【論文要旨】  この論文は、森のなかの谷間の村を舞台とした後期の或る一連の作品群を、最新作『燃えあがる緑の木』三部作を中心として、論者独自の視点をもとに再構成し、大江健三郎という近・現代日本文学において稀有な強い方法意識を持った作家を、全体として作家論的視野に置き、そのテーマと方法、さらには現代日本文化との関わりを探ることを目的としている。  この作家独特の社会に対するコミットメントの仕方からいって、現代日本社会とこの作家の創作活動とを切り離して考えることは到底不可能である。したがって、おいおい文化論的考察を混えながらの論考は不可欠であるため、テーマが思ったより広がってしまい、それぞれの作品面の考察がやや概括的となってしまった点は、最後まで悔やまれた、拙稿の不十分な点の一つである。  具体的には、一九六七年『万延元年のフットボール』から一九六八年「核時代の森の隠遁者」、一九七九年『同時代ゲーム』、一九八七年『懐かしい年への手紙』、そして一九九三年〜九五年『燃えあがる緑の木』三部作にいたる作品群を対象としている。  大江のそもそもの出発点として、『飼育』、『芽むしり、仔撃ち』という初期を代表する、谷間の森の村に生きる少年を主人公とした小説があった。その後、一九六四年『個人的な体験』の発表を境に、『万延元年のフットボール』から自らの「根拠地」を谷間の森の村にあらためて見出した青年を主人公とする、一連の共通するテーマを持つ作品が創られはじめる。そこで論者は、『燃えあがる緑の木』の直接のルーツを『万延元年のフットボール』に定め、そこから考察を開始していきたいと考える。 *本論中引用部分はすべて『大江健三郎小説』(新潮社、一九九六年〜九七年) によった。また、本論中の【注】については、各章の最後に詳細または初出を 付したので、それを参照して頂きたい。なお、網かけ部分はすべて原文ではゴ シック文字である。 大江健三郎研究  ー『燃えあがる緑の木』をめぐってー              東京学芸大学大学院修士課程教育学研究科                 国語教育専攻国文学講座国文学第二分野     M96−1412 中道 さおり 【目次】 序章、かっこつき「最後の小説」に到る道程 ・・・1頁 一節、「最後の小説」宣言 二節、『万延元年のフットボール』から『懐かしい年への手紙』へ 第一章、『懐かしい年への手紙』     ・・・6頁 一節、死と再生の永遠の循環と〈歴史の終焉〉 二節、〈歴史の終焉〉と「第三の道の歴史学」 三節、メタ比喩の二重化構造−両義性の問題 四節、小説の知恵 第二章、〈救い主〉の位相と『同時代ゲーム』 ・・・35頁   一節、「蘇りとしての呼び名」   二節、壊す人の物語と『同時代ゲーム』   三節、日本の現実と文化を検証する新しい文化の理論の構築 第三章、自由への道とオウム真理教事件         ・・・47頁  一節、集団的言語と個人的言語 二節、「大きい眼」との婚礼の承諾 三節、暗喩(メタファー)としての『燃えあがる緑の木』 第四章、現代の大いなる物語            ・・・63頁              一節、「燃えあがる緑の木」のシンボリズムと「大きい眼」   二節、「中心の空洞」 終章、魂の再生の物語−森のなかの谷間の村の土地の力  ・・・73頁          (一頁800字×79頁=400字詰め原稿用紙約158枚) 序章、かっこつき「最後の小説」に到る   道程 一節、「最後の小説」宣言 『燃えあがる緑の木』第三部「大いなる日に」の草稿執筆中に、ノーベル文学賞発表があり、その際大江は、三部作を執筆後は創作活動を終結させ、その後の執筆活動再開の予定はない、と宣言した。当時さわがれたマスコミでは、多額の賞金によって家族の生活の心配が数年間はなくなったことで、伊豆の別荘へ長男・光氏とともに生活の拠点を移し、そこでスピノザを読みかえしながら、四十年近くにわたる創作活動を振り返ってみたい、という大江のコメントが掲載された。 しかし大江にとっての「最後の小説」が近づいていることは、その七年前、『懐かしい年への手紙』発表直後の一九八八年の一月、評論「最後の小説」のなかですでにIめかされていた【注1】。  宣言後の一九九五年三月にも、「小説というジャンルは終ろうとしているのではないか?」という発言がみられ、自らも小説を書くことに興味と魅力を感じられなくなったことが言及されている【注2】。  これらの大江自身の一連の発言ゆえ、一時は、『燃えあがる緑の木』を、大江の集大成とも、締めくくりの小説とも位置づけて考える向きもあったが、しかし、二年後そのような評価に対して、当の作家の側からははっきりと否という回答が突きつけられた。  生きている作家の作品の評価は下し難く、ノーベル賞受賞騒動にあずかって急いで商売をしなければならないと焦った安易な大江文学の入門書と称する本は、ここでみな作家の言葉を過信しすぎた結果、一番の急所を誤ったのではないだろうか?【注3】  大江が「小説をあきらめる」と述べた理由は、小説再執筆を決心する動機となった自己分析のなかで明らかにされた。つまりそれは、「漱石の『大事』、生死を問いつめての課題が、自分の小説の書き方では捕らえられないと思えたから」(「朝日新聞」一九九七年七月)であり、それはいわば自分のこれまでの創作方法の限界を確認したから、というものであった。 それは自らの小説の〈完成〉という認識とは正反対のものであることはもちろんのこと、「集大成」や「締めくくり」という言葉ともほど遠いものであった。 逆に、それは、「これまでなにひとつ書いてこなかった者のようにじっと耳を澄ますほかない・・・」(『大江健三郎小説10』月報「私という小説家の作り方」新潮社一九九七年三月)という作家の自己否定・自己放棄に転化し、作家としての果てしない試みへの覚悟の表明へと連なるものであったのである。 二節、『万延元年のフットボール』から    『懐かしい年への手紙』へ 一九九三年九月から一九九五年三月にかけて発表された『燃えあがる緑の木』三部作は、『万延元年のフットボール』から『懐かしい年への手紙』へと展開された物語の、さらなる続篇として考えられる。 『燃えあがる緑の木』における「さきのギー兄さん」は、『万延元年のフットボール』の「鷹四」と、『懐かしい年への手紙』の「ギー兄さん」という、大江の過去の二作品のそれぞれの重要人物のすべての背景を背負った人物である。直接的には『懐かしい年への手紙』の「ギー兄さん」のことであるが、『懐かしい年への手紙』中、作家の「Kちゃん」=「僕」が、「ギー兄さん」をめぐる強姦殺人事件を素材にして、『万延元年のフットボール』の「鷹四」をめぐる強姦殺人事件を書いた、と言わせていることなどから、作中設定が実際の大江の作品の制作順序とは相前後するが、その二人の人物の大江作品における連続性は明らかである。  