人
が何をどうアドバイスしようと、そんなことは『無駄』なのだ。
 あたしもそれと同じで、感情を表すことができないのだ。これは努力で抗えるも
のではない。
「琴蕗君。あなたは……ヤス子になんと言って呼ばれてきたの?」
 あたしは、こんなカラオケくんだりまで、あたしを引っ張ってきたクラスメート
を思い起こしながら訊ねた。彼女は今頃、ヒョロリや金髪太陽と、楽しく騒いでい
るはずである。
「……ホントはね。来たかったわけじゃないんだ。ただ、女の子を紹介してあげる
って言われてね。
 君のことは『例の堅物』って聞いてたから、大方、堅物女と希代のチェリーボー
イ――まあ、これは僕のあだ名なんだけど――をくっけようって、魂胆だったんじ
ゃないかなぁ」
「……だったら、悪かったわね。無駄よ。そんなことしても。あたしには感情が無
いから、ヤス子やあなたの友達の行為を楽しむことも、怒りに思うこともできない
の」
 あたしが言うと、彼はどう返答していいのか分からなくなったように、ただビル
の谷間を流れる風に目を細めていた。
 しばらくジッと、街に流れる人や車を眺めていたあたし達だったが、不意に琴蕗
君が質問を投げかけてきた。
「……ねえ、一つ、質問していいかな」
「どうぞ」
 あたしはにべもなく答える。
「君の症例はサヴァン症候群なんだよね? ……じゃあ、君が肩代わりとして得た
能力ってなに?」
「教えられないわ」
 あたしは即答した。
 確かにあたしは、右脳の前頭連合野を失うことで、特殊能力を得ている。だが父
は、あたしが小学校に上がる際、その特殊能力がなんであるかを、他人に話すこと
を禁じた。
 理由は簡単である。社会の好奇の目に触れないためだ。
「なぜ!?」
 だが琴蕗君は、やはり予想通りの答えを返してきた。
「君は、自分が病気であることを認めている。だったら! 医者――いや、医者の
卵である僕は、君の話を聞く権利があると思わないか?」
 と、彼は言った。
「自分で言うのも何だけど――あたしが得た能力は、歴史上極めて希有なものなの。
今まで誰も予想しえなかった、すごい能力を持っているわ」
「うん……。だからそれが何か教えてくれないと――」
「でもね、それが『病気のせいで得た能力だ』とあたしが公表したら、医学界はど
う動くかしら?」
「あ……」
 琴蕗君は思わず言葉を詰まらせた。
 極めて珍しい症例に関して、過去の医学者達は常に学術的な興味の念で、患者達
を見てきた。治療という、愛を与えるべき能力欠落者という目で見る傍ら――、
 ――『面白いモルモット』という目でも、あたし達を見るのである。これは彼ら
が人間で、しかも研究者である以上、仕方のないことだ。
 ここでは言えないが、あたしはマッド・サイエンティストが涎を流すのに、充分
な要素を持っているのである。
 医者によっては、頭蓋骨を開けて電極を突き刺す、なんて実験もやりたがるだろ
う。
 だがあたしは他人の世話にならなければならないほど、症状がひどいわけではな
い。すなわち治療の必要はない。
 だから、あたしの持つ『この』能力は、人に見せることはしたくないのだ。
「…………」
 しばし、彼は何も言わなかった。
「あたしはあなたの世話になる気は毛頭ないし、その必要性も感じてないわ。だか
ら、できれば放っておいてくれないかしら?」
 チラリとあたしは、横に立つ、小太りで気のいい青年を見る。
 彼はしばらく、ギュッと拳を握りしめ、そして、
「分かった」
「…………。さ、戻りましょ。あたしは荷物を取ったらもう帰るわ」
 彼にそれ以上の返答を求めることもなく、あたしはきびすを返して店の中へ入っ
ていった。


 人生の転機というものは、大なり小なり、その九割は自分の力で導いた必然では
なく、偶然によって起こるものである。
 あたしも琴蕗君もまさか、たった今自分達がいた部屋の中で、かのような騒ぎが
起きていようとは、思いもしなかった。
「……何やってるの? あんた達……」
 部屋に入ったあたしの第一声はそれだった。
