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學問と實用
日本の教育體制は單線型であるが、ヨーロッパでは依然として複線型で、エリート、中間階級、勞働者といふ三階級に對應してゐる。早い時期に振分けは終はり、振分けの段階では競爭も多少あるのかも知れないが、それぞれのコース内では將來の職業に必要な絶對的な力をつけることが目的であり、學生間の競爭は殆どない。例へば、大學は入試はなく高校卒業資格さへあれば誰でも入れる。フランスのグランドゼコールの様なエリート官吏養成学校の場合は、入試も大變で、卒業時の席次もつくようであるが。
日本の學校は、本來の理念はいざ知らず、實態は人間のセレクションのための機關にすぎない。人を採用する際にどこそこの學校の學生だからといふことで殆ど決つてゐる。問はれるのはそこで何を身に付けたかではなく、そこが相對的にどの程度の位置附けにあるかである。今何ができるかではなく、將來何かして呉れる可能性が高いか低いかを見てゐる。といふのは買ひ被りで、實は、相對的に程度のいい學生と言へるかどうかだけを氣にしてゐる。
そもそも、學校では學問を教へてゐる筈だが、學問は役に立たないと考へられてゐる。教師の方も單なる教養としてこれくらゐは知つてゐて欲しいといふ程度の認識で教へてゐる。學問はありがたいお經と同じで、實用にはならない床の間の飾りである。
日本では、學問は自然発生した譯ではなく、支那からの輸入品である。明治以降は歐米からの輸入に變つた。何れにせよ外國で價値があると御墨附きのものだから有難く拜領してゐるだけである。自分で努力して産み出したものではないので、實地に驗してみようとは思はない。もともと學問の必要性を感じてゐないのである。
學問は決して飾りではなく、必要から生れた。複雜な現象を整理して行動指針を得ようとするところに學問が發生した。當然、役に立たないものは學問ではない。役に立つまで練られ鍛へられたものを學問と呼んだ。しかしそれは絶對のものではなく、あくまでその限りのものであり、時と處が變はれば變容して行く筈のものである。といふより、自分の必要に應じて變へていくものである。
といふと、学問は永遠の眞理だと言はれさうだ。しかし、この世で眞理に到達しうる筈がない。眞理に達しようと努力はするが。すべてはその時點での假説にすぎず、より有力な假説にいつかは取つて代はられるのである。
また、自分の必要に應じて變へていくもの、と言つたが、自分が生きるために必要だからやるのである。自分と全く關係のないことをやつても意味がない。遊びにもならない。
明治以降の學校教育は富國強兵、殖産興業の一環として始つた筈であるが、何故か實用を無視し学問を祭り上げる性癖がある。學問は人類普遍の眞理だからといふことで安心してそのうへに寢そべつてゐる。~のゐないこの國で、天皇制とともに~の代はりをしてゐるかのやうである。
工學 (engineering) など明らかに實用のためにやつてゐる筈のものでも、大學だから學問的であることが大事で役に立つ必要はないと思つてゐる人が多い。
なぜさうなつたか。明治以来、歐米で試驗済の學問を輸入して飜譯、紹介してゐれば學者稼業は事足りた。實際面は、企業や官吏が別途技術を輸入して歐米に追ひつかうとした。従つて學者は實用と關はる必要がなかつた。學校は官吏と企業人を送出してゐればよかつた。學校の價値はどんな教育をするかではなく、どの程度の學生がゐるかによつて決つた。誰も教育に期待はしてゐない。學問的成果にも期待はしない。成果は輸入すればよいのだから。だから教育に身が入らないのは勿論、學問研究も象牙の塔に閉ぢこもるから成果は擧がらない。擧げる必要もない。これが明治以来の日本の學術世界の實態である。
以前、知人の娘さんで、四年制の大学に行つてゐるのだが、それだけでは就職が不安なので専門学校にも入つてゐるという話を聞いた。専門学校の方が面白いのでそちらの方に主に通つてゐると言つてゐた。ダブルスクールといふさうで、昨今多いさうである。親の方は大變であるが。確かに親は大變であり、そのうち、大學の方が淘汰されて消滅していくのではないか。この様な形ででも實用が重視されるやうになつていくべきだ。
江戸時代は、「讀み書き算盤」といつて庶民は必要なことしか學ばなかつた。それでちやんと立派な人間になつてゐた。學問があれば立派な人間になれる、と言ふのが明治以来の考へ方だが、これは全くの錯覺であり迷信である。學問は生きるために必要だから必要なことをやるので、人間性とは直接關係ない。
ところで、學問のことを英語で何といふのか。和英辞典を引くと、learning,
study, knowledge などの譯語が出てゐる。しかしこれらは、學があるとか学問をするとかいふ言ひ廻しには使へるが、日本語の「学問」といふ名詞には對應しないのではないか。むしろ、science
の方が近いのではないかと思つた。勿論、natural science を意味する狹義の
science ではなく、廣義の science だが。
(平成12.5.6) |