さらに『燃えあがる緑の木』で新たに「ギー兄さん」の名を与えられた「隆さん」(「鷹四」とは同じ音である)は、そのような過去の大江の作品のなかで与えられてきた、谷間の村の人間の間に分けもたれた「ギー兄さん」という名の歴史的カリスマ性を、谷間にきてまだ間もない間に自身の身に一挙に引き受けつつ背負わなければならなくなるのである。 【注】 1.大江健三郎「最後の小説」(「新潮」一九八八年一月)に、    「僕としては、一人称の語り方で、それも自分の私生活を物語レヴェル     の語り方の基盤とするーしかもそこに立って、想像力的には自由な     展開を行うーという技法をこのところ続けて来た。それをしめくく     る、という思いにおいて『懐かしい年への手紙』を書いたのでもあっ     た。これから三人称の語り方において小説を進める、新しい仕方への     いとぐちは把握しているとも思う。(中略)       そこで僕が『最後の小説』として書くべき主題を、いくつかのかた     まりとしてまとめてゆく、そのノートの最初のものとして、この文章     を書いた。続きを書き進めてゆくことが、現にこれまで書いたことを     書きなおさせ、あるいはさらに、書きつぶしをさせて、ついには『最     後の小説』への、まだ漠然としたいまの構想自体、まるごと棄てさせ     ることになるかも知れない。しかし、ともかくも僕はこのようにして、     ノートをとり始める・・・」    とあり、「最後の小説」に向けて、三人称の小説の構想が語られている。   青春のはじめに男から女へと転換した「私」によって語られる一人称小説   ・『燃えあがる緑の木』は、この点でも「最後の小説」ではありえなかっ   たのである。 2.     「・・・・小説はそういう両義性を発見するが、両義性を一つの意味に     整理することは必要でなくて、両義性の間で揺れている、ひもの上で     一つの芸をしている。それは恐ろしいことですし、悲惨なことですけ     れども、同時に、笑いを誘う。それも、自分自身で自分を笑うことも     できる。見ている人間を笑い返すこともできる。そういうものとして、     小説はルネッサンス以後延々と続いてきた。それが小説の精神だ、そ     して近代の精神だというミラン・クンデラの定義に、僕は賛成なんで     す。  しかし、定義がだれの目にもはっきり見えてくる時代は、そのジャ     ンルが終わる時じゃないですか。ギリシャ悲劇についてもそうですよ。     僕には、小説は、自分にとって終わったという気持ちが強いんです。     クンデラがいうことがこんなにやすやすとわかる。それも自分の経験     に即してわかっているわけですよ。そうすると、正直なところ、小説     を書くことはこのままではできないですよ。クンデラもそう感じてい     るのじゃないのかな。」   (「群像 特別編集 大江健三郎」所収、対談「世                界と日本と日本人」一九九五年四月二十二日) 3.たとえば、『よくわかる大江健三郎』(文藝研究プロジェ、一九九四年十二  月)などは、はじめから『燃えあがる緑の木』を最後の締めくくりの小説と  した上で、そこから周辺作品の読解を行っている。 第一章、『懐かしい年への手紙』 一節、死と再生の永遠の循環と〈歴史の   終焉〉  大江健三郎の小説家としての軌跡をたどると、そのそもそもの出発点は、『飼育』『芽むしり仔撃ち』を代表とした、四国の森に囲まれた村に生きる少年たちを主人公とする小説であった。二十五歳(一九六十年)で日米安保条約改定阻止運動に参加して以後は、サルトルのアンガージュの姿勢で積極的に社会問題に介入・発言を行うようになった。  『ヒロシマ・ノート』(六五年)、『核時代の想像力』(七十年)、『核の大火と人間の声』(八二年)等の同時代評論のほか、『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(六九年)、『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(七二年)、『洪水はわが魂に及び』(七三年)等の小説の、「核状況下の文学」という意識がテーマの根Lを流れる作品群においても、大江は現在まで常に現実世界と対峙しつづけ、自己の生きている同時代とともに走り続けてきた作家であった。  この現実世界との取り組みとは、大江にとって、常に未来の世界のモデルを創り出すことであった。と同時に、常に未来の人間、未来のあるべき世界や人間像を模索しようとしてきたともいえる。それ故に同時代の読者にとっては、大江の描く人物像には少々風変りな、時にはかなり奇妙なところのあるエキセントリックな人間と思える人物が多く登場する印象を与えるのも無理のないことであった。  「核時代の森の隠遁者」(一九六八年発表、一九六九年新潮社刊『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』に収録)の「森の隠遁者ギー」(「ギー」という名がはじめて作品内で使われる)が発する、   核時代を生き延びようとする者は   森の力に自己同一化すべく ありとある市    ありとある村を逃れて 森に隠遁せよ! というメッセージは、『懐かしい年への手紙』においても、森のなかに生涯住みつづけることを決意し、森の自然環境を守る仕方で地元に活力ある生活を建設しようと試みる「ギー兄さん」が語る、「森の復元力・恢復力、人間を恢復させる力」を訴える思想に健在である。  大江の、このような、時代の痛みと個人の痛みとをともに癒そうとする姿は、時代の病いを象徴したオウム真理教事件で、人間よりいち早く毒ガスに反応する探知機がわりに使われ、炭坑ならぬサティアンに警察によって鳥かごごと入れられた憐れなカナリヤを思い出させる。というのは、大江が傾倒したカート・ヴォネガットの「芸術の『炭坑のカナリヤ』理論」のカナリヤに、大江はなろうとしているのではないかと思うからである。 カート・ヴォネガット「アメリカ物理学協会への講演」(“Wampeters Foma & Granfalloons”Delacorte Press 1969)によると、芸術の社会に対する有効性とは、以下のようなものとされる。   ・・・これについて私がいだくことのできる、もっとも積極的な考えは、芸  術の「炭坑のカナリヤ」理論と私が呼ぶものです。この理論が示すのは、芸  術家たちが社会にとって有効であるならば、その理由はかれらがきわめて感  じやすい者たちだということです。かれらは徹底して感じやすい。かれらは  有毒ガスが充ちてくる炭坑のカナリヤのように、より躰の強い者らが危険を  認める前に、卒倒してしまいます。  今日の集まりに来る前に、私が卒倒していたとしたら、それは私にできた  もっとも有効なことであったでしょう。他方、毎日何千人もの芸術家が卒倒  してはいるのですが、それに誰ひとりわずかな注意もはらわぬのです。  