 床にはヒョロリと金髪太陽が伸びており、ソファの隅っこ上で、ヤス子が震えて
いる。
 そしてその光景を作り出したらしい、『いかにも』といった雰囲気の高校生が―
―つまりあたしと同い年くらいの男の子が――三人、
「よぉ! 新しい姉ちゃんのお出ましだぜぇ!」
 と、何やら訳の分からぬ世迷い言を繰り返していた。
 事が起こってから、まだ数分の時間は過ぎていないらしく、最後にリクエストさ
れた曲(往年の迷曲、スシ食いねぇである)が、ボーカル抜きで流れていた。
 はっきり言ってしまえば、ヤス子は美人である。
 好みは人それぞれであるから、一概に『モテる』かどうかは判断できないが、過
去において芸能スカウトマンに、五回も声をかけられたという経歴は伊達ではない。
 そしてこの状況から判断するに、この三人の高校生達が、ヤス子目当てで部屋に
殴り込んだ、と言うのが正解だろう。
「……ふ、フロッピ……」
 やたらとハイテンションな彼らに対し、ヤス子は既に腰が抜けているらしい。
「はあ……」
 あたしは大きくため息をついた。
「ヤス子……。どうしてこういう面倒くさいことに巻き込まれるのよ……」
 実を言うと、受付の前を通るとき、そこにいた兄ちゃんがあたし達からサッと目
を逸らしているのだ。彼はこのことを知っていたらしい。
 おおかた、騒ぎに巻き込まれるのを恐れてのことだろう。
「琴蕗君、ここはいいから、とりあえず『救急車』を呼んでちょうだい」
「え? あ……ああ……」
 何が起こったのか、状況を把握しきれていなかったらしい彼は、あたしの支持を
受けてさっさとこの場を離れていった。
 そんな彼を、高校生達は追うこともせず、
「みんなでコレしようよぉ!」
 とポケットから白い粉の入った、小さな袋を取り出した。
 明らかに――麻薬だ。彼らの錯乱具合から推測してアップ系……恐らくは、スピ
ードかヒロポンだ。
「ななななな! 俺達と一緒にさ! やろうよ! ななななな!」
 肩に手をかけてくる男の手を振り払うが、彼はしつこく言い寄ってくる。
 どうするか。あたしは悩んだ。
 普通に立ち向かってどうにかなる相手ではない。あたしには感情がないから、錯
乱することもない。だから落ち着いてものを考えられるのであるが、この状況はど
う見たって、泣き寝入りするしかないものである。
「たすけて……」
 声にならない声で、ヤス子は言った。いや、そういう口を形作った。
「はあ……」
 もう、こうなってはどうしようもない。
 あたしは『奥の手』を出すことにした。
 執拗な男の手をふりほどき、彼らの言動を全て無視してソファに座る。
 そして、鞄からマンガを取り出して、『それを読み始めた』。
「あ……?」
 一瞬、あたしの行動の真意が掴めなかったらしい。あたしに声をかけてきた男が
キョトンとする。
 ちなみに、マンガは本ではなく、一ページだけの切り抜きである。あたしのポシ
ェットの中には、こうしたマンガの切り抜きが、アカサタナ順に整理されて、数多
く入っているのだ。
 そして、今読んでいるのは、藤子・F・不二雄の『エスパー魔美』。藤子不二雄が
解散するか否か、という頃に描かれていた、エスパー少女の物語である。
 ページにササッと目を通しただけで、再びそれをポシェットに片づけると、
「さ。終わったわ。かかってらっしゃい」
 と、こう言った。チラリと脇目でヤス子を見、
「……ヤス子、できればあんたの前で、こんなことしたくなかったけど……」
 と言ったが、彼女は震えるだけで何も答えなかった。
 彼らは一瞬、何のことだか分からないと言った顔をしていたが、
「こいつ、おかしいんじゃねーの!?」
 と叫んだ。
「おかしいのはあんたの方よ……」
 あたしは呟き、右手の親指、人差し指、小指の三本を立てるという、エスパー魔
美独特のエスパーサインを作って天井に掲げた。
 ――瞬間!
『ドン!』
 あたしを笑った男が、何かにはじき飛ばされたように宙を飛び、カラオケセット
と衝突した!
