作品名:『新・八又大蛇』
製作 : 98/01/18(21KB)
作者 : 瞳夢 氏
形態 : 短編(パロディ)
第一回全日本昔話『新・八又大蛇』
オープニング
西暦で言うと、ざっと紀元前百年頃になるだろうか。
当時、北九州は『倭(やまと)』と呼ばれており、全国を統治する政都として栄
えていた。
倭の都で、現国王の政治は栄華を極め、人は彼を『最も偉大な王』と呼ぶに至っ
た。
王は、税金制度だけでなく、外国に対する軍備制度、また治安維持制度、福祉制
度などを、日本で初めて充実させたほどの実力者であった。
しかし、そんな王にも一つの悩みがあった。――それは、跡継ぎのことである。
いや、跡継ぎがいないわけではない。彼には一人の息子がいた。
その名は……、
「へっへへーん! 捕まえられるものなら捕まえてみろ! おしーりぺーんぺー
ん!」
広い、広い庭先を、そう叫びながら走り回る青年がいる。
年の頃なら十六、七。立派な服に身を包み、高貴な生まれであることは分かるの
だが、その行動は至って粗暴で、彼が通ったの庭は、まるで嵐の後のようだ。顔は
ハンサムであるが、短い髪を結うこともしておらず、乱れたまま。またその勇野な
瞳は、まるで悪戯好きの少年のそれであり、歳相応の大人しさなど、微塵も持ち合
わせていないようであった。
「お待ち下さい!」
「お父上様がお呼びです!」
「止まりなさいコラ! 止まらないと酷いからね!」
そして彼は、数人の女性達に追いかけられていた。と言っても、彼女らの眼には
明らかな怒りがあり、アイドルがファンに追いかけられる、といった類の騒ぎでは
ないことは、確かだ。
察するに、彼が悪戯したことに怒った女性達が、彼を追いかけている、というと
ころだろうか。
その中で、中心になって追いかけている女性は、ほとんど少女と呼ぶに相応しい
ほどの、女性だった。歳は十五、六ほど。多少大人びた雰囲気を持ち合わせてはい
るものの、その大きくてクリッとした瞳には、充分幼さを残していた。
今や、庭師が懇切丁寧に手入れを施した庭は、原形もとどめぬほどに荒れ果てて
おり、それらはすべて、彼のしわざなのであった。
「いい加減にしなさい! イザナギ!」
と少女は叫んだ。
青年の名はイザナギ。世に知られたイザナギノミコトの、幼少の姿であった。そ
して、彼こそが、現倭国王の一人息子であり、唯一の跡取りであった。
こんな息子を持った王が、思い悩むのも無理はないと言えよう。
「それはこっちのセリフだ、ヨーコ! パンツいっちょくらい、いいだろうが!」
そして、ヨーコと呼ばれた少女は、のちにイザナミノミコトの名で呼ばれること
になる女性であった。ただし、今はまだ幼名を名乗っている。
「いいわけないじゃないの! 返しなさいよ! あたしのパンツ!」
と、彼女は武器代わりの竹の棒を振り回して、叫び返す。
「捨ててあったパンツは拾って使うのが、リサイクルって物だろうが!」
「あれは捨てたんじゃなくて、脱衣場に脱いであったの! そんなことも分からな
いの!?」
現在、彼らが走り回っているのは、イザナギの自宅でもある、『朝廷』と呼ばれ
る場所の中。当然、そこには数多くの官僚達が行き交っている。そんな場所で、い
い年した男女が、『パンツ、パンツ』と叫び合っているのは、異様と言えば異様で
あり、周囲の者達はギョッとして、事の成りゆきを見守っているのであった。
イザナギは、庭石と言わず芝と言わず、そこにある物全てを荒らしながら逃げ回
る。
そしてヨーコは、彼が荒らした場所に追い打ちをかけながら、突き進む。
そのあとを侍女達が、トドメを刺しながら二人を追いかけているので、既に庭は
滅茶苦茶の状態であった。
が、そんな追いかけっこも長くは続かなかった。
ブロック塀の角に走り込んだイザナギに対し、ヨーコはチャンスとばかりにリー