鋭敏な感受性で時代の危機をいち早く察知し、「二十世紀がテクノロジーと交通の怪物的な発展のうちに積み重ねた被害を、できるものなら、ひ弱い私みずからの身を以て、鈍痛で受けとめ、ディーセントに、かつユマニストとして、人類の全体の癒しと和解に尽くしたい」(ノーベル文学賞受賞講演「あいまい(アムビギュアス)な日本の私」「朝日新聞」一九九四年十二月八日)と述べた一人の芸術家の姿に、痛ましいまでの時代との格闘の跡を見せつけられたような気がした。  現代における、核問題や人口問題を含んだ環境問題は、かつて人類が経験したことのない火急性と、想像を絶する幾何級数的な規模の拡大の仕方で人類の目前に迫って来ている。それは巨大な危機であり、かつて人類が経験したことのない規模の文明の崩壊を、極めて急速な展開によって招く可能性の高いものであるだけに、その危機を回避するためには想像力によるしかないという非常に困難な問題を孕んでいる。 〈人類〉という視点を持つのでなければその生存が危うい、という現代においては、真の芸術家であるなら決して避けて通れない主題が現代文学の中に新たに加わるはずである。その主題に現在も執拗に取り組みつづけている日本で数少ない小説家が大江健三郎である【注1】。 ところでまた、過去の自作を含む、多く主に外国作品からの引用癖もこの作家の大きな特徴である。『懐かしい年への手紙』においても、遠い過去から現在、そして遥か彼方の未来までも見通した世界のイメージが、ダンテの『神曲』によって導かれている。  先にも述べた一連の作品群の中で歴史的重要人物として変化してゆく「ギー兄さん」は、『懐かしい年への手紙』では「Kちゃん」=「僕」の師匠(パトロン)であり、また作者大江自身にとっても、「そのように生きるべきであった理想像」である人物である。大江がこれまで出会ってきた多くの師匠的人物の合成であるという(大江健三郎「著者から読者へ」『懐かしい年への手紙』講談社文芸文庫)「ギー兄さん」は、「この世界の・またそれを超えた世界を把握するための、森のなかでのモデル作り」(『懐かしい年への手紙』「第三章 臭いたてる黒い水」講談社一九八七年)のためにテン窪に人造湖を建設する。そしてこの人造湖に『神曲』の煉獄の島の情景を重ね、「この世界・またそれを超えた世界」を理解する手がかりを見出そうとするのである。 そこで「ギー兄さん」によってテン窪大Mの島を中心にした人造湖が造られてゆくのであるが、しかし、その完成後下流の町の住民によって「ぎー兄さん」は酷たらしい仕方で処刑されてしまう。そして、その遺骸を目の当たりにした「K」が、かえって「この世界・またそれを超えた世界」を理解する手がかりを、クライマックスで「ギー兄さん」から得ることとなるのである。  これは語りの構造の面からみて自然な行き方であるといえよう。この作品では、神の視点・三人称の語りとは異なり、語り手はあくまで「Kちゃん」の視点を通した語りであるため、「ギー兄さん」が渇望した不在の世界のイメージがエンディングで描かれるのは、あくまで「K」の内面を通してしかありえない。このように、いわば生きたまま地獄から煉獄へ、そして天国を見て歩くダンテの役割は、「K」に与えられているのであり、煉獄の責苦を直に味わうのは、人造湖建設反対派によって酷たらしく殺される「ギー兄さん」である。そのかわりといっては皮肉であるが、そのような〈受難〉/自分でつくった煉獄の島で処刑にあうことによってはじめて、彼の魂の浄化の最終段階を迎える準備は整うのである。  永遠にそこから出られず自らの犯した罪に応じた罰を永遠に背負わなければならない地獄とは異なり、煉獄ではそこで苦しみを受け罪を洗い清めた者は天国に昇り、至上の神の御前に出ることが許される。苦悩と不幸の果てにはじめて歓喜に到ることができるのである。したがって、最後に「僕」が煉獄の島に見るイメージは、実際の眼前の光景にある悲惨きわまる光景とは異なる。それは、いわば〈魂の眼〉で見られた光景であり、天の船頭(天使)に導かれた煉獄の魂たちに擬せられた「ギー兄さん」、「僕」、「オセッチャン」、(「僕」の)「妹」、「オユーサン」、「ヒカリ」らの、テン窪大Mの島の美しい春の岸辺にくつろぐ姿が、「僕」によって夢想されるのである。威厳ある老人=煉獄の番人カトーに、「何ぞかくとゞまるや、走りて山にゆきて穢を去れ、さらずば神汝等にあらはれたまはじ」と叱りつけられるが、彼らはまるで「すべては循環する時のなかの、穏やかで真面目なゲームのよう」に、叱りつけられては大Mの根方に登り、登っては叱られる「永遠に循環する夢の時」の無垢なヴィジョンのうちに遊ぶのである。  それらのクライマックスの情景が可能なのは、「ギー兄さん」がその時すでに魂の浄化段階に入っており、そこへ住民の妄想によって殺害されることで、住民の罪を贖う贖罪の山羊(スケープゴート)としてその死が神聖化されるからである。人造湖の水に浮かぶ「ギー兄さん」の遺骸が煉獄の島に似せられた大Mの島に「オセッチャン」と「妹」によってボートで運ばれ、横たえられる、その光景を見ている「僕」によって、『神曲』のなかの煉獄の島の情景と「永遠の夢の時(ジ・エターナル・ドリーム・タイム)」の思想とが同時に思い描かれ、その中で「ギー兄さん」は、むしろ処刑の不合理さと残虐さゆえに、その罪が清められ、『神曲』の偉大な詩人や賢者たちに重ねられた死が神聖化されるのである。  「永遠の夢の時」は、もともとオーストラリアの原住民・アボリジニーの信仰、宇宙観・世界観であるが、世界中の様々な場所で、同じタイプの考え方が見られる〈永劫回帰〉の思想である。「かつてなされた規範的な行いを、この『時(タイム)』のなかで模倣したり、繰り返している、という考え方」(第一部第六章「懐かしい年」)。  この考え方が「ギー兄さん」によって、森のなかの谷間の村という地域の特徴に根ざした変形をうけたそれは、森がまず「世界の中心」にあり、村の人間が死ぬと死んだ肉体から魂が脱け出てそれぞれの決まった木の根方に憩い、「永遠の夢の時」へと帰ってゆく、というものである。  この「永遠の夢の時」を、物語の進行につれて、「ギー兄さん」と「僕」は心の最も深いところで共有し合うようになってゆく。この夢の共有が、結末部のテン窪大Mの情景を、「すべては循環する時のなかの、穏やかで真面目なゲーム」として捉えることへとつながってゆくのである。こうして、「ギー兄さん」の魂の浄化と浄化された死、至福の魂が、静かなテン窪の情景のなかで夢のように穏やかに表現されるのである。  このような結末については、「Kは幻想の中にしか存在しない『死後の超越的世界』を観照し」ており、「あまりに非現実的で観念的な人間救済」であり、「非合理主義的結末であるといわざるをえない」という批判もなされているが【注2】、大江が、「アクチュアルなものではなくフィクショナルなものによって、現実の自分を励ます」(『最後の小説』一九八八年)という意図をこの作品について語ってもいるように、小説のリアリティーの問題は上記の批判ほどそう簡単に断じきれない問題を多く含んでいるはずである。 