『……パン!』
 カラオケセットは火花を上げて部品をはじき飛ばし、
「げえ……!」
 という声を上げて男はのびた。
「倉沢! ……てめえ!」
 残った二人の男のうち、背の高い方が叫んだ。怒ったらしい。
「あんた達が悪いのよ。怒るのは、お門違いじゃないかしら?」
 あたしは言うが、そんなことろくに聞きもせず、男はナイフを取り出して襲いか
かってきた。
 だがあたしは構わず、エスパーサインを作ったままの手を右に振った。
『ガン!』
 するとそいつはナイフを振り上げたままの姿勢で宙に浮き、開けっ放しのドアか
ら外に飛び出、向かい側の壁に頭を打ち付け、そしてのびた。
「面倒だわ。……あんたも沈んでなさい」
 あたしは残った一人を一睨みし、腕を振り下ろすと、
『ぐきっ……』
 骨を鳴らしたときのような音がして、彼は地面に這いつくばり、
「ぎゃあああ!」
 と叫ぶ。足首が奇妙な方向に曲がっているが、命に別状はあるまい。
 こうして、ヒョロリと金髪太陽を加えた五人の男が、床の上に根っころがること
となった。
「ふう……」
 あたしは右手のエスパーサインを崩すと、「ヤス子……大丈夫?」
 と声をかけた。
 だがそのときすでに、彼女は気絶していた。
 これで……『あたしの秘密』を誰にも見られずに済んだ。
 そう思った瞬間、
『カラン……』
 背後で音がして、あたしは思わず振り返った。
 そこにはやはり、驚愕の視線であたしを見ている、琴蕗君がいる。
「……見たのね?」
 話しかけると、彼はコクンとうなずく。
 ――そう。
 あたしがサヴァン症候群患者として得た能力が、この超能力である。テレキネシ
スではない。
 日本人の描くマンガの主人公は、ラブ・ロマンスものを除き、ほとんどのキャラ
クターが特殊能力を持っている。魔法、銃火機使用、格闘技、ドライビング。その
種類も様々だ。
 そしてあたしの能力とは、その主人公達の持つ特殊能力を、そっくりそのままコ
ピーしてしまうことなのだ。
 たとえば、今のようにエスパー魔美のマンガを読めば超能力が身に付くし、名探
偵コナンを読めば類い希なる推理力が身に付く。
 あたしがマンガばかりを読んでいる理由が、これで分かっただろうか。
 訓練や勉強は関係ない。物理現象の云々も関係ない。人格変異を除くほぼ全ての
『特殊能力』を、あたしは現実の元に再現できるのである。もちろん、多少の制約
はあるのだが。
 そして、これで『人目にさらしたくない』理由も分かっただろう。
 こんな能力を目の当たりにすれば、人並みの好奇心と知識欲を持ち合わせた人間
ならば、どうなっているのか調べたい、と思うのが常である……。
 琴蕗君はブルブルと震えながら、その惨状を眺めていた。
「これ……本当に君がやったのかい?」
 その問いに、あたしは肯定も否定もしなかった。だが、
「もしあたしの秘密を誰かに喋ったら……、次はあなたがこうなると思いなさい」
 と言う。
 仕方ないのだ。秘密を――あたしの身を守るためには。この脅しは、自己防衛の
ための当然のセリフなのである。
 あたしはポシェットを肩に引っかけると、全てを放り出して帰ることにした。こ
の惨状を見れば、救急車のあとに警察も来るだろう。
「あとよろしく。言うまでもないけど……あたしのことは警察には言わないことよ」
 それだけ言って、あたしは彼の脇を通り過ぎる。
 が。
「待って!」
 彼が突然叫んだ。その声であたしは立ち止まる。
「なに?」
 チラリと振り返ると、彼はカッと目を見開き、しっかりとあたしを見てこう言っ
た。
「これで……僕は君を放っておけなくなった」
「……無用なお節介は、被害者を増やすだけよ」
 この一言が、悪循環の始まりであったことを、あたしはまだ知るよしもなかった。

「これで……無関係じゃなくなったぞ……!」
 あたしにいきなりキスをした琴蕗君は、のうのうとそう言い放った。
 だが次の瞬間。
『パチン!』
