作品名:『無情……』
  製作  : 97/01/28(7KB)
  作者  : 陳 鵬慶  氏
  形態  : ショートショート

 「やぁ、こんにちは!」
 「だ、誰だあんた・・・?」

 時速100キロを越えるスピードでハイウェイを疾走する自動車の助手席に、
突然一人の男が現れた。ハンドルを握っていた若い男は、突然の出来事に慌てて
ブレーキを踏んだ。
 「いけません、こんな時に急ブレーキをかけては!」
 助手席の男は慌てて制した。彼の冷静な判断と、後続に車両が無かったことが
幸いして大惨事は免れることができた。
 「高速走行中に急ブレーキをかけたらどうなるかを教習所で習わなかったの
ですか?」
 若い男は、突然他人の車に押し掛けて来たうえに、自分が被害者であるが如く
真顔で説教を垂れる闖入者に段々腹が立ってきた。
 「あんたいったい誰なんだ!俺に何か恨みでもあるのか?」
 「おお、申し訳ありません。自己紹介がまだでしたなぁ・・・」
 「そういう問題ではないんだが・・・」
 男は困惑した。高速で走行中の車の中に突然人が現れることなど常識では
考えられない。仮に後部シートや、トランクの中に隠れていたのだとしても、
狭い車内で運転席に座っている自分に気付かれることなく助手席にたどり着く
ことは不可能である。
 「そうか、これは夢なのか・・・」
 男は、こういった理不尽な状況に陥った多くの人間がやるように、自分の頬を
思い切り抓ってみた。
 「痛っ!」
 どうやらこの出来事は夢ではないらしい。彼の頭の中は益々混乱してきた。
 「私が夢の中の登場人物でないことを納得していただけたようですね・・・」
 助手席の男は、ちょっぴり皮肉のまじった笑顔を浮かべているようだ。
 「そうらしいな。あまり嬉しくない結論だが・・・」
 男は路肩に停車して、じっくりと闖入者の話に耳を傾けたかったが、三十分
以内に取引先に商品のサンプルを届けなくてはならなかった。途中で計算外の
渋滞に巻込まれたために、彼に残された時間はあまり多くなかった。
 「忙しいのでまた出直してくれないか?」
 「貴方がそれをお望みならばそういたします。ですが、その判断は私の話を
聞いてからでも遅くはないと思いますよ」
 助手席の男の顔には相変わらず笑顔が浮かんでいたが、先程までの皮肉な
感じは消えていた。
 「まあ良いだろう。正直なところ今の俺には、あんたをこの車から摘まみ出す
時間さえ惜しいんだ。喋りたいだけ喋ってもらってかまわないが、妙な気を
起こして俺の運転を妨げるような行為をしたときは、君も一緒にあの世へ逝く
ことを忘れないでくれよ」
 「了解いたしました」
 男は礼儀正しく頭を下げた。
 「申し遅れました。実は私、悪魔なのです・・・」
 「・・・はぁ?」
 助手席の男の姿をまじまじと見つめてみたが、どう見ても普通の人間と変わら
ない気がした。彼の葛藤を見透かしたように、自称“悪魔”はにやりと笑った。
 「わたしの姿が人間臭すぎると疑問をお持ちのようですね。まあ、この姿は
営業用のものでして・・・」
 営業用という言葉に、彼は苦笑いせずにいられなかった。
 「悪魔っていうと、翼があって、角がはえていて、尖がった尻尾があって、
黒い全身タイツを着けたイメージが強くてね・・・」
 「得体の知れないSF小説や、くだらないTV番組の見過ぎです。我々は、
決してそのような姿で人間の前に現れることはありません!」
 悪魔と名乗る男は、相変わらず人の良さそうな笑顔を浮かべながら彼の顔を
見つめていた。
 「いや、すまない・・・」
 彼は非科学的な存在を肯定するタイプの人間ではなかったが、悪魔と名乗る
男の登場シーンを思い返してみると人間であると考える方が不自然に思えた。
 「とりあえず、あんたが悪魔であるという前提で話をしよう。肝心なことは
俺の前に現れた目的だ。魂をよこせと言うなら勘弁して欲しい。もっとも、
あんたが本物の悪魔だったらどんなに抵抗しても無駄なんだろうが・・・」
 男は横目で悪魔の様子をうかがった。悪魔は少々気分を害したようで、物腰
柔らかな口調をはじめて崩した。