たとえば幻想文学はよくPara-Literitureとして位置づけられ、一つの文学のジャンルとしての扱いを受けなかったり、非現実性やこどもっぽさが指摘されるなどして軽くあしらわれがちであるが、必ずしもファンタジーやおとぎ話、神話等の物語に、一般にリアリズム小説といわれるものよりリアリティーがないとは言い切れない。大江は小説のリアリティーについて、以下のように自己の仮説を立てている。  大江は、評論集『小説のたくらみ・知の楽しみ』(一九八五年)で、ミルチャ・エリアーデの『永遠回帰の神話』(一九五二年)の或る物語詩の挿話を引いている。前大戦の直前、エリアーデがルーマニアのマラムレスの村で調査したという、その村で語り継がれている物語詩は、婚約者を妖精に殺されたある娘が、その殺された婚約者の葬りに際し、神話的な引喩や田園詩の美しさにみちた典礼のいいまわしにそくして葬りの嘆きの言葉が繰り広げられた、というものであったが、ところが実際に当の娘であった老婆に聞くと、自分はただありふれた悲しみをあらわしたのみで、物語詩にあるような美しく豊かな、神話と典礼にのっとった嘆きの言葉を発しはしなかった、と証言したという。   四十年前の出来事は、村人にとってあまりにきわだったものだったから、い  ったん神話のカテゴリーを通してしか、その含む意味の全体をよく受けとめ  えない。そのように感じて村人は、実際の出来事を神話と典礼に昇華させて  物語詩をつくり、これこそ現実の出来事だったと信じたのだ・・・   ・・・(略)・・・   この出来事は、当事者の娘が記憶する現実そのままのあり方より、民族に根  ざす神話や典礼のかたちを介してはじめて、すなわち物語詩に高められては  じめて、集落全体の納得するリアリティーをあらわした。 ・・・(略)・・・ 僕らが小説のなかで、ひとつの言葉、フレーズ、または当の小説全体のそれ  ぞれのレヴェルで、リアリティーを感じる。それも必ずしも現実にそくさず、  現実らしくもないものに、なおもリアリティーを感じる、ということがある。  それはすなわちわれわれが、自分の人間としての根Lに持っている、神話的  な時間の中で、神々あるいは祖先によってなしとげられた行為の「元型」に  つながるものをそこに見出す時、リアリティーを感じとるということではな  いか?                                           (*傍線中道) 傍線部分の「神話的な時間のなかで、神々あるいは祖先によってなしとげられた行為の『元型』」は、『懐かしい年への手紙』の「ギー兄さん」と「K」の共有する「永遠の夢の時」につながる考え方といえよう。ここには大江の、小説のしかけとしての神話的世界の創出の原理が窺える。  『懐かしい年への手紙』のラスト・シーンで、テン窪大Mの島の上に横たわる「ギー兄さん」と彼を取り囲む者たちに、「僕」が煉獄の島の情景を重ね合わせ繰り広げる、「すべては循環する時のなかの、穏やかで真面目なゲームのよう」な神話的情景は、観念的であるともいえなくはない。しかし、自己の意識と深く響き合うという感覚がリアリティーであり、また、〈まことらしさ〉というものであるとすると、それには事実や作家の体験に縛られた作品が描ける世界には限界がある。またそのような作品が必ずしも作り手の表現したいものをよく形象化し、またイメージ化できる方法であるとも限らないのである。  表現者が、自己の表現が自己満足に陥らないために常に心を砕くことは、受け手にイメージがよく伝わるような表現方法を工夫することである。作家自身の自己救済やカタルシスをもとめてのみでは、表現者としてプロとはいえないことはもちろんである。そのように芸術家一般が共通して苦心する創作方法についての分析を経ることなく、いきなり政治思想的原理から硬直的に一刀両断のもとにすべての作品を無化してしまうような批評は退けられねばならないだろう。芸術固有の方法と役割とその困難さを、(政治的)批評家ももう少し知るべきであるのではないだろうか。 大江は『懐かしい年への手紙』のエンディングにおいて、人間の魂の至福にいたる幻想的で神話的な想像力的世界を、よくそこに形象化しえたといえるだろう。それには語り手である「僕」が、ギー兄さんと「永遠の夢の時」を共有し得る人物として、またギー兄さんの魂の真の重み・清浄さを担って見合うだけの魂を持ち得る人物として、最後によくギー兄さんの深層の魂を抱きあげ、共有した夢であった「永遠の夢の時」へとその魂をおくりこむことができたこと、このことにつきるであろう。一人称の語りの方法からいって、たとえ受難者はギー兄さんであり、天に召されたのは語り手の「僕」ではないのであるにしろ、この語りの方法ではそれが限界であるはずである。生きたまま地獄から煉獄、そして天堂へと巡ったダンテが、地上に帰りそのすべてを語った『神曲』は、壮大な詩作品であるからこそ、絢爛たるイメージの世界を一人称で巧みな直喩を驚異的に駆使しつつ、描ききることができたのである。しかし大江のそれまでの小説の書き方では、 それは不可能である。これまでの書き方のまま死人に彼岸の世界を語らせたりなどすれば、それはそこだけ妙なオカルト小説となってしまうことであろう。 したがって、それまでの現実感に満ちた作品世界から一変し、エンディングで第三者である語り手の「僕」が、ギー兄さんの受難の後の、煉獄の至福に満ちた美しく宗教的でさえある世界を、一人称の語りを通じて見事に現出し、ギー兄さんの魂をそこに送り込むためには、そこに到る過程で、この物語は「僕」とギー兄さんの二人の苛烈な魂の物語であることが絶対に必要になってくるのである【注4】。つまりギー兄さんの魂の浄化の物語とそれを受けとめ語っていく僕の二人の、俗世での大きな修業の物語抜きでは、最後の夢のような至福の情景は僕の眼前に現出しえないのである。〈苦悩を通じてはじめて歓喜に到ることができる〉のである。この点については、三節でもう一度考察したい。  このようなエンディングに読者が、「自分の人間としての根Lに持っている、神話的な時間のなかで、神々あるいは祖先によってなしとげられた行為の『元型』につながるもの」を、あるいは「永遠の夢の時」という普遍的な永遠回帰の物語をそこに見出したとき、幻想的・神話的なイメージの世界に、私たちはよくそこに描かれている問題とヴィジョンが、それぞれの意識と深く響き合うのを感じとることができるのではないだろうか。 二節、〈歴史の終焉〉と「第三の道の歴   史学」  『懐かしい年への手紙』は、一九八七年に書き下ろしで出版された。その二年後に東欧の壁が崩壊し、つづいてその二年後にソ連邦が崩壊した。八十年代後半は、世界を大きく二分した冷戦のイデオロギー対決が終結し、資本主義・共産主義ともに産業化論の収斂理論に吸収されたかにみえた。そして、〈イデオロギーの終焉〉〈歴史の終焉〉等ということがさかんに叫ばれた時代であった。このような世界的な時代状況を、大江健三郎は作家として事前にどのように直観していただろうか?  『懐かしい年への手紙』執筆後大江は、「最後の小説」の構想を明らかにし、 五年後の九三年には、『懐かしい年への手紙』の続篇となるライフワーク『燃えあがる緑の木』の執筆を開始する。