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引越し修了。荷物はまだ山盛り。
2002年3月29日(金曜日)
春、ですね。
20日に荷物を搬出し、21日に車で移動。22日の昼に埼玉に到着、荷物の搬入。
24日に夫飛行機で戻りまして、27日には出張の夫と再会。
28日には転入届を出して、中学校と小学校に挨拶に行きました。
小学校の先生方、暖かい歓迎、本当にありがとうございました。
中学校でものすごいナーバスになっていた息子が、一気に明るくなりました。

20日の日には、娘の学校の生徒達が、お別れに来てくれました。
21日早朝の出発だったのに、息子のバス通学仲間と、娘の親友が
お別れに来てくれました。
手作りのクッキー美味しかったよ。漫画も車の中で読んでたよ。

こちらに到着して、変わらない暖かい気持ちで迎えてくれた友人達にも救われました。
ネットでもお友達に助けられました。

辛い思いもしたけれど、とても暖かい気持ちに包まれて、私たち家族は幸せだと思います。

いつも思うんだけど、どうしたらこの恩返しができるんだろう。

本当にありがとう。
少しずつお返しできるように、毎日を大事に生きて行きましょう。
誰かが困っている時にそっと手助けができるようにね。





しばらく休みます
2002年3月17日(日曜日)
遠方の引越しゆえ、しばらく日記の更新をお休みします。
とは、言うものの、ちょっと前は開店休業状態だったのに・・・( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
その後、ネットに無事復帰できるのは、いつになる事やら。

日記を公開するってのは変なものですが、初めて長続きしたのがHPの日記でした。
日記のネタを探すために、いろいろな事を考えたり、行動したり、
日記にかけない事はするまいとしたり・・・・。

今回の、息子の事でも、日記があったおかげで、自分の気持ちを整理できました。
学校に報告するのにも、過去の日記を読んで、間違えずに出来ました。

PC前で、怒りに任せて日記を書いているうちに、気持ちが落ち着き、
本当の気持ちに気づいたりしました。

これからが本格的な「さっしーのてんてこ日記」の始まりだと思います。
今まで幸せだったんだな・・・・とつくづく感じます。
でも、これからも幸せでいる予定です。
どうぞヨロシク。



さようなら
2002年3月16日(土曜日)
小学校は今日「○○ちゃんにクラスメイトのお家を紹介するツアー」だそうで、
信じられない長い距離を歩いてきたへとへとの小学生と担任の先生の9人が
我が家にもやってきました。
みかんを食べたらみんな完全復活。
あっちこっち駆けずり回って帰っていきました。

午後からまだ元気な私のおばあちゃんにさようならを言って来ました。
「あんたよぉ頑張ったよ。えらいよ」何にも事情を知らないのに、
そう言ってくれるおばあちゃんに泣けてきました。
「私ははまだまだ元気だからね。また会いましょう」
おばあちゃんの妹さんもちょうどいらしたので挨拶しました。
「来る時はにぎやかでいいけど、お別れは寂しいねぇ」

なんでこんなにお別れは寂しいんだろう。

いくつもお別れを言わなきゃいけないのに、私・・・・泣かずにいくつお別れ言えるだろうか。

自分の忙しさのあまり、最近子ども達に気ぜわしく急がせてばかりいます。
父の単身の電気製品を買った時、娘がずっと悲しそうな顔をしていました。
夕方、ちょっとしたきっかけで泣き始めたら涙が止まらなくなりました。
その時ゆっくり娘を抱いていたのは、夫でした。
余裕が無い自分に自己嫌悪。



OA教室修了
2002年3月15日(金曜日)
OA教室が終わりました。
袖刷りあうも他生の縁といいますが、たくさんの個性的な人々に出会いました。
私の隣の席で、最初の日タイピングのように「かしゃかしゃかしゃかしゃ」
マウスのクリック音を響かせていた彼女も、無事に修了しました。

帰りの階段で「お世話になったから」と彼女に包みを渡されました。
遠慮する私に「手紙も入っているから読んで」

帰り道、買い物に寄った店の駐車場で手紙を開きました。
私は、彼女の家庭教師役だったのですが、それに対するお礼の言葉と、
OA基礎講座の間中、離婚調停中だった事。昨日離婚が決まった事。
どうしても、資格が欲しかった事。が書いてありました。

何となく、そんな感じは受け取っていましたが、そこまで忙しく辛い毎日を過ごし、
それほどの重大な決定をしていたとは気づきませんでした。
彼女がどれだけ熱心な生徒だったか(多分クラスで一番真剣な生徒だったでしょう)。
私も、彼女の質問が、ものすごく刺激になった事を手紙に書きたいと思っています。

