ナニワ資本論 その2
ところで、連載終了に当ってのインタビューで
「自分はもうけているのに社会主義をいうのはおかしい」という投書も来ていましたが、という質問に対して、
「・・・・・・安心してモノをいうためには、自分の食いぶちだけは自分でしっかり確保しとかにゃ、あかんわけです。
しかも他人を搾取しているわけでもなく、自分の力で稼いでいる。
ワシも資本主義の中で嫁さん養わねばならないですし。」
と答えている。
これは、昔から繰返されてきた問答だ。
マルキストの大学教授が軽井沢の別荘に避暑に行くことを咎められた時も同じような答をしていた。
解放のために直接ではないが自分なりの貢献をしている、そのためには仕事ができる環境が必要ということだ。
しかし、本当にこの世は階級闘争だと思うのならこのような態度は出てこないはずだ。
思想と自分とが分離している。というより、思想は付け焼刃で自分とは全く関係ないのだ。
本来、思想とは自分を何とか活かすために考えたもので、自分のために命がけで主張し実践するものだ。
しかし、日本では、ヨーロッパの思想はすべて一度向うでテストされた後、間違いないものとして輸入される。
だから、正しいのは当然で、体を張って検証するなどということはない。
ありがたい真理だから大事にせねばならぬが、自分の生活は全く別ということだ。
歴史的背景のもとに生れた思想でしかないのに、ヨーロッパのありがたいお経だからと永遠の真理と錯覚してしまうのだ。
学問的に正しいことだから反論などもってのほかという感じだが、
そもそも正しいことなどこの世にはない。あっても誰が判定できるのか。
そもそも日本に「資本家階級」と言えるようなものがあるだろうか。
ヨーロッパには確かにあるようだが。
階級闘争など天から信じていないのではないのか。
それならはっきりそう言えばいいのだ。
はっきりと分らないところは分らないと言って、自分の思想を造っていくべきだ。
もうひとつ、「搾取しているわけではなく」というのが気になる。
ちゃんと働いた報酬だからいいということだが、そう言いだしたら、「資本家」だって、
ちゃんと働いたことに対して正当な報酬を受取っているだけだと言えるのではないか。
「ちゃんと働いた」ということの内容が違うというのか。
五十歩百歩ではないか。
搾取しないためには、詰るところ、自分で使うものはすべて自分で造らねばならなくなる。
そんなことは到底できない。
早い話が、過去の人の造った建物とか設備とかも利用できなくなりはしないか。
いろいろ書いたが、結局、いま感じるは、マルキシズムは金の奴隷だということだ。
労働者は金がないから不幸で、金さえあれば幸福になれる、少くとも金がないと幸福にはなれないという考えが根本にある。
この考えでいけば、例えば、昔の人は今よりも物質的に恵まれていなかったから、今の人よりも不幸だということにならないか。
マルキシズムは、金の分配を平等にしようという。
しかし、その結果どうなったか。
ロシアを見ても分るように、結局全体主義に堕してしまう。
金がすべての社会では、全体の利益のために個人は当然無視される。
全体主義では個人が容易に抑えられ結局独裁になるので、
いわゆる後進国の急速な西欧化を進めるには向いており、
もっぱら後進国でマルキシズムは採用された。
しかし、ある程度西欧化が進めば不要になり、廃棄される。
勿論、生きるために金(物質)は必要である。
必要だがそれがすべてになったら倒錯である。
プロテスタンティズム−カルビニズム−イングランドのピューリタニズム−アメリカ・ニューイングランドという流れは、
倒錯の系譜である。
この流れを断ち切らねばならない。
(H11.1.3)
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