 あたしの手のひらが彼のほほの毛細血管を破壊し、彼のそこは見る々々うちに赤
く腫れ上がった。
 彼は言い訳も反撃もすることなく、こう言う。
「君は他人はおろか、自分をも蔑(ないがし)ろにしすぎる!」
 言って彼はあたしの目を見つめ、「君はもっと自分のことを考えるべきなんだ!」
 だが、あたしにはそれに反撃してる余裕はなかった。
「だからなに!? あんた、何考えてるの!?」
 声は、怒りに震えていた。その震えに、自分で驚いた。
 ――今。
 自分の中に《怒り》と呼ばれる現象が漂っていた。……その現象に、あたしは漠
然と『ああ。これが怒りというものなんだな』と考えていた。
 あたしの中に眠る感情――すなわち、脳内神経の興奮パターンは、ごく限られて
いるはずだった。弛緩、守護感、情操、そしてわずかな嫌悪感。これだけしか感じ
ることのできないはずだったあたしの心は、彼の行動に対し、著しい憤慨を覚えて
いた。
 その怒りを抑えるため、あたしの腕は、あたしの意志に反してもう一度彼に平手
を浴びせようとした。
「…………!」
 彼は目をつぶってそれに備える。
 ……だが。
 あたしは彼を殴ることはできなかった。どんなに殴っても事足りるはずのない行
為を、したくて仕方ない行為を、することができないのだ。
 なぜなら、手が彼の頬に近づいた途端、あたしの胸を、風邪をひいたとき、ある
いは二日酔いのときに見られる嘔吐感が、怒涛のように襲ったからだった。
「うぐっ!」
 彼の舌の感触の記憶が、その吐き気を作り出した正体だった。望まざる体験が、
あたしに大量のストレスを発生させたのである。
 口を押さえ、琴蕗君に背を向けて走り出す。これ以上は彼の顔を――彼に関する
全てを見ることができない。
「ちょっ!」
 あたしの肩を掴もうとした彼を振り払い、本屋の方向へ駆けだした。
 彼が追いかけてきているのは分かったが、構っていられなかった。テラス構造に
なっている建物の脇を駆け抜け、反対側まで来てやっと立ち止まる。
 立ち止まった瞬間、うずくまって本当に吐いた。
 さっき飲んだミルクティーが、残らず地面に散らばる。それでも嘔吐感は治まら
ず、あたしは胃液だけを吐き続けた。
 マンガやテレビで、キスシーンは何度も見てきたが……これでは、『恋人同士』
と言われる種族はまさに変態だ! 人間が人間に振れるときの、嫌悪感を楽しんで
いるとしか思えない!
「フロッピ! 大丈――」
「さわらないで!!!!」
 追いついた琴蕗君に声をかけられ、あたしは喉の奥底から声を出した。そうでも
しないと声が出ないのだ。
 あたしはポシェットに手を伸ばすと、マンガの切り抜きを一枚抜き取った。その
ページには、宇宙海賊の女の子が、自らの持つ能力でもって瞬間移動するシーンが
描かれている。
 それを読んで超能力を得たあたしは、周囲の目を気にする余裕すらなく、自宅の
すぐ側まで一瞬で飛んだのであった。


 あたしの家のすぐ側には、多摩川が流れている。周知の通り土手は拡張工事を施
されており、遊びやすい構造になっていたが、そこで遊ぶ人影はほとんどなかった。
「ふう……」
 川の水で顔を洗ったあたしは、その場に仰向けに横たわり、大きく溜息をつく。
 ほんの数分前の出来事は、何度もあたしに嫌悪感を与えたが、しかし、吐くほど
のものではもうなくなっていた。
「……怒り……」
 ポツリと呟く。――それは、本当に生まれて初めて感じた感情だった。しかし、
それが何か別の感情ではなく、『怒り』であることが、あたしには的確に分かった。
 右脳前頭連合野。情動的思考を司る部位を遺伝的に損失しているあたしが、初め
て経験したもの。
 心の奥底からわき上がってくるような、不思議なもの。
「…………」
 考えてもしょうがない。あたしはそう結論し、立ち上がった。あれは一時的なも
のなのだ。生まれて初めての経験に、一時的に身体が過剰反応しただけなのだ。
 現に、あたしにはもう、本を買い忘れたことを、後悔する余裕すら生まれていた。