チをかけ、一気に追いつめた。後ろに続く侍女達がイザナギをずらりと取り囲み、
それ以上身動き取れない状態となったのである。
「さぁ! これでもう逃げられないわよ!」
竹の棒を構えながら、ヨーコが言う。
「げっ! ……しまった」
彼は呟き、タラリと冷や汗をかく。ぐるりと囲まれ、イザナギ絶体絶命のピンチ
であった。
「ちょ……ちょっと待て!」
「問答無用!」
「わ! 分かった! パンツは返す! 返すから、今は話を訊いてくれ!」
と彼は、ポケットの中から真っ白いパンツを取り出して、目の前に突き出すよう
に、ヒラヒラさせた。
それを見たヨーコは、顔を真っ赤にしてそれをもぎ取り、
「なによ! ごまかそうったって、そうはいかないんだからね! 今日という今日
はギャフン! って目にあわせてあげるんだから!」
と、ますますイザナギに食って掛かる。
「そもそも、あんたには色々苦情が来てるの! 女の子はたぶらかす! 風呂場は
覗く! 下着は盗む! 毎日毎日そんなこと繰り返して、あたしももう、あんたの
監視役として、腹に据えかねてるところだったのよ!」
とまくしたてた。
要するに、現国王の、息子に対する悩みというのは他でもない、この彼の異常な
性欲のことなのであった。もちろん、思春期の男子となれば、多少は異性に興味を
持つものなのであろうが、しかし、彼の場合、明らかに行き過ぎだった。
いや、彼の場合、こんな風に毎日ヨーコに追いかけられてどやされているのだが、
それでも、単に懲りないだけなのかも知れないが。
追いつめられたイザナギははますます焦り、
「そ、そのことじゃない! 何でパンツくらいで大人数なんだよ!」
その言葉に、ヨーコが振り返る。彼女のほかに、数人の侍女達が彼を取り囲んで
いるのだ。
「ああ。彼女たち?」
言って彼女は嫌らしくニヤリと笑い、「……今日はね、毎日悪さを繰り返すあん
たに、国王が直々にお説教して下さるのよ。それで、絶対捕まえてこい、って言わ
れてるの」
「お、親父が!?」
イザナギはイヤな予感を覚える。あの忙しい国王が、わざわざ自らの息子を呼び
出すなど、よほどのことでなければあり得ないことだったからだ。
「というわけだから覚悟してね☆」
ヨーコはにっこり微笑み、そして侍女達に、
「かかれ!」
と命令したのであった。
あっさりと取り押さえられたイザナギは、王の自室に連れていかれた。
「国王様。イザナギを連れて参りました」
ヨーコは、麻縄でガンジ絡めに縛られた彼を、王の前に突き出す。
「ご苦労」
イザナギの姿を確認した王は、椅子に座ったまま言う。
王は無骨な男だった。武人らしい筋肉質の身体つきをしており、その眼はどこま
でも鋭い。『飛ぶ鳥を眼力で落とす』という噂も、この目を見れば信じたくなって
当然、というところだ。
「……なんだよ。親父。殴るんなら殴れよ」
が、両手の自由が利かないにも関わらず、イザナギはその視線をまともに睨み返
している。こんなことができるのは、倭の中でもイザナギ、ただ一人だった。他の
者であれば、睨まれただけですくみ上がってしまうのである。
「殴る? ……お前は殴られる、と思ってここに来たのか」
王は訊き返す。
「ああ。そうさ。親父はいつも俺を殴るだろ?」
イザナギが言う。その場に、ピンと張りつめた空気が漂っていた。
王はしばらく何も言わなかった。
だが、不意にイザナギに対し、悲しむような表情を向け、
「そう。殴るのはたやすい。そしていつも、わしはお前を殴ってきた。……だがな。
『力』は、所詮その場の一時しのぎに過ぎん。武力で武力を制するのは最も安易な
手段であり、最も単純な手段なのだ。……この意味が分かるか」
と訊ねる。するとイザナギは、
「戦争をするときは、まず相手を言葉で打ち負かせ。……だろ?」
