作品名:『悪魔(陽の章)』 製作 : 97/01/24(11KB) 作者 : あきよ 氏 形態 : 短編(ショートストーリー) 悪魔(陽の章) 倒壊しそうな古本屋がある。勿論、施工時はまともな建築物だった。 現在のようなデザインになったのは数ヶ月前の下水工事のせいだった。 近所の人達は常々心配しては眺めているが、この店の主、高橋公生は「趣 があっていいじゃないか」と笑い飛ばしていた。 だが、公生の言葉は必ずしも本意ではない。一介の古本屋風情においそれ と建て直す貯金などある筈が無い。原因を作った市の水道局と工事業者は、 文字どおり雀の涙ほどの見舞金を持ってきたきり、姿を見せなかった。 現在の店内は傾いた時の影響で書籍が散乱していた。混在するそれらを溜 め息を吐きつつ、整理するのが公生の日課となっていた。 そんな彼が、地下室を発見したのは日曜日の昼下がりだった。傾いた本棚 を移動させた下に、人間が一人入れるくらいの小さな階段が現れたのだ。 「結構・・・埃っぽいやなぁ。爺さんの秘密財産でもあるんかいな?」 公生は好奇心に動かされた。店の入り口を手早く閉めると、懐中電灯を持 って慎重に地下室へと降りていった。 階段には以前の所有者と思しき、靴跡が付いていた。公生は出来るだけ埃 をたてないようにと、その靴跡を忠実に辿っていった。 階段の奥には3メートル四方の小さな小部屋、書庫になっていた。 大半が埃で背表紙の文字も読めないくらいだった。低い天井には裸電球が ぶら下がっていたが、スイッチを入れても変化はなかった。寿命を過ぎてい るのか、電線が切れているのか。 部屋の中央には小さな角机がある。そして一冊の本が置いてあった。それ ほど埃が積もっていない事から、比較的最近開かれたものであるらしい。 「何の本や?あ・く・ま。悪魔やて?」 公生はこの手の話題が苦手だった。その性格が反映されてか、彼の店には ホラー小説の類が一冊も存在しなかった。 (イタイ・・・) その時どこからともなく、か細い声が聞こえて来た。公生は自分の耳を疑 ったが、声は何度も訴えかけているのだった。 (イタイ・・・イタイ・・・) 「な、なんや?だ、だ、だ、誰や!?」 (助ケテ下サイ・・・イタイ・・・助ケテ・・・) 公生は逃げ出したかった。が、彼の意志に反して二本の足は根が生えたよ うに動かなかった。仕方が無いので公生は沸き上がる恐怖心を押さえる為に 目前の本を掴んで自分の胸元に構えた。 その瞬間、本の隙間から一筋の煙が吹き出した。公生は慌てて本を床に叩 き付けた。相当古い書籍だったのだろうか、一撃で装丁は外れて頁がばらば らに広がってしまった。 だが、公生にとって古書の事などはどうでも良かった。彼の視線は生き物 のように渦巻く煙に注がれていた。煙はやがて人の形となり、一人の美少女 が現れたのだ。 彼女はアラビア風の衣装を身につけていた。肌の露出度は多いものの薄い 絹のような透き通る布を纏っている。顔立ちは日本人のそれと大差ないのは 気のせいだろうか? 「・・・見てない。ワイは何も見てないぞ」 現実逃避して回れ右をする公生は、ぶつぶつと呟きながら階段の方へと歩 き始めた。しかし美少女は機先を制するように、彼の前方へと回り込み、そ の両手を握り締めた。 「助けてくれてありがとぉ。えっと・・・きみお。公生さんって言うのね。 改めて、公生さん。助けてくれて有り難うございますぅ」 ころころと鳴る鈴のような声だった。だが公生の方は相変わらず表情を強 張らせたまま、階段の上方を見やっていた。あくまでも、目前の彼女を無視 するつもりらしい。 「聞こえん・・・ワイは何も聞こえんのや!」 「そんなぁ。公生さんって冷たいわ。あたしは公生さんを見ているだけでも 心臓が破裂しそうなくらいなのにぃ・・・」 そう言って少女は公生の左手を自分の胸の上に当ててみせた。ふんわりと 柔らかい感触が公生の神経を走った。 「よ、よさんかい!なんちゅ〜破廉恥なアマや!?」 「ひっど〜い!!あ、自己紹介がまだでしたわね」 「せんでええ。ワイは何も見とらんのや」 なんだかんだ言いつつも公生は彼女のペースに乗せられかけていた。 「あたしはサリムって言います。中東生まれで〜す。歳?女の子に聞いちゃ 駄目ですよぉ」 「自分・・・人間やないやろ?」 「え〜!?何でわかるんですかぁ!!」 こいつは馬鹿や。公生はそう思った。どこの世界に本の中から出てくる人 間がいると言うのだろう。サリムの驚きようからすると、本気でばれていな いと思っているようだった。 「あたしは、悪魔なんです。ず〜っと昔に封印されていたのですが、この度 公生さんが助けられまして・・・へへ。