性本能と社会本能

 色と欲と言ふ。人間煎じ詰めたらこのふたつに行着く。少くとも男はさうだ。

 男にとつて性は最大の關心事である。といふより生きる目的である。いや、そこからすべての活力が出てきている。そして、女が得られないと男は落着かな い。

 男はさうだが、女は少しちがふと思つてゐた。しかし、岩月謙司といふ人によると、女もやはりさうだといふ。ただ男と少しちがふのは、男は愛したがるが、 女は愛されることにより安心する。だから、愛されるべく、可愛くありたいといつも考へてゐるといふ。確かに、おんなにとつては、「可愛い」といふのが最高 の襃め言葉のやうである。

 そして、女はそれがすべてだといふ。愛されて気持いいといふことがすべてで、それが判断の基準になつてゐるといふ。だから喜怒哀樂をよく覺えていて、何 が樂しかつたか、順位をつけてゐるさうだ。
Europe

 男はさうは行かず、社會の中で自分の位置づけがないと安心できない。いはば社會本能とでもいふやうなものがある。端的にいへば金を儲けねばならぬといふ ことだ。
 女にはそれがないといふことは、女は自足してゐるといふことだ。女は子供を産み育てられる。それで十分である。
 男は、産むことは勿論、育てることも乳が出ないからできない。だから社會でも造るしかない。でないとやることがない。
 猫を見てゐると、雌猫は一生懸命子供を育てるが、雄猫はその間ただブラブラしてゐるだけである。よく耐へられると思ふ。種付けのときだけは雄も活躍する が、それが終ったら能なし野郎である。

 確かに、女は社会本能を持たない樣に見える。さう思つて見ると、女の行動が理解できる。女はぐれない。ぐれるのは男だけである。社會の中での位置づけか がはっきりしない時、男は安心できず、わざと反社會的になつてみたりする。ところが女はもともとそんなことに關心がないので、ぐれることもない。
 女も意識的には社會性を持つてゐるだらう。しかし、取つてつけたものだから、うまくいかなくてもいらいらはしない。本能的にそなはつているものなら、滿 足できないといらいらする樣に出來ている。食慾にしても性慾にしても。しかし、意識的にやらうとしてゐることは、うまくいかなければ落膽はするだらうが、 冷靜に見ることが出來、ゐても立つてもゐられないといふことはない。

 その女が社会に進出するようになつたのはなぜか。アメリカが先かヨーロッパが先か知らぬが、詰るところ、安い勞働力として利用したといふことであらう。 決して女を尊重したからなのではないことは確かだ。それどころか、女性蔑視の表れと言へるのではないか。尊重してゐれば、単純労働でこき使はうなどとは考 へない筈だ。
 一旦社會に進出すれば、平等に扱ふ必要があるといふのは當り前の話である。これは女性尊重でも女權伸張でも何でもない、ごく當然のことである。

 一方に於て、プロテスタンティズム、特に、ピューリタニズムの影響も考へられる。プロテスタンティズムとは、新約の愛の世界から舊約の裁きの世界への囘 歸である。今や人は地獄に堕ちないためには天國に行くべく選ばれた人間であることを證明せねばならなくなつた。その最も端的な方法は金を儲けることであつ た。かくして女性にも一部金儲けに精を出さうといふ人が出てきたのかもしれない。る。

(H16.5.5 水)