大江にとって『懐かしい年への手紙』は、「最後の小説」に直接つらなるものであったということができるだろう。  そうであるなら、時代意識としての〈歴史の終焉〉と、作家大江個人としての「最後の小説」という思いは、どのように同作品においてコンテクストとして反映しているだろうか? これら二つのことは、互いに全く無関係ではありえない事柄のように思える。  先述した、世界中いたるところで見られるもともとはオーストラリアのアボリジニーの宇宙観・世界観である「永遠の夢の時(ジ・エターナル・ドリーム・タイム)」は、「僕」と「ギー兄さん」の共有する宇宙観・世界観であり、それは最後の結末部分で「K」によって「いつまでも循環する時に生きるわれわれ」という表現でも輻輳される。この「いつまでも循環する時に生きるわれわれ」という認識は、裏を返せばもう本質的に新しいことは何も起こりえない、という認識である。この時期一九九四年は、オウム真理教事件が起こり、終末思想が世界的にカルト教団を中心に広まった時期であった。それは日本社会の一般的風潮としては、自由と民主主義が達成されてもう何もなすべきことはない、目的も情熱も何もない時代である、という虚無的な時代認識として存在したと思う。  現代において、特に若者が時代からこのようないわば〈老年の意識〉を強いられるということは、不自然な老いが装われるということである。このような若い世代が、感受性とは無縁の科学技術中心の時代に失われた精神性を、歪んだかたちで満たそうとしたのが、オウム真理教事件であったのではないだろうか。  ジュリア・クリステヴァは、当時朝日新聞のインタビュー記事で、「伝統的宗教やイデオロギー、国家や家族の柵から解き放たれて暴力や憎悪の感情・悪の衝動がむき出しになっている」現代の危機的な「魂の荒廃」状況を述べたが(一九九五年九月二十三日付夕刊)、それは現在も変わらず続いている憂慮すべき状況であるといえるだろう。  たしかに当時のような状況には、大江が一時、半ば諦めかけていたように、もはや「小説がわけのわからない方向へ向かって書かれてゆく時に生まれる、小説のエネルギー」のようなものは失われてゆくのではないか、ということが危惧される時代ではあったかもしれない。そういう状況では、もはや小説家は、「後ろを向いて、自分の書いたものを検討しながらやるよりほかなくなる」かもしれないであろう。  しかし別の観点からみれば、このような〈歴史の終焉〉と言われている時代だからこそ、個々人が照らし出される時代、今までとは異なり、歴史に刻まれて来なかった名もない庶民や敗者・弱者・小数者の側の歴史、女性や小数民族、先住民など、勝者の陰に隠されてその存在すらも歴史から抹消させられてきた人々の側の歴史というものが、初めて公のもとに現れ得る時代となったといえるのではないだろうか。ワープロの普及によって、数年前から自叙伝や自己史というようなものが夥しく自費出版されてきたという状況はそのなによりのあらわれである。  その意味で、〈歴史の終焉〉とは、古い歴史概念としての《歴史》の終焉ということではないだろうか。今まで歴史に現れて来なかった人々の《歴史》はこれから始まる、そういう時代の幕開けを示唆する作品として、この『懐かしい年への手紙』の同時代にしめる位置を考えてみたいと思う。 三節、メタ比喩の二重化構造ー両義性の   問題  文庫本の解説の中で小森陽一氏は、ヘイドン・ホワイトの四つの比喩を援用しながら、この作品の全体的な構成を地上に生えている一本の樹木に喩えている(講談社文芸文庫「解説」一九九二年)。この四つの比喩は、この長篇の全体像をあますところなく捉え、全体的な作品像を網羅的に浮かび上がらせるのに役立っている。  氏によると、この作品は、1.「隠喩的」な結びあいを基軸にして天上での救済が志向され、2.「換喩法」によって全ての枝葉を因果的に結びつけ、3.「提喩法」によってあらゆる部分を全体と有機的に結びつける、という読み方のいずれもが可能な構成を持っており、ちょうど樹木が天上に向かって伸び、幹から枝葉を繁らせ、どの部分も全体と同じ組織をもっている樹木の構造に似ているとするのであるが、そのなかで最も重要な意味を持つのが、以上の三つの比喩に対する四つ目の、4.「メタ比喩」であると思われる。  「メタ比喩」とは、いわば作品が生き続けられるよう温かい血流を作品の中に送り込みつづける心臓部分の役割を果たすものといってよい。すなわち小森氏によると、樹木(作品)が生き続けるためのこの樹液(血液)は、それを読む読者によって流され、先の三つの比喩のいずれによって読むかは、読者がどう自分をこの作品に関わらせてゆくかということにかかっている。いいかえれば、読者の想像力にかかっている、といってもよい。そのような読者の自由な読みを可能にするもの、読者の想像力を養分として樹木に吸い上げ、血液として作品に生命を送り続けることを可能にするものがこの「メタ比喩」なのである。  この「メタ比喩」は、作中いたるところで反語法として作用している。この反語的作用によって、一つの事柄に全く正反対の意味を複数含ませることが可能となる。たとえば、作中実際の過去の大江のいくつかの作品が再構成され、その中に書かれた事件が再解釈されてゆく、ということがおこなわれるのである。  『死者のおごり』や『個人的な体験』という大江の初期・中期を代表する作品について、そうではない、そいうことではなかった、こういう終わり方もあるのでは、というふうに、作品内に改めて書き移された過去の作品の文章が、文字の真ん中を傍線が引かれて消されてゆき、再構成されていくなど、また『万延元年のフットボール』のなかの事件が新たに多面的に捉え直されていったりする。今も出版できずにいる『政治少年死す』は、書かれなくてもよかったのではないか、という全否定すらおこなわれる。自己の過去の作品に対し両義性をもたせることで、否定的・反省的捉え直しがおこなわれるのである。  「僕」の青年の頃の政治的行動についての否定的反省や、「ギー兄さん」の村人に対する愛と憎悪、といった相対立する両義性の可能性がいたるところで示され、先述した一つの事実と対立する事実を併記する、という反語法的な語りが繰り返しなされる。このような反語法的な語りの方法によって読者は、ある事柄の構成や解釈はいくらでも書き換え可能である、という認識を鍛えられ、読者みずからがその物語の書き換えに参加し、あるいは批判を行うことが可能となってゆくのである。 このような作品の多元的構造によって、読者は「複雑に入り組んだ出来事をめぐる時間の構造を、自らの記憶を関わらせながら解きほぐし」【注3】ていき、作品に参加し自由に書き換えを行い、自らの個別的歴史をつくりあげてゆく。 もっとも「ギー兄さん」は、「森のなかの土地の昔語りと結びつく」歴史学を「第三の道の歴史学」として提案しているのであるが、それは「僕」と「ギー兄さん」を含む一個の村としての歴史であり、読者という他者と出会い、その記憶に相互に書き込み/書き込まれることを待ち望んでいる開かれた場としての歴史として存在するのである。  