「帰ろう」
 ポシェットの口が開いたままだったことに気づき、それを閉めながら辺りにマン
ガが散らばっていないことを確認すると、あたしは家へ向けて歩き出し……。
「え?」
 あたしは唐突に気づいた。――気づくだけの余裕ができた、と言う方が的確か。
「ここ……どこ?」
 呟く。が、それは分かっている。多摩川のほとりだ。あたしの家のすぐ近くにあ
る。
 だが問題はそんなことではない。
 あたしがテレポートする瞬間、読んだマンガは、『天地無用!』というタイトル
のものだ。これには数多くの主人公が存在するが、その中でも、宇宙海賊の魎呼
(りょうこ)という女の子が、瞬間移動能力を持っている。その能力を使い、あり
とあらゆる場所へ転移するのだ。しかし……彼女は転移先を間違える、なんてこと
はなかったはずだ。
 あたしは、読んだマンガの登場人物の能力を完全にコピーする。それこそ、寸分
違わずに、作者が頭の中だけで考えていた裏設定までもだ。当然、マンガの主人公
がミスをするという設定がなければ、あたしも間違えることはない。
 もちろん、日本人のプロが描いた、コミックスでなければならないとか、持続時
間とか、人格や姿に関することはコピーできない、とか他にも色々制約はあるが、
それでも、『コピーに失敗した』ことは一度もなかったはずだ。
「…………」
 あたしは考えた。意識の混乱? それとも何か、あたしの知らない裏設定があっ
たってこと……?
 いくら考えても、答えが出るはずもなかった。
 そうだ。父に相談してみよう。――この世で唯一、あたしの秘密を最初から知っ
ていて、力が暴走しないように訓練を付けてくれ人。父ならば何か分かるかも知れ
ない。
 あたしは自分の能力に対する漠然とした不安を胸に、家路についたのであった。


「しかし、驚いたな。ホントに消えやがった」
 琴蕗の背後で、誰かが呟いた。彼女が消えた地点。新宿駅にあるデパート高島屋
ビルと、その隣にある紀ノ国屋ビルをつなげる連絡通路。
 唐突に消え失せた少女のいた地点には、彼女が戻したジュースが、まだそのまま
になっており、琴蕗はそれをジッと見つめていた。
「ま、次は頑張ろうぜ」
 そう言って琴蕗の肩に手を置いたのは、彼女が金髪太陽と呼んでいた男だった。
太陽族は、彼女の父親くらいの世代に流行したライフスタイルであるが、なぜ彼女
がそんなことを知っていたのかは、謎である。
「唐沢……なあ。もうやめようぜ」
 琴蕗は、彼女の前ではしたことのない、医大生の口調でそう言った。異臭のする
それをジッと眺め、この光景を作り出した原因が自分であることを、考えてみる。
「はあ……」
 唐沢はしかし、溜息をつき、「まあいい、そう思うんだったら一人でやめな」
「駄目だ。みんなでやめるんだ。今のままじゃ、俺達ただ、彼女で遊んでるだけじ
ゃないか」
「何を言ってる。人間の脳内構造の調査の絶好のチャンスだって言ったのは、おま
えだぞ。旨くやれば、教授から三重丸と花丸までもらえるって、言ってたじゃねー
か」
 言って、唐沢はガハハハと笑う。
「笑ってる場合じゃねーよ……」
 イライラと肩の手を突き飛ばす琴蕗に、
「何イジけてんだよ。さ! 行こうぜ」
 と、手を伸ばすと、琴蕗は一瞬チラリと唐沢を見ただけで、
「俺、一人で帰る。おまえ、向こうで待ってる深尾と一緒に帰れ」
 と言った。
「あ、ああ……分かったよ。でもおまえ、どうすんだ?」
 琴蕗は即答した。
「謝りに行く。全てを話して、二度とこんなことしないって、言う」
 言って立ち上がり、新宿駅とは反対の方向へ歩き出した。
「なんだ……! おい! そんなことして、ヤス子ちゃんになんて言うんだ!?
それに、あいつらの『入院費』だって還元できてないんだぜ!」
「勝手にしろよ。僕は知らない」
 逃げるようにそう言い、琴蕗はその場を去った。

                                  つづく