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言葉達のざわめき。

経済の後退と供に、世の中の出来事がこれまでの価値観では、はかれない様になってきているのかもしれない。

村上龍が、ネット上で新しい試みをはじめようとしている。

以下その紹介文である。興味或る人は、上のぺージでニュース購読の登録が出来ますのでどうぞ。

(村上龍 メールメディアより)

メールメディアの意味

 

 現代の日本が抱えるトラブルは、マクロ的な金融危機からミクロ的な少年犯罪・学級崩壊まで、近代化途上では有効だった価値観の一部が機能不全に陥っていることにその原因があります。

 おそらくほとんどの日本人が言葉にならない不安感を持っているのではないでしょうか。変化を実感しながらも将来の展望がなく、不安を抱きながらも危機感を持つことができないでいるような気がします。

 そういった状況は、今までのトップダウン型の指示で解決できるものではありません。大事なのは、安易に目先の解決を図ることではなく、現段階でわかっていることと、不明なことを、とりあえずはっきりさせることだと思います。

 既成のメディアがその役割をきちんと担っているとは思わないのですが、もう既成のメディアを批判するのは飽きました。わたしはメール配信サービスを使った新しいメディアの実験を始めようと思い、シンプルにそれをメールメディアと呼ぶことにしました。

 

 メールメディアでは、おもに金融・経済を中心に扱います。専門家によるネットワークを作り、マクロ経済から不良債権処理などの実務レベルの問題まで、実際にどこが不明なのかをわたしの質問にネットワークが答える形で、あるいはネットワークでの論議を公開する形ではっきりさせていきたいと考えています。ネットワーク参加者のプロフィルは三月五日に発表します。現役の為替ディーラーも参加しているので、一部の参加者は匿名になるかも知れません。既成のメディアは、すべての問題を「わかっていること」として伝えようとしてきました。当たり前のことですが、この世の中はわからないことだらけです。今大切なのは何が不明なのかを知ることだと思います。したがって、メールメディアでは、「三月決算期を終えて円は果たして上昇するか?」みたいなことは取り上げません。

 当面のテーマは「日本経済の回復」です。今は経済の回復と景気の回復が混同して語られているような気がします。日本経済の回復には意識の変化も必須であるという前提に立って、さまざまな問題を検証してみようと思っています。サブテーマには、「雇用」「為替」「消費動向」「資本市場と資金配分」などを取り上げれる予定です。さらに不良債権処理の実務レベルでの現状などもレポートできればと思っています。上記の重要なテーマをどれだけわかりやすい文脈で伝えることができるか、メールメディアに注目して欲しいと思います。

 メールメディアのもう一つの柱は妙木浩之氏の「心理経済学講座」です。すべての心理的現象は経済的である、という心理経済学の考え方は、現代日本の「こころ」の問題を解き明かしていくときに非常に有効だとわたしは考えています。広く 会員から体験や質問を募集し、それに妙木氏が答える形で心理経済学の考え方を紹介していくつもりです。

 

 変化のただ中にある日本では、たとえばリスクという英語に対応できる言葉がありません。同様に、インセンティブ、という言葉も日本語に翻訳できません。近代化途上の旧来の文脈においては、もともと「個人」という概念さえ非常に希薄で す。

 そういうときに、

「個人的なテイクリスクのインセンティブを促す」

 などという表現はほとんどの日本人には伝わらないかとずっと思ってきました。

 メールメディアは、そういった新しい概念の創出と定着にも寄与できるのではないかと思っています。新しい概念の創出と定着に必要なのは、辛抱強い試行錯誤と、変化を受け入れようとする勇気だと思うからです。

 

村上龍

 

 

 メールメディアでは、その他の不定期連載企画として、韓国を始め東アジア、その他海外からのレポート、現役風俗嬢と村上龍の交換メール、さらには村上龍の個人的な友人との交換メールなども予定しています。メールメディアは固定化したメディアではありません。会員へのアンケートを実施し、それを元に論議を重ねるというようなことも当然やっていくつもりです。

 

メールメディアオフィス

 


 