しかし、小森氏のように、これを作者自身が自作をディコンストラクトした作品と読むだけでは不十分である。氏の論はあくまで作品構造の全体像を手際よく捉えるのには有効であるが、それだけではかえって「僕」と「ギー兄さん」がそれぞれの内的必然性から真理を渇望した、あるいは待ち望んだ姿が抜け落ちてしまうおそれがある。つまり、ディコンストラクショニストの一般性に回収されてしまう危険性があるのである。この作品の二重化構造は、永年作家を続けてきた小説家の〈知恵〉であり、ミラン・クンデラのいう「小説の精神」というものであるといえるだろう。  ただし、そのクンデラのいう「小説のヒューモア」を、そのままこの作品に当てはめ、氏のように、「このような反語法は、・・・相対立する認識や解釈を抱え込みながら、なおかつ、絶望の認識や解釈から読者を解放するヒューモアのような働きをする」と言うと、ディコンストラクショニストとの重要な相違がわからなくなってしまう。そのヒューモアに到る不幸の過程が大切であるのに、その苦悩と痛苦とを語らずに、そのようなヒューモアなどデリダの〈記号の戯れ〉とどこがちがうであろうか? 氏においては、もう片方の血を流している方が見失われているのである。  たしかにエンディングは至高の美しさである。そこには、「およそ人間の望み得る至福のイメージ」が現出されており、「物語がたどりつきうる最も美しく幸福なエンディング」(【注4】山田有策「国文学」一九九七年二月「『懐かしい年への手紙』ー「僕」と「ギー」の物語」)が、宗教的とも言える荘厳さのなかに達成されているといってよい。しかし一方で、そこに到る「ギー兄さん」の、出獄後の生々しい苛酷な現実抜きでは、そのような究極の美には到れなかった、という過程がむしろ大切なのであって、そこを見逃して氏のようにヒューモアだけ云々するのはどこか空虚な気がする。  氏の述べていることは、本質的にイロニーであって、「ヒューモア」ではない。氏の先の四つの比喩を使った論では、そのような小説の知恵・ヒューモアを可能にする『懐かしい年への手紙』の「メタ比喩」(反語法)を、「イロニー」として捉えているにもかかわらず、結論でいきなりそれを「ヒューモア」に転化させてしまうところに、氏の論の無理が生じるのである。イロニーとヒューモアとは、一見相似て非なるものであろう。イロニーには、どこか超越論的な高みから見下したような嫌みがある。ヒューモアは、まず自らの悲惨を笑う。  ジャック・デリダは、『グラマトロジーについて』(一九六七年)で、言葉=記号の〈意味するもの〉が、言語の体系のなかで差異化の過程にある姿を〈戯れ〉と表現したが、『懐かしい年への手紙』はそれをあらゆる事象・人間の行動にあてはめ、「すべてはテクストである」と述べたデリダの説を敷Jしているかのようにみえる。しかし、デリダが現実や真理と格闘する文学の姿に背を向けた根本姿勢であったのに対して、『懐かしい年への手紙』の登場人物たちは、みなまさに自己と同時代の現実と歴史とに正面から向き合った結果として、それらのうちに両義性を見出した、という点が大きく異なる。デリダをはじめとするディコンストラクショニストたちにおいては、対象認識の真理性が疑われているために、現実分析と真理の発見、問題解決の方向ということそのものが問題にはならず、むしろその分野において真理・権威とされ、それが二項対立的に他者を抑圧している場合にその関係を脱構築することや、その分野の言説の断層(アポリア)の発見にのみ力が注がれることになるのである。  従来までの認識論的布置を根底から疑い、エクリチュールにより自由な解釈を展開する根拠を用意し、新たな地平を切り拓いたデリダの世界はたしかに斬新で魅力的であった。しかしその一方で、それはまさに「両義的」にもアカデミズムから広く一般にわたって知的ペシミズムを蔓延させる根拠をも用意した。『懐かしい年への手紙』の反語法による両義性は、少し捉え方を間違えばこのようなペシミズムにもつながりかねない。  しかし実際は、その両義性は、「僕」と「ギー兄さん」の二人の真の罪の意識から発したものであり、「ギー兄さん」にとっては自らの死を賭して、渇望し、切実に待ち望んだ結果の真理の仮の姿として現れ、「僕」の方には同じ苦悩を共有した小説の神によって眼の前に示されたものであったといえるのではないだろうか。それが、傍観者の〈戯れ〉とは全く異質なものであることはいうまでもないであろう。 四節、小説の知恵  大江は或る対談【注5】で、ミラン・クンデラの『L’art du Roman』(邦訳『小説の精神』法政大学出版、一九九十年)に共感を示しながら、「ヒューモアの精神とは小説の精神でもある」と述べて、そのような精神を持った人間の具体的なイメージとして、「両義的な二つのゴールがあるとして、その間にひもを渡して、その上で曲芸みたいなことをしている猿」をあげている。そして、「その猿の態度がヒューモアの態度で、小説の淵源である」と述べている。  「綱渡りの猿」の比喩は巧みである。『懐かしい年への手紙』においても、二つの可能性のうちのどちらかをとる、というのではなく、両義的な、どちらか一方には解決できない状態に二つのものがある、ということを率直に認める精神的態度があった。  過去のいくつかの作品の再構成とそのなかの事件の再解釈、「僕」による自己の行動の捉え直し・自己否定的反省、「ギー兄さん」の村人たちに対する愛憎の両義性、そしてさらにこの作品を多面的にしている、「僕」と「ギー兄さん」とを取り囲む女性たちによる独自の立場からの現実的で痛烈な批判・・・  このような小森氏のいう「メタ比喩」を可能とさせる作品内事実の提示の仕方は、まさに「ギー兄さん」が『万延元年のフットボール』の読後感を語る際に述べているとおり、「あのようにふたつの可能性をあわせ示して、どちらとも決定しないでいることは、作家以外のほかの人間にはできない」仕わざであろうと思われる。  この『万延元年のフットボール』は、「僕」が「ギー兄さん」をめぐる強姦殺人事件を素材にして執筆したとされる、大江の過去の実在の小説でもあるのだが、その作品中の、「事件」をめぐる二つの解釈、すなわち被疑者の「鷹四」自身が告白するかたちで強姦殺人を行ったと主張する場面と、その兄「蜜三郎」が別の解釈をほどこすことで「事件」が偶発的な事故であったと主張するところを書き併せることで、「僕」は「ギー兄さん」の「事件」を多面的に捉えることを試みる。そしてその『万延元年のフットボール』を読んだ「ギー兄さん」が、以下のように読後感を語るところに、二人の事件に対する複雑な苦悩と、それをなんとか乗り越えようとする小説家Kの、追いつめられた憐れな「猿」の姿が示されているのである。   ・・・、あの小説を読んでみると、Kちゃんが自分の犯罪の受けとめか方に  ずいぶん苦しんだことがよくわかった。小説では、「事件」がどのようなも  のだったか、ふたつのとらえ方が併置されているんだね。