有り難うございますね」 公生は妙な好奇心を出すべきではなかったと心底後悔していた。 以来、公生の古本屋には一匹に悪魔が住み着いた。最初のうちは追い出そ うと企んでいた公生も、最近はサリムが店番をやっている間にパチンコに精 を出すようになっていた。 「断っとくが、ワイの魂はやらんぞ。それが目的やったら他いきな」 「あたしは下級悪魔の一種なんです。契約によって命を戴く場合もあります が、必ずしも必須ではありませんので、安心して下さい。あたしは命の恩人 の公生さんから、そんな事は出来ませんので」 悪魔とちゃぶ台を囲むという光景にも慣れてしまったようだ。公生は当然 の様に黙って茶碗を出すと、サリムは白いご飯をいっぱいに盛って微笑みな がら返してくれた。 (・・・普通の女の子そのものじゃないか) 公生はせっせと汗水垂らして働く彼女の存在を認めるようになっていた。 悪魔のくせに無害なのだから、抵抗も殆ど消え失せている。寧ろ、このま まいてくれれば等と思ったりもしていた。 「あのぉ・・・公生さん。肩でも叩きましょうか?」 「ん?そやなぁ・・・ほな、頼むわ」 「はいっ」 公生は心地よさに唸った。仕事柄、腰を痛め易いので接骨院の世話になり がちな彼だったが、これほどの気持ちよいマッサージは初めてだった。 「中東にも肩たたきの上手い奴がおるんやなぁ」 「ありがとうございます。でも、あたしは初めてなんですよ」 「ホンマかいな?」 「本当です。悪魔は人の体の隅々まで知っているんです。だから殺す事も出 来れば、活かす事も出来るんです。でないと悪魔なんて務まりませんよ〜」 サリムは公生が店番に戻った後、食器を片付け始めた。台所の奥にしまっ てあった割烹着が意外に似合っている。悪魔というのは順応力が高いのかも しれない。 「ふふ。公生さん、今日の味噌汁は美味しいって言ってくれたわ。明日はも っと喜んで貰えるように頑張んなきゃ」 身を粉にして働くサリムのその姿は、とても悪魔とは思えなかった。 サリムが現れてから、古本屋の売上はみるみる伸びていった。可愛い異国 の女の子が店番をやっているという噂が近隣に流布していた為、興味半分で 覗きに来る客がどっと増えたのだ。そして大概の来客はサリムの鈴のような 声を聴くと手近な書籍を持ってレジに向かうのだった。 理由はともかくも経済的に潤うのは公生としても悪い気分じゃない。だが 彼女のお陰だと分かっていても、なにか心にしっくり来なかった。 「でも、あたしは公生さんのお陰で、もう一度生きる事が出来るんです。お 互い様じゃないですか」 ふと公生は壁に掛けられたカレンダーを見やった。サリムが住み着いてか ら、既に半年以上が経過していた。公生は時間の流れの速さを痛感すると同 時に、サリムがいつまで此処にいるのかが気になっていた。 「まだ・・・考えていません。あ、ひょっとして、お邪魔ですか?迷惑はか けませんから、ここに置いてくれませんか?お願いですぅ」 「いやいや、そないな事はあらへん。ワイも助かっているやからな・・・」 公生はそう言うと売上帳の記入を終えた。今迄、いや自分が祖父からこの 店を継ぐ以前から赤字だった店なのに、今では黒字が並んでいた。 「ほんまに助かっとるんや、サリム。寧ろ、ワイの方からいて欲しいと言い たいくらいなんや」 「でも・・・あたし・・・」 「悪魔なんちゅ〜事は気にしてへんよ。ワイにとってお前は神様やからな」 公生は陽気に喋りつつ、冷蔵庫から灘の銘酒を取出した。半年前までは絶 対口にするような事が出来ない代物であった。それを見たサリムは素早く小 さなグラスを棚から取出して、ちゃぶ台の上に置いた。 「自分・・・イケる口か?」 最大の功労者を目の前にして自分だけ飲む気にはなれなかった。サリムは こくんと頷くと嬉しそうにもう一つのグラスを用意した。 ある日、公生の古書店は意外な客を迎えた。 古びたコートに身を包んだ初老の男は一直線にレジの前に立った。こうい う客は滅多にいない。目当ての書籍名等を告げて、なければ早々に立ち去っ ていく手合いだ。あまり気分のよい客とは言い難いが、長時間にわたって立 ち読みをされるよりは余程マシだと言えよう。 しかし公生の予想は大きく外れた。彼は刑事であったのだ。 (何の用だ?) 困惑する公生の鼻っ面に一枚の紙切れが突きつけられた。慌てて顔を引っ 込めて懸命に文面を読んだ。 「令状だよ、捜査令状。解るだろ?」 捜査令状には大きな文字で脱税容疑と記されていたが、公生には当然の事 ながら身に覚えのない事であった。公生は抗議をしようと口を開いたが、機 先を制するように刑事がドスの効いた低い声で言った。 