昔、日本語はタイプライターで打てないので事務の効率が悪いから、
(H10.12.23)
日本語をやめて外国語を日本の国語にしたらどうかという人がいたようである。
今でもいるのかもしれない。
そもそも、言葉は単なる道具ではなく、効率うんぬんで決められるものではない。
「ことだま」という言葉があるように、言葉は魂と密接に関係していると思う。
少くとも私は日本語以外でものを考えることはできない。
それはさておき、効率だけから見ても、日本語はそんなによくないだろうか。
タイプライターうんぬんは、ワープロの出現によりもはや意味がなくなったが、
そもそも、書き言葉の効率は、書く手間よりも読むときの効率の方が大事ではなかろうか。
他人に考えを伝えるのが言葉の目的であるから、読みやすいことが一番である。
日本語の場合、漢字により、見ただけですぐに大体の内容を理解できる。
「斜め読み」も可能である。
アルファベットで書かれた文章は、斜め読みできるのだろうか。
私にはできない。
勿論、外国人や外国語の上手な人はある程度できるかもしれないが、
日本語のようにはいかないのではないか。
ところで、日本語が斜め読みし易いのは、漢字だけでなく、
間にかなが混じっていることも利いていると思う。
漢字だけ拾っていくだけでも大体理解できる。
これは、日本語の構造も影響していると思うので一概には言えないが。
文字の形で意味を理解するというのは、日本人の場合、体に染みついている。
会話においてさえ、音から漢字のイメージを頭の中に描いて理解している。
少くとも私の場合はそうのようである。
同音異義語がたくさんあっても問題にならないのは、そのためではないか。
この傾向は外国語でもやはりあるのではないか。
英語でも、発音と著しくつづりが異なってしまった単語があるが、
つづりを変えないのは、やはり、変えると読む際に分りにくくなるからではないか。
また、タイプライターのように、固定ピッチで印字したものは読みにくい。
やはり、普通の活字のようにプロポーショナルで書いたものの方が読みやすい。
言葉は、勿論、音が基本である。子供が言葉を覚えるのは会話からである。
しかし、文字に書くことが定着すると、音だけではなく、
文字が結構はばを利かせるようになってくる。
その意味で日本語は高度に文字文化が発達した言語といえるのではないか。
しかし一方そのために失ったものも大きいのかもしれないが。