家事や育児

平成10年の離婚率(どんな定義か知らないが)は1.78%で戦後最高だという。
女性からの申立てが七割という。
豊かになって女性も自活できるようになったから増えたのではないかという。
原因は色々だが、家事や育児だけで人生を終ってしまっていいのか、という焦りもそのひとつのようだ。

家事や育児は大変な仕事であり、それに疲れたというのなら分る。
しかし、それだけで人生を終っていいのかというのは分らない。
家事や育児は誰でもできるつまらない仕事であり、もっと価値のある仕事をしたいというのだろうが、
家事や育児は最も価値のある仕事であり、ほかの何の仕事がもっと価値があるというのか。

ものを造ったり、サービスを提供したりして金を稼ぐというのは、生きるために必要なだけで、
それ自体何の価値もない。
ひょっとしたら価値があるかもしれないが、大部分は本人が思うほど価値はないのである。
世の中でよく賞や表彰などがあるが、価値がないのではないかと不安だから、
互いにそんなことをして格好をつけようとしているだけである。
そのときは非常にいいことだと思っていても、ちょっと時代が変ると悪になったりするのもよくあることだ。

家事や育児は間違いなく意味のある仕事である。
家族に日々の糧を用意したり、住いを整えたりすることは、決してどうでもよいことではない。
また、他人のために何かをするのは人生で最も気持のいいことである。

子供を育てることは、人間の仕事のうちで究極的に間違いなく意味のある唯一の仕事である。
特に赤ん坊に乳を与えることは女にしかできない大切なことだ。

だから昔は金を稼ぐというつまらないことは大体男の担当で、女はうちにいてすべて取り仕切っていたのだ。
ところが、世の中が妙に忙しくなってきて、女まで戦場に駆り出されるようになってきたのだ。
不幸な時代である。
おまけに自分の不幸に気がついていない。
ある民謡研究家だったか何だったか忘れたが言っていたが、
昔は娘を働きに出したら、そこまで落ちぶれたかと言ったもんだとのことだ。


家事に疲れたというのなら分ると書いたが、最近は省力化が進んだのがいけない。
省力化はいいのだが、そのため、労力をかけること自体がよくないという錯覚が起ったのだ。
その結果、家事がいやなもの、煩わしいものになり、煩わしいと思ってやるから疲れる。
省力化自体は結構なのだが、手間をかけるところはかけて、自分なりに日々創造すればいいのである。
どんな仕事でも、結局は繰返しであり、その中で自分なりに工夫をこらしていくしかない。

家事や育児は誰でもできるつまらない仕事というのが一般の受止め方になっているが、
家事や育児こそ大事だと言った。
そして、男の仕事は金を稼ぐというつまらないことだと言った。
例えば、私はそれなりに仕事をしており、自分では一応のものだと自惚れているが、
詰るところ、私がいなかったら誰か他の人が担当するだけである。
しかし、子供にとって母親は一人だけであり、かけがえのないものである。
家族の世話も、家政婦がするのと母親がするのと決して同じではない。

例をもうひとつ。政治家は世界を背負うという使命感をもって働いているとは思うが(それは勿論大事だが)、
例えば、元反戦活動家ビル・クリントンが生来の喧嘩好きから戦争を起したところで、
最悪の場合人類が滅亡するだけの話で、私の生活には何の関わりもない。
それよりも、私の今日飲むビールの味の方が大事である。

(H11.1.3)

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