平衡感覚に優れた人は、物事の判断を的確に行う事が出来るだろう。そのようなものを持ち合わしていない自分のような者は、日々判断力の無さ、間違いによって振り回されることになる。
この平衡感覚は、訓練によって培われるものなのだろうか、それとも天性のものに負っている所が多いのだろうか。
逃げ口上を最初から言うわけではないが、天性のものが90%は占めていると思う。努力によって多少の補いは出来るが、何かが違うのである。
その何かが決定的に、異なる部分であって。あの人はなぜあそこまで出来るのか、と思うような事がままあるのだが、そのような人達の生活がまったく別物というわけでもなく、頭のてっぺんに乗っかっている脳みその違いに寄るとしか思えないのである。
努力はしてるんですがねー・・・


先日新聞に載っていた座談会形式のPRなのだが、興味そそられる内容だったので長くなったが引用してみた。

ここでは、坂本竜一が今年上程するオペラのPRが目的の為の座談会になっているのだが、その協力者達の顔ぶれから観ても何か新しい事を、形式的にも内容的にも表現してくれるのではないかと期待してしまう。

いわゆるオペラの専門家ではない彼らが、このオペラという形式に何を流し込もうとしているのか、またそのことによって今あるオペラの枠を、どのように超えていこうとしているのかが語られていたのだが、ここに引用したのはその導入部分である。

日常・ 今この時ここにいるという事で、どうしても関わらなくてはいけない場を共有する中にいるのが日常だとすれば、その日常を俯瞰する場所を我々は手に入れるべきだろう。身の回りの事を見る目とその見ている自分がどこにいるのかを、眺める事の出来る場が必要なのではないかと思うのだ、がどうだろう。

無論誰でもが持てるわけでもなく、持っているような振りをして実は何も無いという世界もあるだろう。

ただその目を養う事は日常の中でも出来る。生きる事によって。


1999年2月18日 (木曜日)朝日新聞朝刊より

地球共生の新世紀へ 坂本竜一と協力者たち 構想を語る

(坂本竜一・浅田彰・高谷 史郎・村上龍)

「宇宙基地」モンゴル

まず坂本氏が、昨年ロケ取材したモンゴルの印象で口火を切った。

坂本
モンゴルに行ったのは単純に風土や人間の暮らしぶりを見たかったからなんです。実際に行ってみて驚いたのは、モンゴルの草原は、日本語の「草原」という響きとは違うということ。砂漠にチョロチョロと草が生えている感じです。
土壌が貧しく、乾燥している。あの土壌では人間が食べられる穀物は勝手には生えてはこない。だから、羊や牛などの家畜に食べさせて、その家畜を人間が食べる。
羊はすぐ草を食べ尽くしてしまうので、移動が必要になる。資源が少ないところでの共生。土壌微生物もものすごく少ないから、耕作をしない、掘り返さないというルールが徹底した。
生態学的にいうと宇宙基地モデル。資源が少なく、閉鎖系のとちですべてが循環する。唯一の開放系は太陽からのエネルギーだけ。
どこかに一つでもミスがあると死んでしまう。実は地球自体もそうなんです。宇宙基地と変わらない。かなりぎりぎりの共生系をやってるわけです。

浅田
モンゴルに行ったら宇宙基地だった、というわけですね。実際、文明がこれだけ広がって、ものすごい人口が大量の物質を消費していくようになると、地球全体が宇宙基地のようなぎりぎりの状態に近づいているとも言える。

 

坂本
最大の問題は人口だと思うんです。1万年以上前は、ライオンも象も微生物もいて、ちょこっと人間もいた。ところが、農耕の発達で人口爆発が起きた。農耕は生態的にいえば環境破壊です。広大な土地に一つの作物しか作らないというのは、生態系を壊してしまう。

村上
植物が自然に生育する以上に生育させる。微生物とか栄養分とかが枯渇するわけでしょう。

 

坂本
急速に土地の破壊が進む。次に問題になるのは医療。人口を抑制すものは食料不足と戦争、病気。医療はある種の弱い遺伝子を保存してしまう。
地球40億年の生命の進化の論理からすると、まったくまずいことなわけです。

