作品名:『契約』 製作 : 97/01/24(6KB) 作者 : おじゃ 氏 形態 : 短編(ショートストーリー) <契約> 「そんな所で寝ていると風邪ひきますよ」 金曜日、時間は、午後一〇時を回っていた。寒い風を避けようと、襟を立て ながら駅に急いでいる時、ふと私は道端にその男を発見した。 「う、う〜ん・・・」 暗くてよくわからなかったのだが、よく目を凝らして見直すと、どうだろう。 年齢は二〇歳前後だろうか、長髪を結いだ感じの袴の男ではないか。今の御時 世に、袴というものなんだか可笑しい。この寒さだ、このままではと思い、軽 く揺さぶって男を起こした。 「・・んん、あぁ、どうも、ちょっと居眠りをば・・・」 「馬鹿いわないで、さあ、こんな所で眠っていては駄目だよ! ほらほら電車 が無くなる前に」 そう言うと、腕を思い切り引っ張って起きあがらせた。なんと軽い身体だろ うか、予想していた手の感覚とは全く別で、まるで赤ん坊を持ち上げたかのよ うな手応えだったのである。 「おっと、軽いねぇ。・・・じゃあ、家に帰ってから寝るんだよ」 後ろに向き、とぼとぼと歩き始めた彼を尻目に、私も家路を辿った。 電車に揺られて町の光が遠ざかっていき、自転車で田舎道を走っているとど うだろう。先程町中で見掛けた彼が、電柱を枕に寝ているではないか。既に意 識が無く完全に熟睡しているようで、はたいても揺らしても目覚める気配がな い。この寒い日に、このままでいるのは自殺行為だと判断し、家に連れていく 事にした。 居間で一段落つくと、焼酎を取り出してきて晩酌と洒落込んだ。 妻も子も居ないが、れっきとした一戸建だ。一〇年前の交通事故で家族を失っ た時から、私の人生は変わった。その後、会社は数々の異動を命じた。片道三 時間、今の部署への所要時間だ。家のローンはあと二〇年近く残っているし、 帰ってきたところで、主人を待つ者も居ない。五年前だろうか、再婚を目前と した七月の暑い日、私の全てとも言える預金通帳を持ち逃げした彼女は、家か ら数キロ離れた絶壁から車ごと突っ込んだ。しかもローンの支払いが残ってい る私の車を。 「ちくしょう・・・ちくしょう・・・」 いつもの事だった。酒に溺れて気がつくと朝、そんな毎日が私を待っている だけ。しかし、今日は違っていた。 「やあ、お目覚めかな?」 「あ、あれ? 確か〜・・・・電柱で〜」 「ええ、あのままだと死んでしまうかもしれないと思いまして、とりあえず家 まで背負ってきたんですよ」 「こ、これはまた、どうお礼をしたらいいのやら・・・」 私は幸せだった。妻が死んでから、一度として家に人が泊まった事など皆無 だったからか? いや、まるで自分の息子が成長して戻ってきたかのようだか らだ。すでに一〇年、孤独と戦ってきたのだから・・・。 「いやいや、お礼なんてとんでもない。ところで君、家はどこなんだい? 近 ければ、タクシーでも呼べるんだが」 「・・・家、ですか。・・・実は−」 「いや、いい。色々事情があるんだね、まあ、ここでゆっくりしていきなさい。 別に迷惑でも何でもないし、部屋も十分ある」 「ほ、本当ですか?! なんとお礼を・・・」 「ははは、私も一人では寂しいからね。君が居てくれるだけでも寂しさから開 放されたような気がするよ」 それから数年、私は何事もなく幸せな日々を送っていた。ただ、彼は老ける 様子もなく、青年のままの姿でいる事が気掛かりだったのだが。 とある冬の日、すがすがしい目覚めとともにその絶望を予感した。彼が初め てこの家に来た時の袴を着ていたのである。 「な、なあ、そんな袴を着て、どこかにお出かけかい?」 「・・・いえ、そろそろ行かなければなりませんので・・・」 「行くって、一体・・・」 彼の後ろに、髪の毛の微かな黒が集まり始めたとか思うと、半透明の翼が浮 び上がってきた。袴は黒く変色し、その風格はまさしく・・・ 「・・・見ての通りです。私は人から悪魔と呼ばれる者です。仕事もこなせず 道端で帰る時を待っていたのですが、丁度あなたが通り掛かりまして・・・」 「私に願いを・・・?」 「でも、出来ませんでした・・・。私には少々いらない感情があるようで、ど うしても言い出せないのです・・・」 「君は私の願いを叶えてくれた。孤独から開放するという、素晴らしい願いを。 君には私の魂を貰う義務があるんだ、さあ、持っていきなさい」 「し、しかし・・・」 彼は、確実に迷っているようだった。私の年齢はすでに五〇歳を超えた。彼 が来てからの毎日は、それはもう楽しい日々だったのだ。後悔はしない、彼に 魂を譲る事は、私の責任であり彼の義務であり、それが契約されていなかった としても、私は構わない。 「・・・願いは三つ、魂を手にする為には三つの願いを叶えなければなりませ ん。せめて、三つの願いを言ってください」 「そうか、三つもあるんだな・・・。どう使おうか・・・」 私は迷った。今の自分の人生に悔いは無い。欲しい物は何もない、この私に 他、何があるだろうか。 「何も無いのでは、駄目だろうか?」 「駄目です、三つの願いが契約として成り立つ唯一の手段です。人の願いが私 の力を増幅し、発揮できるのです。魂を取り出すのは、三度の願いが叶った 時の願いの消える力が必要なのです」 「そうか・・・難しいものだ、無駄に願いを叶えるというのも・・・」 「自分に必要な願いでしたら、どんなに心がこもっていなくとも結構です。そ れがどんなに大きな事でも・・・」 「・・・そうだな、じゃあまず一つ目は、若がえりたい」 彼は私の額に手をかざした。不思議ではあるが、瞬時に私は二十歳程度の姿 に戻っていた。これが願いの力という物だろうか。 「さあ、あと二つ」 「二つ目は、私が五〇歳になってから魂を取って欲しい」 「三〇年後ですね、ただし、事故や自殺による死亡の際にも私は魂を頂きます が、それでもよろしいでしょうか?」 「ああ、もちろんそのつもりだ。なかなか言葉がそれらしくなってきたね。そ して最後の願いだが・・・」 「願わくば、聞きたくないものです・・・」 「君には、私が五〇歳になるまで人になっていてほしい」 「えっ?」 彼は、余りの変な願いに、その驚きを隠せないでいた。数分はそのままだっ ただろうか。彼が平常心を取り戻した頃、私は言った。 「もちろん、事故や自殺等で死んだ場合には、魂を取っていい」 「・・・そんな願いでよろしいのですか? もっと、優雅に時をすごしたいと か、大金持ちになって世界を飛び回りたいとか・・・」 「いや、私にとって、一番幸せなのは君と時をすごす事だなんだ。今は唯一の 家族だと思っているよ。しかし、一生と言っては、君の仕事に差し支える。 せめて、あと三〇年間だけでいい・・・。こんな願いは駄目だろうか」 悪魔の姿は、風に流れるように普通の青年に戻っていった。 「判りました。三〇年後ですね、事故や自殺等は決して私が許しませんよ」 ほほ笑み、涙を流しながら、彼はそう言った。