と答える。それは、王の口癖であった。王はコクリとうなづき、
「その通りだ。敵を武力で制することは大切だ。だが、やたらに武力を行使すれば
いい、というものでもない。まずは言葉で打ち負かし、そののちに武力だ。そうす
れば、絶対に負けることはない」
「へっ! だったら俺を言葉で負かしてみろよ」
イザナギはいかなる説教にも、馬耳東風を決め込むつもりだった。
「親父の説教なんかで改心するようじゃ、プレイボーイの名が廃るってなもんだ」
イザナギは言って、ますます父を睨み返す。
「いいだろう」
だが、その決心も、王が発した次の一言で、あっさりと揺らぐことになる。
「イザナギよ。……旅に出ろ。明日より三年の間、この家に近づくことは許さん」
「……! なんだと!?」
イザナギは驚いた。たった一人の息子を、しかも時期国王を、旅に出すというの
だ。それは、もしイザナギが死ねば、国が滅びることさえも表している。
「本気か!?」
「ああ。本気だ」
王の言葉に、イザナギは目をむく。横にいるヨーコは、この答えをあらかじめ知
っていたのか、眉一つ動かさない。
「いいのかよ! もし俺が死んだら、あんたの次は誰が国を治めるんだよ!」
「心配ない。わしには優秀な部下が何人もいる」
「倭国は代々、世襲制を守ってきたんじゃねーのかよ!」
「今のお前が国王になれば、どのみち国は滅びる。それならば伝統を曲げる方が得
策だ」
「…………」
イザナギは押し黙った。父の目が本気だったからだ。
彼はしばらく黙ったあと、
「三年と言ったな」
と呟き、「三年だ! 三年後に俺は、お前を越える人間になって帰ってくる!」
と、高らかに宣言した。
その言葉に王は、
「不可能だな」
嘲るような視線を、我が息子へ向け、「できるものならやってみろ」
「ああ。……やってやるとも」
イザナギは父の顔を見すえたまま、睨むように言った。
――かくして、イザナギの旅が始まることとなったのである。
1
それから、数週間の月日が経過した。
倭の国は広い国だが、旅をするほど広いわけではない。ほんの数週間歩けば、そ
こはもはや異国の地である。同じ日本列島内ではあるのだが、当時はまだ九州の北
半分しか、倭の国は領土としていなかったのである。
「ふう……。やっと山から出られたか……」
元々、思いついたことを考えなしに実行する質であるので、道があれば歩き、山
があれば登り、といった旅を続けている。
その日も、安易に山の中に入ったのはいいのだが、思ったより険しかったため、
迷ってしまっていた。
日の暮れる前に人家を見つけねばと思っていたところへ、行き当たったのは一軒
のやしろ――神社であった。
「おっ! ラッキー! 今日はここで休ませてもらおう」
イザナギは数週間の旅の間に、何度となく野宿を経験していたので、このような
場所で眠るのは慣れていた。
早速境内に腰を下ろし、あらかじめ手に入れていたニギリ飯をほおばる。
すると……。
「やめなされ」
不意に、どこからか声が聞こえてきた。
「ん? どこからか声が聞こえてきたような……。まいっか」
が、姿が見えないので、イザナギはおにぎりを食べ続ける。
「ここじゃ」
しかし、またも声。
「ん? はて……」
「分からんのか。ここじゃ」
「どこだ?」
「ここじゃ」
「どこだ?」
「ここじゃ」
「どこだ?」
「ここじゃ」
数度目で、ついにイザナギは怒りだした。今座っていた場所に立ち上がり、
「やいやい! 姿を見せやがれ! 妖怪変化め!」
「馬鹿者! おまえさんの足の下じゃ!」
「え?」
見ると、彼は一人の老人を踏んづけていた。お尻の下が柔らかいので、てっきり
座布団かと思っていた。
「ややっ! いつの間に潜り込んだ!」
「潜り込むか! お前がわしの上に座ったんじゃろ!」
イザナギは少し考えて、