それぞれ違う道ですが、明るい方向へ向かって、頑張りたいものです。
いただいたマウスパッド大事にします。

そして、この日はもう一つプレゼントを(娘が)貰いました。
夕方、玄関のチャイムがピンポーン・・・・出てみると仲良くしてくれた1年生のさと君の姿。
お母さんが「ホワイトデーのお返しを買いに行ったら、どうしても○○ちゃんのを買うんだって
自分のお小遣いで買ったんです。仲良くしてくれてありがとう」
ぬいぐるみとキャンディの入った包みでした。

《。・゜゜・o(iДi)o・゜゜・。うぇぇん 、なんで思いつかなかったんだろう。
忘れてた!!バレンタインと、さと君男の子だって事!!
さと君にチョコレートあげてないのに〜ごめーんo(;△;)o》

なんかもう、ごめんね、ありがとうとしか言えない悲しいぱにくりまくりのダメ母でした。


校長先生から電話
2002年3月10日(日曜日)
9日の昼、中学校の校長先生から電話がありました。
最後のお願いにお電話させていただきました」
「こちらがお願いした方法を考えていただけたでしょうか」
「考えましたが、私も安心して子どもを学校にやりたいので、埼玉に戻ろうと思います」
「そう決められたのでしたら、もう私達も深追いはしません」
「ご主人様にご迷惑をおかけしたお詫びをしたいのですが」
「主人も忙しいので時間ができるとは思えませんが伝えておきます」
「私どもが申し訳ないとお詫びする気持ちをお伝えください
なんだか、とってもほっとした風情の校長先生に思わず
「先生、私達は居なくなりますが、中学校は変えていってくださいね」と言ったら
ちょっと言いよどんで
「奥さんがこちらにご旅行とかで戻られた時、はっきり目に見えて変わった〜と思えるようでは
無い
かもしれませんが・・・・そのように努力したいと思います」
巧言令色少なき仁とは申しますが、
これほどテクニックが無いといかんのじゃありませんか、校長先生?

私達、埼玉に確かに戻ると判って、ほっとしましたか?校長先生?



卒業式予行演習と卒業式
2002年3月9日(土曜日)
卒業式予行演習が金曜日に行われました。息子はその日起きてきませんでした。
前日「俺、絶対いやだな。だって皆、騒いで、先生の言うことを無視して、先生は怒鳴って
何度も立ったり座ったりを繰り返して・・・・・」とぐずぐず言っていたのです。
てこでも起きない息子の2段ベットの、布団を抑える柵が目に入りました。
噛み跡で傷だらけです。
ここに居るこんな短い間に、こんな癖がつくほどいやな気持ちでいたんだなと思いました。
休ませてしまおうと決めました。

私がOA基礎講座に出かけた9時半、担任の先生が飛んでこられたそうです。
青い顔をして「何か起こったのかと思いまして」との事でした。
応対に出た母は「娘も孫も心が決まっているようですし、明るくなりました。
先生もお体が大切ですから、もうご心配なさらないでください」といったようです。
先生は「真面目なお子さんには、あんな荒れた状態は我慢できないと思います。
が、明日は出てきてもらえるようにお伝えください。」

5時半に戻った私にそれを報告した後、今日のことを言い訳する息子に母がこういいました。
「明日は行くようにね。私があなたのお母さんだったら、怒鳴りつけてでも行かせているよ。
だいたいあなたのお母さんは甘すぎる。世の中にはいやなことはいっぱいあるんだから」
息子は真っ青な顔になりました。
私は息子に「この場所で、そう言うことを言わないほうが良いよ」言外に判ってもらえないんだから
と言う気持ちをこめて言いました。

2階に上がってみると、息子が布団の中に居ました。
泣いていたようでした。
こんな風に、2段ベットの布団の中にいつも逃げていたんだなと思いました。
いつも寝ているんじゃなかったんだ。
ここしか包んであげるモノが無かったんだ。
私は、全然わかって上げてなかったんだ。

10分後、食事だよと言う声に、下におりてきて、明るく色々話をする息子を見て、
つらくなりました。

翌日、朝、同じようにいつまでも起きてこないので、何度も起こしに行きました。
不承不承下に降りてきた息子に
「私は、あなたが卒業式に出る必要は無いと思う。見送りたい先輩も居ないし、
学校にだってそんな義理は無いと思う。
でも、昨日おばあちゃんが先生に約束した。アルバイトだと思って学校に行って。」
「何か良いことあるの?」
「ある。すっごい良い事考えたげる。お母さんの顔を立てると思ってお願い」