 「勘違いなさってはいけません。我々悪魔族は、無差別に人の魂を刈り
取ったりはいたしません。そのような行為は商売敵である死神の手口です」
 「あ、そうなの・・・。俺はシロートだから、その辺のところがわからない
もんで・・・」
 そんなものに素人もプロもあるわけがない。しかし彼は、悪魔の勢いに
飲まれて訳のわからない弁解をしていた。
 「まあ、そういうことでしたら仕方ありませんね。これからは気をつけて
くださいね・・・」
 男に謝罪され悪魔も一応納得したようだ。
 「正直申しまして、我々悪魔も人間の魂を集めていることは事実です。
しかし、悪魔は人間の望みをかなえたうえで魂をいただいております。
どうです、悪魔の方が死神よりも良心的でしょう?」
 「はあ・・・」
 ここまで悪魔にキッパリと言い切られると彼は黙って頷くしかなかった。
この件に関する死神の反論も聞いてみたい気がするが・・・。
 「いかがでしょう、御契約願えませんでしょうか?貴方の願いを1つ叶えて
差し上げますから・・・」
 悪魔は揉み手をしながら男に擦り寄って来た。
 「念のため申し上げますが不老不死や、神や悪魔になりたいといった類の
願いはお断りさせていただきます」
 「ちぇっ!」
 男の頭を一瞬よぎった考えは、口に出す前に否定されてしまった。おそらく
悪魔には人間の考えが読めるのだろう。
 「それを認めたら、悪魔や死神は失業してしまいます。それに神はともかく、
悪魔や死神になんて望んでなるもんじゃないですよ・・・」
 悪魔は妙にしみじみと呟いた。
 「そんなもんかなぁ・・・」
 男は悪魔の顔を覗き見たが、彼の表情からはその言葉が本心なのかを読み取る
ことはできなかった。
 「そんな邪悪な妄想よりも、目先の楽しさを追い求めた方が良いのでは?
巨万の富でも、絶世の美女でも、同性愛の方でしたら素敵なアニキでも・・・。
何でも貴方の欲しいものが手に入るのですよ」
 男は悪魔の言うことを冷静に考えた。悪い話ではない・・・。正直なところ、
上司や取引先にぺこぺこ頭を下げながら生きて行く人生にうんざりしている
ことも事実である。
 「確かにあんたの言うとおりかもしれない。これからの人生を平凡に生きる
より、あんたの口車に乗って面白おかしく生きてみるのも悪くないな・・・」
 「ありがとうございます。契約成立ですね!」
 悪魔は男と握手を交わした。
 「そうするよ。だが、あまりに突然のことで何を叶えてもらえばいいのか思い
つかないんだ・・・」
 「ごもっともです。叶えてさし上げる願いに関しては、3日後にまた伺い
ますのでそれまでに決めておいてください」
 数百年ぶりに契約を成立させた悪魔は、天使のような笑顔を浮かべながら
男の両手に頬擦りをした。しかし、突然男は表情を強張らせた。
 「・・・待て、手を離せ!」
 彼は悪魔の手を振りほどこうと懸命に抵抗を始めた。
 「自分から契約すると言っておきながら、急に心変わりするなんて酷いじゃ
ないですか・・・」
 悪魔は久しぶり手にした契約者を逃がしてなるものかとばかりに、相手の
身体にしがみついた。
 「や、やめろ・・・。離してくれ!」
 「嫌です!貴方がもう一度契約すると言ってくれるまで絶対に離しません」
 「契約を破棄するなんて一言も言ってない!あんたが俺の手を離さないから
ハンドルが切れないんだ・・・」
 「へっ?」
 男は懸命にブレーキを踏んだが間に合わなかった。ガードレールを突き破った
車は、勢い良く谷底に転落して行った・・・。

 「悪いな、横取りする形になっちまって。だが、これがルールなんでね・・・」
 死神はショックで放心状態の悪魔に向かって小声で呟いた。
 「あと一歩のところだったのに。契約を成立させても、毎回願いを叶える前に
死なれてしまう・・・」
 「あんた達悪魔は、契約に縛られるから大変だね。願いを叶えないことには
魂を持ち帰ることができないんだから・・・」
 「・・・・・・」
 死神は先程事故死した男の魂を抱えると、愛馬ワイルドホースに跨った。
最後にもう一度悪魔の方を振返ると、未練たっぷりの表情で魂を見つめている。
 「あいつ、悪魔よりも死神向きかもな・・・」