「ま、いいや。何の用だ」
「……人様の上に座っておいて、まいいや、はないじゃろ」
老人は何やら言いたげだったが、「それよりもあんた、こんなところで寝たら、
龍にやられるぞ」
と意味ありげに呟く。
「龍?」
「そうじゃ……。わしらが住んでおる村を含め、この辺りには龍が出おってな。月
に一度姿を現しては、悪さをしていきおる。そして今日の夜はその月に一度の日じ
ゃ」
「ふーん」
イザナギは曖昧に頷き、「しかし、龍が悪さをするってなあ、いったいどういう
領分だ? てめぇの食事代わりに、若い娘をさらっていくってのは、昔からよく聞
くおとぎ話だが……」
「そんなんじゃないわい。えー……」
老人は何かしら説明しようとしたあと、「ま、とにかく何じゃ。寝床ぐらいは用
意できるでな。うちに来なされ」
「お、そりゃありがたい」
イザナギが立ち上がったところへ、
「村の惨状を見れば、龍がどんなやつなのか、分かるじゃろ」
「……は? どういう意味だ?」
首を傾げるイザナギを、老人は促しつつ、村の方へ向かった。
2
村は、森の狭間を開墾して作った小さな村だった。
「…………」
そして、その村を見てイザナギは絶句する。
「なぁ……」
彼は恐る々々口を開き、「参考までに訊くが……あのこんもりと積み上がった茶
色い山はなんだ?」
と訊ねる。村は、どこにでもあるオーソドックスな村だった。しかし、そのオー
ソドックスをオーソドックスたらんとしているのは、村のあちこちに作られた、家
より大きな茶色い山だった。
山は村のあちこちに点在しており、中には家を押しつぶしてしまっているものも
あった。そして臭いから、その山が何なのか、分かるのであった。
「見て分からんかの?」
老人は、説明するのもイヤ、といった調子で訊ね返す。
「いや……分かるが……。もしかしたら、違っててくれないかなぁ、と思って」
「……おそらくあんたの予想は当たっとるよ」
老人は深く、ため息をつき、「あれは龍のウンコじゃ……」
「…………」
イザナギは言い様のない脱力感に見舞われ、立ち尽くした。
――つまり、龍のしていく悪さとは、娘をさらうのでも暴れて村を破壊するので
もなく、ただ、排泄物を残していくのだ。
「こ……こりゃあ、悪さ以外の何物でもねぇなあ……」
イザナギは呟く。
「中には、あれに家を潰された者もおっての。しかも……」
「しかも?」
「龍にもお腹の調子の善し悪しがあるらしくて、……胃腸の調子が悪いと茶色い雨
が降るのじゃ……」
「…………」
イザナギはしばらく黙ったあと、「……いい加減、引っ越すとかしろよ、おめえ
ら」
と呟いたのであった。
「名前を言っておらんかったの。わしは栄猟(えいりょう)じゃ」
「俺はイザナギだ」
家に入って間もなくのことである。老人はイザナギを囲炉裏(いろり)の前まで
導き、そして自分の名前を言った。
「イザナギか。良い名じゃの」
「まあな」
言ってイザナギは、家の中がやたらと小綺麗に掃除されていることに気づく。
「なあ。じいさん一人で住んでるんじゃないんだろ?」
「あ? まあな。孫が一人おるよ。息子夫婦は例の災害で死んだがの……」
「…………。ヤな死に方だな、おい……」
「……言うな」
栄猟はごまかすように、「キヨ! おキヨ! 客人にお茶を持ってきてくれんか
の!」
と、部屋の奥の方へ向かって叫んだ。
「はい!」
女の声だった。か細く、澄んだ美しい声だ。
その瞬間――キラリン! イザナギの目が光る。
「なぁ、お前の孫ってもしかして……美人か!?」
すると、栄猟の目もキラリと光る。
「……お前さん、もしかして、目の肥えたタチかの?」
と、彼が言ったとき、ふすまがスルスルと開き、一人の美しい女が出てきた。
「おおっ!」
「キヨと申します」
彼女は美しく、背中にキラキラを背負っている女だった。