息子は、明るい顔になりました。嫌だと思ってて当然だと私が言ったのが良かったんでしょう。
大急ぎでご飯を食べて、大急ぎで着替えて、学校に行きました。

すっごい良いこと・・・息子の望みは犬を飼うことだってわかっているんだけど、何とかどうにか
良い方法を考えようと思ってます。

やることなすこと、失敗だらけの私が本当に賢くなる日は来るんでしょうか。




突然校長&教頭先生
2002年3月7日(木曜日)
6日の夜中の8時半(山口の実家では草木も眠る丑三つ時です)、
玄関ががらがらっと開いたので「ハニーだわ♪♪」とお出迎えに飛び出しました。
玄関には、校長先生&教頭先生(多分)。
精一杯学校を立て直しますので、転校は思いとどまっていただけないだろうか。
と言うことでした。

先生方が一生懸命考えていただいている事は、息子も嬉しいようですが、
問題は子ども達ですから。
子ども達が変わらなければ、また同じ事が繰り返されると思います。

私達のせいで、一家離散になってしまうのがまことに申し訳ない。
とおっしゃる校長先生。

一家離散って・・・家族がバラバラって・・・言われてみりゃそうだけど。

つくづく、私達のつらい気持ちや、何とかして欲しいという働きかけは
全然まぁったく校長先生には届いてなかったんですね。
12月上旬の話なのに。
もう、死にそうです。助けてください。ってあの時お願いしたのに。


もう、待たされて、不安で、どうしようもなくって、今があるのに。

埼玉の娘の元担任の先生に今日は電話しました。
一瞬息を呑んだ先生は、
「こっちは皆には故郷だからね。大丈夫。安心して戻ってらっしゃい。」とおっしゃいました。
本当に、ありがとう。先生。



たとえ話の鬼
2002年3月6日(水曜日)
5日の夕方、夕飯の途中に、中学の学年主任の先生と、担任の先生が我が家を訪ねて来られました。

自分たちの居る部屋にしか電話が無いもので、留守電に入っていた「ご挨拶に伺いたい」という先生からの電話をチェックしていませんでした。
謝罪の言葉と、これから精一杯学校を変えていくので、転校を考え直してもらえませんか、との事でした。

「○○中学校は、救急病院だと思うんです。先生方は山ほど急患を受け入れて
とても忙しくしてらして。
息子は只の風邪だったかもしれないけれど、寒い場所で待たされているうちに、
只の風邪でも肺炎になってしまったら命の危険もあるわけですよね。
暖かい場所で待たせていただいていればこんなことには・・・・・・
私も、どんどん、不安や不信感でいっぱいになってしまって」
「頭の上に広がった雲が、いつまた土砂降りになるかもしれないと
はらはらすごすのはもういやなんです」
(by FUKUDA先生のお言葉)

何しろ、親が居るリビングで先生とお話したもので、もっと直球勝負でずばっとしたかったんですけど
なんだか、変化球ばっかり投げてました。

「学校が上手くいかないと、もう全て上手くいかないんですよね」この後に
おまえの育て方が悪いと親にも言われるし・・・・と言いたかったけどそれもやめ。

子どもが転校を決めてすっかり明るくなったんです。
私もずっと、数ヶ月眠れなかったのが、最近朝まで眠れる時が出来たんです。
「生き地獄になっちゃうよ」と自殺をした少年の遺書がとても明るくて、何でも良く判っていて、
でも、死なずに居られなかった、その事がとてもショックで、
明るいからと放って置いてはいけないと思ったんです。

「息子のことを絶対に忘れないでくださいね。
そして荒れていない普通の子ども達を助けて上げてください」
「ほかにも苦しんでいる生徒は居るから」と息子が参入。

昨日、息子は学校で、事情を聞かせてという先生の求めに応じて
いろいろな事を話したようです。
判ってもらったという気持ちで、すっかり明るい顔で戻ってきました。
最後の最後にこんな風になれて(手遅れだけど、それでも)良かった。
※コメントが達観した抹香臭い感じだと思われるかもしれませんが、
ノイローゼ寸前(いや、もうりっぱにノイローゼ?)だとこんな風にお坊さん系主婦に
なっちゃうものと思われます。明るいけどどん詰まりな所、息子と私良く似ている。
明るくなくてやけっぱちもしくはやけくそなのかもしれません。

職業訓練の後、公衆電話から前の中学校に戻ることを電話をしました。
明るい元気な声で「喜んでお待ちしていますよ」と言ってくださった学年主任の先生。
涙が出るほど嬉しかったです。