村上
大きく見た場合ですね。小さいスパンで見ると、ヒトラーみたいな考えになっちゃうから。

坂本
もちろん。大きく見ると、環境と愛とどっちをとるんだという問題になる。安直なヒューマニズムを言ってはいけないと思う。

 

浅田
農業革命があり、科学革命の応用としての医学革命や産業革命があり、18−19世紀から爆発的に人口が増えた。散在して暮らしてきた人類が、名実ともにグローバルな文明を作って、地球容量ぎりぎりのところに来ている。

坂本
弱い遺伝子をため込んでいるから、人間はどんどん弱くなっているとも考えられる。

 

浅田
昔、生物学上のダーウィニズムを応用した社会ダーウィニズムがあった。弱肉強食で優れた遺伝子だけ残そうと。ただ、村上さんは小説では、むしろ弱い者こそが危機感から進化に向かっていくという面を強調されているでしょう。

 

村上
強い種だけが残るだけではないと思う。最初に陸にあがったのは弱い魚。大きい魚はシーラカンスみたいにずっと水の中にいたわけです。弱い魚は追いつめられて岸辺に寄って、突然変異でちょこっと陸に上がれるようになって大き魚の捕食から逃れた。それが陸上動物の誕生だという説もあるわけで、マージナルなところにいて危機感を感じて、突然変異の助けによって進化していくって方が、僕は好きですね。危機感をなくした連中が存続していることが一番問題。進化せざるえない環境に追いつめられたものの中で、進化するのは危機感を持った連中ではないかと。

響きのよい共生

浅田
今回のオペラのテーマを「矛盾と殺戮の二十世紀から、調和と共生の二十一世紀へ」と言葉でいうと、口当たりはいいけれども安っぽいストーリーになってしまう。思想でも「単一の大きな物語に基づくモダンから、無数の小さな物語が共存するポストモダンへ」というと、それ自体がモダンな大きな物語になってしまう。そこで問われているのは、芸術だけが真実性を損なうことなく表現出来るような、微妙な変化なんですね。

坂本
我々の細胞の中には、何十億年前の細胞融合の痕跡どころか、他者がいっぱいいる。
何十億年前からのDNAが勝手に息づいていて、これが救済だったんですよ。僕には。これを伝えるのは難しい。

村上
面白いなって思うのは、坂本竜一っていう、唯我独尊、悪く言うとわがままな人が、共生をキーワードにすることね。

坂本
僕が共生と言うと、たいていの人が、ニューヨークに住んでいるからだろうって。
異なる人種が住むと言う人間レベルの共生をイメージする人が多くてね。それは全くない。
人類が滅亡しようが関係ないと思ってるからね。

浅田
ここにいる僕以外の三人はクリエーターでしょう。口で言ってしまうと空しく響くようなものを複雑な形で表現する人種だと思う。
たとえばピカソの「ゲルニカ」。

坂本
ピカソはインタビューで[あれは反フランコ、反戦平和というテーマで描いたんですよね」と聞かれると、「冗談じゃない。私の頭の中にはそんな考えはどこにも無い。君の頭にあるだけだ」といっている。作品はもっと複雑で、多面的多次元的なものですよね。

浅田
モダンアートは、メッセージ性を捨てて各ジャンルの中でもっとも純粋な表現を追求しようとした。そこに限界があったからといって、メッセージのプロパガンダに戻れるかというと、そうもいかない。例えば高谷さんのダムタイプにはエイズ・アクティビズムに結びついた「S/N」という作品があるけれど、それをプロバガンダととられるといやでしょう。

高谷
それだけのために作っているわけではないですね。

浅田
それだけだったらポスターでも作った方がいいからね。

村上
坂本の頭にある「共生」は、本当は共生の概念を越えたもんだけど、ほかにないからそれを使っているだけなんだ。ほんとは、共生って、すごく残酷なもんで、淘汰があって絶滅があって、進化していく。

坂本
今のテクノロジーを利用して、共生系をやっていこうと思うと、宇宙基地モデルを完全にミスなく制御するやり方しかない。非常に恐ろしいことなんです。


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