イザナギはすばやく娘の方に寄っていき、
「おぜうさん!」
とその手を取り、彼女の目を見て言う。
「は、はい!」
キヨは驚いて、彼の目を見返した。
「わたくし、旅の剣士イザナギと申します。お困りのことがありましたら、何なり
とお申し付け下さい」
「は、はぁ……。ありがとうございます」
突然のことに、キヨはきょとんとしている。
「実はの」
不意に、栄猟が口を開く。
「キヨは、龍の糞害の対策委員会の委員長なのじゃ」
「え?」
彼女は栄猟に、意外、というような目を向けたが、老人の目配せに慌てて、
「そ、そうなのでございます! 龍の糞にはホトホト困っておりまして……」
と、嘆くようなそぶりをする。
イザナギは彼女らのそんなやりとりに気づく様子もなく、すっくと立ち上がり、
「よーし! 分かりました」
と、彼女の手を取り、「このわたくしめが、龍を退治してみせましょう!」
「本当ですか! まぁ!」
女はポッと顔を赤らめる。
「見事に退治せしめたときは――」
とイザナギは彼女に顔を近づけ、「今夜の夜伽を――」
「ヤだ」
「…………」
間髪入れず答えるキヨに、しばし絶句するイザナギ。
しばらく、彼らはどう会話を続けようか考えあぐねていたが、イザナギは、
「まあいいでしょう! 美しいお嬢さんがため! 出陣いたします!」
「まぁ! たのもしいですわ!」
気張るイザナギに、拍手をする娘と老人。
だがその拍手は、明らかにお世辞だった……。
「あの……」
その村にたどり着き、ヨーコは最初に目を合わせた村人に声をかけた。二十五も
過ぎの男性だった。
「ここに、イザナギは来ませんでしたか?」
「イザナギ?」
答えた若い村人は、首をひねりつつ、「そう言えば旅人が、龍を倒すのに協力し
てくれって、粋がってたな。ちょうど君くらいの年頃の」
「間違いないわ。そいつよ!」
すると村人は恐れおののいた顔で、
「も、もしかして、犯罪者かなにかなのですか!?」
「……似たようなものよ」
ヨーコは神妙な顔つきになって、「この村に、可愛い女の子はいるかしら? …
…その子にボディガードをつけた方がいいわよ」
と、脅すように言ったのだった。
3
『ズシーン……、ズシーン……』
地鳴りの響く神社の境内。その音を、イザナギは緊張した面もちで聴いていた。
『ズシーン。ズシーン』
そして、その音は段々大きくなり――、
『ズシーン! ズシーン! ズシーン!!! ズシーン!!!』
…………。
『ズシーン!!! ズシーン!! ズシーン! ズシーン。ズシーン……』
そして再び小さくなっていった。
「おいおいおいおい! 無視すんじゃねーよ!」
「んあ?」
その巨大な身体を持つ龍は、話しかけられて初めて気づいた、といった様子で振
り返った。
「どこだ?」
が、体が大きいので、振り返ったくらいでは足下まで視界に入らない。
「ここだここ! 足下だ!」
「ん? ああ。そこか」
龍はウンコ座りにかがみ込み、イザナギを見下ろす。龍は、体長がゆうに十五、
六メートルもあるほどの巨大なドラゴンだった(東洋のトカゲタイプではなく、西
洋の二本立ちタイプである)。身体の色が濃い緑色なのは、森に住んでいるからだ
ろうか。流線型の顔を持ち、奇妙に折れ曲がった角がある。
「おまえが村でウンコするウンコドラゴンか!」
「なにぃ?」
龍はイザナギに言われ、本気で頭の上にハテナマークを書いたようだった。
「おまえ、公衆の面前でクソたれまくってるらしいじゃねーか。もしかして露出狂
じゃねーのか、コラぁ!」
毒づくように、イザナギは言う。
龍はしばらく考えていたが、
「もしかしてオメェ、このすぐ近くの俺の便所のこと言ってんじゃ、ねーだろう
な!」
「便所?」
「そうだ! 俺の便所に、よりにもよって村造りやがって! いい加減立ち退け!