はらほろひれはれ・・・・・・
2002年3月2日(土曜日)
木曜日の日の夜に、娘の小学校の教頭先生から電話をいただきました。
「お話をお聞きしたいと思いまして・・・・」
この短期間に、学校の行事には出来るだけ参加してきたので、(研修旅行にまで・・・)
「このまま、"転校ですかじゃぁお元気で"では、とても残念ですし、経緯をお聞かせ願えたら・・・・」
中学校にはちょっと腹に一物ありましたが、小学校は本当にすばらしいので、
「荷造りがありますので、1時間くらいなら」と土曜日にお会いすることを約束しました。

で、今日は土曜日。校長先生と教頭先生が、学校で待ってくださっていました。
1時間で手短にと思ってましたが、いったん話し始めたら、笑っちゃうことに私の口が止まんない。
中学校への不満やら、自分の子どもへの心配やら話してるうちに、涙がぼろぼろ出てきちゃいました。

教頭先生も、校長先生も、じっくり話を聞いてくださって、
ま、信じられないことをおっしゃいました。
中学校にはいじめが原因での転校だとは書いてはいませんでしたが、(”家庭の事情で・・・って”やつです)
娘の学校には兄へのいじめが原因だと書いていましたので、
校長先生が中学校に心配して連絡してくださったようです。
中学校の校長先生は、経緯を全然ご存知なかったようで、個人面談の時の
副担任の先生への一生懸命のお願いも、全然ご存知ありませんでした。
1年生の担任の先生方を集めて何時間も会議を開かれたようですが、その時も
「最近全然問題はありません」とのことでした。

話をじっくり聞いていただいた先生方が、
「この話を中学校の校長先生にしていただけないだろうか」
でいらしたのが、校長先生と生活指導の先生。
話を聞いていただいて、ま、申し訳ないとのお言葉と、
とりあえず避難措置としてこの場所から通える安定した学校への転校を勧められました。
「もうちょっと前なら、そういう方法があれば考えられましたが、もう息子の心が
以前の町へと向かっていますので、無理かと思います。
でも、先生方が真剣に考えてくださったことは、嬉しいことだと思いますので
このことは息子に伝えてこういう方法もあるんだと言ってみます。

「中学校の教師にも教壇に立たせたくない先生がおります。」「?」
校長先生の言葉に首を傾げました。それって担任の先生のこと?副担任の先生のこと?
それ、もうちょっと突っ込んで聞けばよかった。でも、とりあえず、
いいたい事は言ったので、11時半に家に帰りました。

ものごっつい疲れちゃって、2時ごろへろへろになりながら荷造りしていると、担任の先生から
恐縮した電話。「是非、お会いしてお詫びしたい」との事でした。
すいません。今日は時間がありません。
で、荷造りしながら30分電話。
「判りにくいアピールしかしなかった私達親子も失敗でした。
しんどいならしんどいともっと言えばよかったのに、
傷ついてしまっていて、中学校に対しても不信感から、がんばってアピールしたつもりでも
それ以上の事を学校に掛け合う元気が出ませんでした。
もう、息子にとっては終わったことです。先生もお子さんが生まれるんですから、
お互い子ども達が暮らしやすい世の中になるようにがんばりましょう」

なんちゅう強引な〆・・・・

「いい学校にしてください。そうなれば私達も嬉しいです」
本心です。
もうちょっと細かい経緯



冬来たりなば春遠からじ。春来たりなば夏・・・・
2002年2月26日(火曜日)
今年は花粉症にもう襲われております。
↓の日記を書いて、皆さんからたくさんの励ましをいただき、本当にありがとうございました。
頭の中で闇雲に考えがぐるぐる回って、混乱しつづけたこの数ヶ月。
日記を書いて、やっといろいろな事に本当に決心がつきました。

引越しの見積もりも終わり、夫のワンルームマンションも決まりました。
息子は開放感でハイテンション。
娘は迫ってくる寂しさを少しずつ感じているようです。

私は、どうなんでしょうか。

少なくとも、ピキーニャやってる場合じゃないほど、時間に追われている・・はず。

がんばらなくっちゃ・・・ちゃ・・・・ちゃ・・・・・・・・・ちゃ

※注)ピキーニャは先日中古ソフト屋さんで購入したプレーステーションの落ち物ソフト。
以前体験版が面白かったので、思わず買いました。
家族中がはまりましたが、強さの順は息子>娘>私>夫。
勝った人が次の人に席を譲るという、とても気分のいいルールが出来たので、
夫と私がいっぱい遊べて、嬉しいやら悔しいやら。