鷹四が主張するか  たちと、蜜三郎の解釈と。自分の「事件」をそのまま受け入れることにKち  ゃんが苦しんで、しかしなんとか対応して・乗り切れえたにには、やはりK  ちゃんが作家だから、ということが有効だったのじゃないか? あのように  ふたつの可能性をあわせ示して、どちらとも決定しないでいることは、ほか  の職業の人間にはできないよ。たとえば検事や判事にはね・・・ (第三部 第一章「さていと聖なる浪より帰れば、我はあたか         も若葉のいでて新たになれる若木のごとく、すべてあらたま         り/清くして、諸々の星にいたるにふさはしかりき」) さらに、この二つの事件の捉え方に加え、車から飛び出して大怪我をした繁さんの生命を絶望した「ギー兄さん」が、死に際の苦しみを軽減するために頭蓋骨を石で殴打したそ一撃が、彼女を死に至らしめたのではないか、というもう一つの解釈が重ねてつけ加えられている。 この事実の多面的な捉え方について、【注2】にもあげた中村泰行氏は、「僕」が過去の自分の政治的活動を否定的に反省していることを主な理由に、この作品を大江のそれまでの作家活動からの「退行的屈折」(注1に同じ)であると批判しているが、それは全く政治的立場から捉えられた見方といわざるをえない。  この作品の主題は、あたかもダンテの『神曲』の煉獄の島廻りのごとく、苦役を担いつつ、螺旋状にぐるぐると遠回りをしながら魂の高みへと登ってゆく魂の浄化の物語なのであって、それはまた先述した「小説家の知恵」でもあるのである。  『懐かしい年への手紙』に直接つながる物語である『燃えあがる緑の木』第二部のタイトルでもあるが、「vacillation(揺れ動く)」的に一つの物語を繰り広げることが「小説の豊かさ」なのであり、また「小説の知恵」であるといってよいだろう。大江は先述した対談で次のように語っている。   物語っていくことをすれば、時間は縦軸で進行しますから、最初A極につい  て語っていて、そんなにいろんな手続を経ないで次はB極を語っていても、  語りとしての統一性が保てるんです。それこそvacillateできるんです。   ・・・(中略)・・・   講演は論文より小説に近いんですよ。小説も時間軸にそわせればいろんなこ  とができるものなんです。A軸の側だった人物が、五十ページぐらいたって  B軸の側になっても、それは小説を豊かにこそすれ、失敗ではないんです。   つまり、小説の豊かさというものは確かにあるんですね。小説の知恵という  ものが確かにありますよ、クンデラのいうように。(*傍線中道)                 (「群像 特別編集 大江健三郎」所収、対                 談「世界と日本と日本人」一九九五年四月)  揺れ動きつつ遠回りの旋回を続けながら、否定・矛盾を通して一層高い境地へと昇る・・・ ミラン・クンデラは、『裏切られた遺言』で、十九世紀のヨーロッパが確立した「小説の知恵=ユーモア」について次のように述べている。   ユーモアは人間の大昔からの慣行ではなく、小説の誕生と結びついている発  明なのである。したがってユーモアとは、哄笑、嘲笑、風刺などではなく、  ある特殊な種類のおかしさなのだ。これについてパスは(そしてこれがユー  モアの本質を理解する鍵なのだが)、ユーモアは「それが触れるいっさいの  ものを多義的にしてしまう」のだという。(ラブレーの『第四之書』におい  てー中道注)パニュルジュが羊商人たちをかってに溺れさせながら、彼ら  にたいしてあの世の生の礼讃をしてみせる場面に面白さを感じられない者た  ちは、小説という芸術をけっしてなにひとつ理解できないだろう。                              (*傍線中道)  (ミラン・クンデラ 西永良成訳『裏切                   られた遺言』集英社、一九九四年九月)  傍線部分「それが触れるいっさいのものを多義的にしてしまうユーモア」とは、大江が「小説の淵源」として考えている、「両義的な二つのゴールがあるとして、その間にひもを渡して、その上で曲芸みたいなことをしている猿」のイメージ、すなわち先の節で述べた多元的な作品構造に示されている小説の精神=ヒューモアの態度につらなるものと考えてよい。  ただし、先にも述べたように、小森氏の言っていることは本質的にイロニーであって、ヒューモアではない。小森氏の捉え方では、そのような小説の知恵・ヒューモアを可能にするしくみである『懐かしい年への手紙』の「メタ比喩」(反語法)は、「イロニー」と異なるところはない。にもかかわらず、結論でそれを「ヒューモア」に転化させてしまう点に、氏の論の強引さが起因するのである。「イロニー」と「ヒューモア」とは、相似て非なるものであることはさきにも述べた。  近代に生まれた小説の精神・「ヒューモア」は、裏面からいえば、神経症的傾向の強まった〈近代的自我〉にとっての必要から生じたのではないだろうか? ミラン・クンデラはまた次のようにも述べている。   しかし、なぜ神は考えている人間を見て笑うのでしょうか。それは人間が  考えても、真実は人間から逃げていってしまうからであり、複数の人間が考  えれば、一方の考えは他方の考えとますますへだたってしまうからであり、  そして最後に、人間は自分がそうであると考えるものでは決してないからで  す。中世から脱出した人間の、この根本的状況が明らかになるのは、近代の  黎明期です。つまり、ドン・キホーテもサンチョも考えますが、世界の真実  のみならず、彼ら自身の自我の真実も彼らから逃げていってしまうのです。  ヨーロッパの最初の小説家たちは、この人間の新しい状況を見て取り、この  状況の上に新しい芸術を、小説という芸術を確立したのでした。 (ミラン・クンデラ 金井裕・浅野敏夫訳『小                説の精神』法政大学出版局、一九九十年四月)  〈近代的自我〉に特有の神経症という厄介な病いに関して、柄谷行人氏は興味深い考察をしている。柄谷氏は両義的ということについて、ambivalent と ambiguous とを対立する概念として捉えている。  例えば、我々の感情はほとんど常に両義的です。愛があれば同時に憎しみ  がある。愛着があれば同時に嫌悪がある。常に二つの対立的な価値になるも  のが共存している状態だと思うんです。その場合、 ambivalent (両価的)  な態度とは、それをクリアにしようとする、一つの方に決めてしまうという  ことです。    卑近な例でいいますと、私は東京大学なんか否定するという態度をとる人  は、その分、実は東京大学にものすごくこだわっている可能性がある。文壇  を否定するという場合でも同じです。(中略)フロイトが「否定」という論  文に書いていますが、ある人が「絶対にそんなことはない」と否定するとき、  それはその人が欲望していることなんだというんですね。強く否定すること  で自分の欲望を語ってしまうわけです。