「まあ・・・話は署の方で伺いましょうか」 彼は両脇を掴まれてパトカーに放り込まれた。それと入れ違いに何人かの 捜査員が店内に雪崩込んでいった。 (サリムは・・・そや。まだ地下室で寝とる時間やったなぁ) と言っても本棚の下の地下室だって見付からない保証はない。寧ろ、捜査 の名の下に荒らされる可能性の方が余程高かった。 公生はパトカーに乗せられてからも騒ぎ続けたが、誰も喋ろうとしなかっ たので、ついには諦め黙ってしまった。何がなにやら、さっぱり事態が掴め なかった。 公生は署についてからも夜遅くまで事情聴取に付き合わされた。その時初 めて公生にかかった脱税容疑の内容が見えてきた。どうやら死んだ祖父から あの古書店を相続した時、相続税の一部に申告漏れがあったらしい。普通は 税務署等から通知が行くのだが、肝心ななめの部分がそっくり抜けていた上 に、その抜けた納税予定額が高かったので、意図的に行ったと判断されたよ うだった。 解放されたのは留置場の中に押し込められた時だった。 「どうせ冤罪に決まっとるんや。ワイは何も悪どい事はしとらん。そもそも 遺産管理は叔父と弁護士がやったんや。ワイには何の関係もあらへんで」 監視の警察官に悪態を突いて、部屋の一角に座り込んだ。 留置場は寒かった。考えてみれば季節は冬なのだから当然である。公生は 渋々と奇麗に畳まれた毛布を引き寄せて、自分の体に巻き付けた。 どの位、時が経過しただろうか?窓の向こうから自分の名前を呼ぶ声が聞 こえた。 「サリム!?」 小さな窓から覗くと、杉の木の枝にサリムが座っていた。彼女は不安そう な表情を隠せなかったが、公生を勇気づけようと懸命に励ましの言葉をかけ た。しかし、それが公生の神経を余計に逆立てた。 「なんや!?ワイが落ち込んでいるとでも言うんか?」 「あ・・・いえ。ただ、あたしは」 「サリムは矢張り悪魔やったな、ああ!?お前が来てから、ワイの生活は目 茶苦茶や。昔は・・・昔はなぁ、貧乏でも平和やったんやで。それをお前が 壊したんや。もう、ワイの目の前に姿出すなっ!!いてまうぞ!?」 自分でも言い過ぎだと分かっていながら、公生は彼女を責め続けた。彼女 を責める事しか思い浮かばなかったのだ。そしてサリムは俯きながらひたす ら謝った。涙が自然にあふれて来た。 (なんで・・・なんであたしは人間風情に怒られるんだろう・・・) 本来の彼女ならばとうの昔に、それこそ封印から解放されたと同時に公生 の魂を取り上げて然るべき悪魔だったのである。それが少しだけお礼をしよ うなどと思ったばかりに・・・結果は逆効果だったのだ。 「・・・分かりました。もう、二度と現れません」 「ほな、さっさと消えんか」 「いいえ。消えるのはあなたです、公生さん」 言うと同時にサリムの手が高々と掲げられた。その指先から白い煙がゆっ くりと伸びていった。 「な、なんや?まさか、ワイを・・・!?」 「悪魔は誰にでも取り付く事が出来るんです。そして宿主から離れる時、そ れは宿主の死を意味します。どの道、一度悪魔に取り付かれた人間は、悪魔 なしで生きていく事は出来ないのですよ。せめて貴方を愛するあたしが命を 奪って差しあげます・・・」 煙は窓枠の隙間から室内に入り込み、ゆっくりと、だが確実に公生の体を 目指して進んでいた。 公生は動けなかった。彼は今迄サリムに対して「悪魔」を感じた事が殆ど なかった。だから持ち前の怖がりも表に出る事はなかったのだ。 だが、今は違う。 明確な殺意が公生の体を金縛りにしていた。何とも形容のし難い恐怖感が 彼を襲い、叫ぼうと口腔を開閉するが、肝心の声が出なかった。 「・・・公生さんが好きでした。離れたくありませんでした。だから・・・ 貴方の側にいたんですよ」 翌朝、留置場で高橋公生の変死体が発見された。 サリムは泣いていた。背中を丸めて鳴咽を繰り返すその様は幼児のようだ った。胸に抱える小さな光りはまるで人魂、そう、彼女の奪ってきた人間の 魂そのものである。 間もなく時間がやってくる。魂を幽界へと送り出さなければならない、そ れが規則だった。どんな感情もサリムが存在意義には勝てなかった。 彼女は大きく深呼吸をして、夢遊病者のような瞳で遥か夜空を見上げた。 「公生さん・・・さようなら・・・」 白い小さな手の平を開く。綿毛が舞い上がるようにふわふわと魂は上昇を 始めた。サリムはじっと魂の行方を追っていた。少しでも長くその瞳に焼き 付けようとしているのかも知れない。 (やっぱり・・・悪魔と人間は共存する事が出来ないの?) 涙を拭って悪魔はこの地を離れた。 ■了■