馬鹿野郎!」
「…………。てことは、俺はさっきまで便所の中にいたのか……」
イザナギは呟いて、
「今頃気づいたか」
ドラゴンは、イザナギに顔を寄せ、「三日の猶予をやる。分かったらさっさと立
ち退け!」
と凄んだ。何せ、体長が十メートル以上もある巨大生物の『凄み』であるから、
その迫力と言ったら、その辺の不良の凄みのゆうに数十倍はある。
しかし、そんなことにイザナギは怯む様子もおののく様子もなく、
「へっ! どちらかが出ていくとしたら、出ていくのはお前だぜ」
とにらみ返した。
「何だと!?」
龍は驚いたような顔をしたが、それも一瞬ののちには嘲笑に変わり、「追い出せ
るもんなら、追い出してみやがれってんだ! それとも何か? その小せぇ身体で、
俺と勝負しようってのかなぁ?」
と、馬鹿にするような口調で、イザナギに向かって耳をそばだてた。
するとイザナギはニヤリと、地の底を這うような笑みを浮かべ、
「へっ、体格差はおつむの差で埋められるさ。身体は小せぇが、おつむの方は俺の
方が上だぜ」
と言う。その言葉に龍は青筋を立て、
「ほう……言ってくれるじゃねーか」
「俺が何を考えているかは、お前の言う『便所』とやらに行ってみれば分かるさ。
おそらくお前は、もう二度と村には近づけない」
イザナギが宣告すると、龍は胸を張り、
「よーし! 行ってやろうじゃねーか! 行って思いっきり、もようしてきてやる
ぜ!」
ドシンドシンと走るように、村の方へ駆けていった。
が、イザナギはそれを追いかけず、
「へっ、できるものなら、やってみやがれ」
と嘲るように呟いたのみだった。
それからほんの数分の後、龍が村に現れた。
「龍じゃ! 龍が現れた!」
その姿に、猟栄が叫ぶ。
「イザナギ殿は失敗なさったのか!」
「逃げろ! 潰されるぞ!」
逃げ回り、のたうち回る村人達を見やりながら、
「へっ!」
と嘲笑し、「あの野郎、やっぱり見かけ倒しだったか!」
勝ち誇ったように村に入ろうとした、その瞬間!