そういうのが ambivalent だと思  うんです。 ambiguous というのは、たとえば東大などはくだらないが、ま  しな点もあるということを認めるというような態度ですね。    神経症というのは ambivalent なんです。精神分析の治療というのは、  それを ambiguous にすることだといってもいいと思います。それは葛藤の  原因を取り除くことではなくて、たんにそれを知ること、つまり、解決でき  ない状態に自分があることを率直に認められるようになることですね。両義  性を肯定できることが「治る」ということなんでしょうね。フロイトによれ  ば、人間は、あるいは人間の文化は神経症的なもので、その条件を除去する  ことはありえない。除去しようとする態度は ambivalent です。われわれ  に可能なのは、そのような条件の両義性を認める態度です。 (前出・「群像 特別編集 大江健三郎」所収、                 対談「世界と日本と日本人」一九九五年四月)  柄谷氏は、ambiguous な態度、すなわちものごとを〈二重化〉し考えることのできる態度/一人の自分をもう一人の自分が笑うことのできる態度を、正岡子規の「写生文」やフロイトを引きながら、「ヒューモア」としてとらえ、「ウイット」や「イロニー」とは区別している。それは「理性による理性の自己吟味」であり、また「それを聞く者に快感と解放感とを与える」ようなものであるという。 また、それは「病理に結びついている」ともいう。  ・・・フロイトは、ヒューモアの例として、月曜日絞首台に引かれていく囚  人が「ふん、今週も幸先がいいらしいぞ」といった例をあげているのである。    フロイトの考えでは、ヒューモアは、自我(子供)の苦痛に対して、超自  我(親)がそんなことは何でもないよと激励するものである。それは、自分  自身をメタレベルから見おろすことである。しかし、これは、現実の苦痛、  あるいは苦痛の中にある自己をー時には(三島由起夫のように)死を賭し  てもー蔑視することによって、そうすることができる高次の自己を誇らし  げに示すイロニーとは、似て非なるものだ。なぜなら、イロニーが他人を不  快にするのに対して、ヒューモアは、なぜかそれを聞く他人をも解放するか  らである。フロイトは、先の囚人にとって、こういう態度は快感の源泉であ  るらしいが、それが関係のない聞きてにも快感を与えるのはなぜなのか、と  いう問いからはじめている。しかし、私はヒューモアを心理学的に説明する  ことに関心がない。実際フロイトも、ヒューモアに、心理学的解明をこえて、  ある高貴な「精神的姿勢」を見いだしている。というより、フロイトの姿勢  そのものがヒューモアなのである。『文化の不満』によれば、人類の未来に  は解決はありえない、解決を解くいかなる言説もデマゴギーだ。フロイトの  結論は絶望的である。だが、それを読むものに(少なくとも私には)解放感  を与えるのはなぜなのか。 (*傍線中道)   (「ヒューモアとしての唯物論」「朝日                   新聞」夕刊、一九九二年九月十日)  さらに氏は、漱石の写生文の「ヒューモア」についても、「それは根本的な精神態度であり、且つ病理である」と述べている(対談「漱石ー想像界としての写生文」「国文学」一九九二年五月)。  神経症に悩まされていた漱石にとって、そのような葛藤の解決できない状況に自分がいる、ということを認め、それと向き合わざるをえない状況があったからこそ、四十歳近くなって、ぎりぎりの「猿の曲芸」である小説に惹かれていったのではないだろうか? その笑いは、「無限の偉大さの徴であると同時に無限な悲惨の徴」ででもあり、「それがメタレベルに立つのは、同時にメタレベルがありえないことを告げるため」(前出・「ヒューモアとしての唯物論」)であったのではないだろうか。そこがイロニーとの決定的な差異であるといえるだろう。  そういう意味では、小説というジャンルは終わりかけている、と大江が言う今日の状況も、ある意味ではそうかも知れないが(しかし、既に大江自身『燃えあがる緑の木』の続編となる〈三人称〉小説の構想を明らかにしているー仮題『宙返り』)、先述した柄谷行人氏も述べているように、両義的な、人間の、あるいは人間の文化の神経症的な条件が除去されることがありえない限り、小説はその根本的な存立基盤を持ちつづけ、いつまでもそのパロディーとしてのエネルギーを得て、また息を吹き返してゆくのではないだろうか。 【注】 1.大江は、一九九五年のフランスの核実験再開に抗議し、フランスで行われる  予定の文学のシンポジウム参加を拒否した。シンポジウムと核実験とは直接  の関係はなかったが、以下のように理由を述べてフランスに抗議を表明した。  その後、クロード・シモンと朝日新聞紙上で論争となった。 「核軍縮は私の生き方と文学の根本のテーマだ。とくに今後、核を切り離    して文学を語ることはできない。核政策と関係のない文学の集まりを欠    席することで、日本文学の研究者はもとより、日本から参加される文学    者の友情も、失うことになるかも知れない。しかし、核の脅威のない二    十一世紀を子どもたちに贈るのが私たちの仕事だ。私は今もフランス文    明の理性を信じている・・・」 2.中村泰行『大江健三郎ー文学の軌跡』(新日本出版社、一九九五年六月) 3.小森陽一「『懐かしい年への手紙』−メタヒストリーとしての小説」(講  談社文芸文庫『懐かしい年への手紙』所収「解説」、一九九二年十月十日) 「そのような読者の、『物語』の記憶への想像力的参入が、『物語』の時    間と、『歴史』の時間を、歴法的時間に回収されない形で、あくまでも    個別的な記憶として交叉させることを可能にしている。  個人と個人が、単独性としてしかありえないような自らの記憶を相互    にかかわらせ、互いの体験した出来事の、異質性と同質性をそれ自体と    して認めながら、自分の記憶を他者の記憶に、他者の記憶を自分の記憶    に書き込み/書き込まれたときに、あるいは、その運動を持続させつづ    けたときに、かつてギー兄さんが提案したような、『歴史学』の『第三    の道』が切り拓けてくるのかもしれない。」 4.山田有策「『懐かしい年への手紙』ー「僕」と「ギー」の物語」(「国文  学」一九九七年二月)    「この美しい、ほとんど宗教的とも言えるエンディングがこれまで語られ    てきた二人の現実感の漂う物語の果てに生み出されてきたことは驚嘆す    べきことと言ってよい。物語の現実はこの一瞬無化され、およそ人間の    望み得る至福のイメージが現出するのである。物語がたどりつきうる最    も美しく幸福なエンディングと言ってよく、この時大江健三郎は作家冥    利につきるような快感を味わっていたのではないか。」 5.「群像 特別編集 大江健三郎」所収、対談「世界と日本と日本人」(一九  九五年四月)