性の露出

  ドイツ在住の日本人男性が書いてゐたが、幼いころから知つてゐる隣家の15歳のお嬢さんが初體驗のことを喜んで母親に報告したと聞いて、心中穩やかならぬが、さう思ふのは自分だけで、例へばこの人の奧さんは、ドイツ人らしいが、氣になるのなら隣に行つて話してみるべきだといふさうである(平成12.7.2、朝日新聞)。
  この樣な、性の露出とでもいふべき風潮は世界的な傾向なのだらうが、新ヘ國で著しいのではないか。カトリック國ではいま少し穩やかな樣にも見える。また、日本においては未だ原始的な羞恥心が殘つてゐると思ふ。或は、ドイツの樣な中途半端な新ヘ國において、追ひ付かねばといふあせりから在來の社會規範を無視する傾向が最もでやすいのかもしれない。
  人間は性の露出を嫌ふ。これは古今東西を問はぬ。性はよく分らぬ~祕的なものであり、隱すべきものである。また、なぜか、一夫一婦制といふのがあまねく行はれてゐる。結婚といふのも、~祕的な側面があり、冒すべからざるものとされてゐる。もちろん、この掟に從はぬ人もゐるのだが、少なくとも、それがよいことだとは言はない。日本ではキリストヘの様な結婚は永遠といふ觀念はないので、離婚はもともと多かつたのだが、それでも離婚しない方がいいとは思つてゐる。

  ヨーロッパでは、カトリックからプロテスタントへの發展(或は墮落)により、すべてが「世俗化」し、かつて~祕的だつたものはみな假面を剥がされた。ウェーバーのいふ「魔術からの解放」である。絶對~の前に八百よろづの~は雲散霧消するしかない。
  今風に言へば、科學的に解明された、といふことである。ただこの言ひ方は間違ひで、別に何も解明されてはゐない。單に、~の法則に從ふ自然現象のひとつと認識されたといふ事である。
  例へば性の問題にしても、卵子と精子で生殖が行はれるとか、いろいろな現象が分つたといふだけである。尤も、かなりの事實は昔から分つてゐた筈で、科學の出現を待つこともないのだが、要は整理され體系づけられて示されたといふ事である。しかし、なぜか、科學と名がつくと解明されたと稱して得意になる人が多い。しかし、科學は何も解明しない。自然現象を観察し計測して、その中に~の創つた法則を見出さうとするだけである。さういふ意味では、物理學や化學以外の生物學とか地球物理學とかは、科學の應用分野であり、法則を求めてはゐない點で純粋の科學とは少し位置付けが異なる。
  何れにしても、科學は何も解明はしない。なぜ男と女がゐるのか、何のために結婚はあるのか、不倫はいけないのか、などと科學に訊いても何も答へられない。性欲の起る仕組みを、例へばホルモンがどうのかうのと、説明はできるが、なぜ性欲が起るかとなると、本能だとか言ひ換へて逃げるだけで何も答へられない。現状ではその段階に至つてないからではない。原理的にさうなのである。科學は性に關る現象を詳細に明らかにすることはできるが、性の意味、あるいは人生における性の意味については何も考へられない。それを教へるのは風俗習慣であり、宗ヘである。

  人は、この樣な問題を自分で考へることはできない。世の中の習慣と自分の直感に從ふしかない。考へたところで、なにか解明できるやうなしろものではない。およそ、生きることの意味を問ふ樣なもので、死ぬまで、いや、死んでも分らない。分らないからといつて何もしないわけにはいかない。直感と傳統に從ふしかない。
  ヨーロッパでは、特にプロテスタント國では、傳統社會を捨てて個人を確立することを目指してきた。その線上で、直感も捨て、原理的に正しいと信ずることを追究することが勇氣ある行動と稱へられる。ドイツの元首相だつたか、糟糠の妻を捨て若い愛人と結婚したことで、評判が上がつたといふ。すなはち、世間體を氣にせず、己の愛欲をあくまで追究した勇氣ある人といふことらしい。要は、見かけの敬~ではなく、~の聲にどこまで忠實かで判定が下されるのだが、その~の聲といふのが、~が内在化した今日では、自分の欲望であるといふ譯だ。
  ~の内在化といふのは、近代の目標であるが、その落し穴がここにある。といふより、内在化の行きつくところ、自己の盲目的肯定しかないのである。人は、常に誰か批判し叱咤してくれる人がゐなければすぐに墮落してしまふ。それほど人間は弱い存在なのか。強い弱いといふより、本質的に人間には仕へるものが必要なのであらう。ひとりで~の役と人間の役と兩方をこなすのは無理がある。
  これは欲望に關しても本質的な問題で、自己の外部に規範がなければ、人間は欲望を満たすこともできない。欲望は規制があつてこそより高まるものであり、放縦は決して滿足を與へない。規制があつてこそ自由を樂しめるのである。

(平成12.7.2)