「うっ……」
龍はたたらを踏んで立ち止まる。しばらく、何かを我慢するようにうなっていた
が、ついにクルリときびすを返し、
「あの野郎! ぶったおしてやる!」
と言ったきり、また元の方向へ戻っていった。
「なんじゃ? 何があったんじゃ?」
その姿を見て村人は、不思議がるばかりだった。
それからさらに四半刻ばかり過ぎた頃、イザナギは戻ってきて、
「よぉ! 龍はどうした!」
と、猟栄に訊ねた。
「いや、龍は去ってしまったんじゃ。……イザナギ殿、何か龍になさったんかい?」
「別に、俺は何にもしてねぇよ。ただ、村人にふれ回っただけさ。
水瓶の水をありったけ用意して、龍の通り道に水たまりを作っておけってな。そ
したら案の定、龍は逃げていきやがった。
龍ってのはああ見えて水が苦手なんだ。鱗を水に濡らすと、硬度が落ちちまうか
らな。これからは村をぐるりと堀で囲めば、もう龍はこねーよ」
すると、猟栄は感心したように、
「ほぉ、龍の奴に、そんな弱点があったのか! そうとは知りもせんで、わしらは
何をやっていたんかのぉ」
と呟き、背後にいる村人に向かって、「よし! 今夜は祝いじゃ! 祝いの準備
をせい!」
「おー!」
と村人達はいっせいに声を上げた。
「……ところで、龍はどこ行ったんだ?」
と村人の一人が訊ねると、
「あ? ……今頃、神社付近で必死になって、俺を捜しまくってるだろうぜ。しば
らく神社には行かないほうがいいな」
と、再び龍に対し、イザナギは嘲笑するのであった。
4
その夜の宴会の席で、イザナギは主賓席に座っていた。
そしてその横には、村長の娘キヨがいる。キヨはイザナギにお酌をするために、
横に座っているのである。
「おやめ下さい……」
「いいじゃねーか、いっひっひ」
とまぁ、お約束の会話をしてイチャ付いているようであるが、イザナギが龍を追
い払った張本人であるだけあって、キヨも言葉ほど嫌がってない。
火を囲み、肉を喰らい、肴を喰らう。宴は最高潮に達していた。
「ちょっと酔っちゃったみたい」
しばらくして、キヨがそんなことを言いだした。
「じゃあ、風に当たってくるかい? いい場所を見つけたんだ。行こうか」
とニヒルに決めて、キヨの肩を抱き、その場から去る。
イザナギが案内したのは、崖の上だった。そこからは村全体がよく見渡せ、宴会
の明かりが煌々と照り、美しい光景を描き出している。
「綺麗だろ?」
イザナギは話しかける。
「ええ……。とっても……」
キヨは答える。
「でも、君ほどじゃないよ」
イザナギが言う。彼の計画では、このまま茂みにでもしけこむ算段だった。口説
き文句にだけは自信があるのだ。
――が、彼の思惑通りに進んだのも、ここまでだった。
「ふーん。いつもそうやって口説いてたのね」
「え?」
その言葉に驚いてキヨの方を見ると、しかし、それはキヨではなかった。いや、
キヨと同じ姿であるが、それは、彼女本来の姿を、カツラと化粧で隠しているから
に他ならなかった。
彼女がカツラを取り去ると、そこに現れたのは……。
「げげっ! お前! ……ヨーコ!」
「やっと気づいたの? 本物のキヨさんは、今頃本当の彼氏と一緒よ」
ヨーコであった。イザナギの監視係にして、いつも彼を殴りまくっている張本人
である。
彼女は、旅に出たイザナギが、その先で女性に変なことをしないかどうか、見張
っていたのであった。
イザナギは彼女の肩から手を外し、逃げようとした。
「逃がさないわよ」
が、ヨーコは素早く彼の腕をとる。
「うわっ! タンマ! 話せば分かる! 放してくれ!」
「ダメ!」
「…………!!!」
その直後。山の方から、壮絶な叫び声が上がったのであるが、村人は、宴会に夢
中で誰一人、気づかなかった。
はてさて、イザナギはいったいどんな目にあったのか。
それは、神ならぬ、ヨーコのみぞ知る。
アーメン。
ところで三年後。この村は崩壊したそうである。
龍の便所と言えば、荒れた不毛の地の代名詞である。それを、農作物の育つ土壌
に変えていたのは、他ならぬ龍であり、その龍がいなくなり肥料が無くなれば、土
地が痩せこけてしまうのは、当然といえば当然であった。
もっとも、それに気づかない村人も、悪いと言えば悪いのであるが。
おしまい