事の顛末
2002年2月16日(土曜日)
1週間に土日を除く5日間、OA基礎講座に通い始めて、あともう少しで一ヶ月です。
パソコンを持っているだけでは、ワードもエクセルも使うチャンスがありませんでしたが、
集中的な勉強は実践向きで、結構使えるようになってきました。

この地に越してきてからも6ヵ月半が経ちましたが、その間信じられないくらい
いろいろな事が起こりました。
予定されていたいろいろな約束が果たされませんでした。

息子をいじめていた生徒は不登校になり、今はその親分格にいじめられています。

心臓が悪くて体育見学しか許されない少年がその事でいじめられ、
先生に「皆には内緒にしてください」と約束してした相談が、
先生の口から皆に話され、不登校になっています。

息子は体育の柔道の時間、寝技の練習中、ギブアップを聞いてもらえず、
脱臼して、形成外科に通いました。

文化祭を見に行った私は、他人の展示品を笑いながら壊している少年達や、突然なぐりあう
少年達という、文化とはかけ離れたものを見て来ました。

なんでも相談してくださいと言った担任の先生は、切迫流産で自宅待機。
副担任の先生も何でも相談してくださいと言われますが、相談しても
「悪い子達ではないんですけどね。」との意見しかもらえませんでした。

唯一判ったことは、今荒れている1年生は皆、ある小学校の卒業生。
その小学校では一つのクラスが学級崩壊を起こしていて、そのクラスの子ども達が
中学校に入ってもどうしようもなく荒れているようなのです。
「他人に対する思いやりを育てて来なかった子ども達です。」
と、副担任の先生。

「私は、あなたなら、どこに行っても頑張れると思ってたよ。」「ぼくだってそう思ってたよ。」
「甘かったよね〜。」「ほんっと、激甘だったよね。」
「こんな世界があるなんて、知らなかったよね。」

息子がある日青ざめて言いました。「もう僕は限界だよ。」
激甘・楽天家の家族は、すっかり現実的になり、古巣の埼玉に戻っていく事に決めました。
問題なのが転職してまでこの地に来た、夫の単身赴任です。
遠く離れても家族でいられるように、努力をしなければと思います。

中学校には転校予定を知らせておきました。
担任の先生が息子に言った「良かったじゃない。」と言う言葉に微妙に傷ついた私です。
我が家の行く先に、良いお天気の日々が続くように、祈っていてください。



入校式
2002年1月16日(水曜日)
今日はOA基礎講座の入校式でした。今日から2ヶ月風邪をひかずにいなくてはいけません。
ワードとエクセルをマスターしようと応募したのですが、2月1日までに3級に合格するように仕上げますとの事。
久しぶりの学校に、すっごく嬉しい。

学校のすぐそばに白壁の土蔵が並ぶ町並みがあります。
タイムワープしちゃったような不思議な景色。
森林浴のように、街を散策すると元気が湧いて来るようでした。



長崎まで4時間
2002年1月14日(月曜日)
夫の出身地は長崎県です。
正月の挨拶をしに、花の3連休を狙って遊びに行って来ました。
いつも会えない従兄弟にも会えるし、夫の妹弟にも会えるし、何しろ4時間でってのが
遠方にいた身としては嬉しいわけです。

一泊して長崎は雨だったので、雲仙普賢岳の火砕流跡に出来た「道の駅」に行って来ました。
何件か燃え残った家を土砂に埋もれたままの姿で展示してあります。
火山礫がごろごろ転がって家も電信柱も埋もれています。
日常がある日突然大きな力によってねじ伏せられた、とても恐ろしい景色を見てきました。

被災した人々が道の駅では働いていらっしゃいます。
命が続いていれば人間はまき返しが出来ると勇気づけられたような気がしました。

がんばろう。


今年もどうぞよろしくお願いします
2002年1月5日(土曜日)
さっしーの日常は、今までの生活が「けっ!ちゃんちゃらおかしいぜぃ!!」ってくらい
てんてこの度合いが強くなってきています。
じっくり考えゆっくり行動・・・の真反対の私は、考える前に走り始め、走ってから理由をくっつけるという
とてつもなくおこちゃまな性格。

今年は絶対そんな風には生きないぞ・・・とは思ったものの、今年も行き当たりばったり倒れて行き倒れになりそうな勢い。

とりあえずOA基礎講座を受講して、パソコン検定を受験するのが目前の目標。
その後は・・・・・・・また今度お知らせします。

今年もどうぞ宜しくね。