ものの値段−大量生産による搾取−

  元来ものには価値はない。石炭でも金でも地中に眠つてゐればただの石である。人手を掛けて掘つて來るから、それに見合つた値段を付けて賣らねば掘つた人たちが生活できない。つまり、ものの値段はそれを賣ることでどれだけの人を養うかによつて決る。その人數には、生産のために使う機械を造つた人なども當然はいるが、それらは結局金額で評價される。
 石炭の場合、トン50ドルで売れるとなれば、それくらゐの手間で掘れる炭田を開發する。もしトン100ドルになれば、もつと手間の掛る炭田も開發される。金(Au)はもつと高く賣れるから、もつと手間の掛る鑛山、品位の低い鑛石でも成立つ。
 勿論、需給の釣り合ひの問題もある。ものには限りがあり、欲しい人が多ければ價格はつり上がる。しかし、価格が上がればそれを多量に造らうと試みる人が増え、結局は価格は下がる運命にあり、最終的には手間に見合つた價格で落着く。その間隙を縫つて金儲けする人もでてくる譯ではあるが。またその落着くまでの時間も問題であり、結構永い間ぽろ儲けできることもあらう。しかし基本は掛かつた人手が値段を決めるといふことである。

 さういふふうに漠然と思つてゐたが、ある時ラヂオである人が言ふには、日本のGNP(GDPと言つたか?)が伸びた時、勞働力の増加ではなく、技術開發で生産性を向上させて一人當りの生産額を増やすことが手段として用いられたといふ。變なものの言ひ方だと思つたが、それはともかく、元來、技術開發で生産性が上がれば、その分ものの値段は安くなる筈である。實際少しは安くなつてもゐるのだらうが、生産性向上效果のすべてがそれに費やされる譯ではなく、竝行して賣上げ高も増えてゐる。でなければGNPは増えない。その結果、生産性向上效果の一部は勞働單價の上昇に費やされてゐる。
 これは矛盾ではないか。ものの値段が下がるといふのが技術開發の效果の筈である。賃金は同じでも購買力は増加する。實際は、物價は變らず、といふより、日本の場合むしろ上昇したが(これには三次産業、一次産業が生産性はあまり上がらず所得だけ上がつたのが價格に轉嫁されたことも寄與していよう)、賃金がより上がつて購買力が増加した。そして儲けた金で海外から食料を買込んで飽食してゐるのが今の日本である。形を變へた搾取である。技術開發で世界に貢献するのではなく、自分の胃袋を太らせただけである。

 ところで、ヨーロッパやアメリカが工業化を進めた時は、物價はそんなに上がつてないのではないか。ratchet effectといふ言葉が、物價が上がりはしても下がることは少いことからできたといふから、物價といふのはじわじわと上がるもののやうではあるが、工業化により日本の樣に急激に上がつたといふことはないのではないか。工業の發達で工業製品の價格が上がることはないので、先にもちよつと書いたが、流通などの三次産業および一次産業の生産性向上が二次産業の激變についていけなかつたことが物價上昇の原因ではないか。この邊りは全くの思ひ付で證據はないが。

 技術開發による搾取、金儲けには二通りある。ひとつは、大量生産で安くできたものを低生産性の國と同じ値段で賣つて儲けるやり方である。日本の場合これが多い。もう一つは新しいものを造つて高く賣り付けるやり方である。これは例へば今パソコンのCPUでアメリカ企業が甘い汁を吸つてゐるのがいい例である。
 後者は初めからそれを狙つてゐるのだが、前者はなぜさうなるのか。ひとつにはあまり安くすると關税を掛けられたり、ダンピングだと嫌がらせされたりするのを見越して「適正価格」を設定してしまふといふことがあるのではないか。つまり、日本が後發であつたがために、先進國と協調せざるを得なかつた結果、今の樣な搾取體制になつたのではないか。また、當時は韓國などの他の後進國の追上げも厳しくなかつた。もうひとつあるのは、單なる金儲けは良しとしない倫理が日本にはないことである。

 ところで、CPUも最近は一社獨占ではなくなつたが、それでも最新の製品だけは異常な高値で賣られてゐる。こんなものを買ふのは一部のマニアだけだらうが、それにしても、なぜあんな高値が成立つのか分らぬ。マニアの存在があの高値を許しているのか。
 CPUと對照的に、メモリーは大容量の新製品を出しても高くは賣れない。出したところで特別儲るわけでもないが、出さなければ他社にやられる。
 鐵鋼なども同じで、高張力鋼などを出してもなかなか高くは買つてくれない。むしろより薄い鐵板で濟むようになり使用量が減つて、自分の首を絞める樣なものである。しかし出さなければやられるので、開發は止められない。既存製品の改良は占有率を守るために必要であるがそれだけでは売上げ増とはいかない。売上げを増やすには、新しい用途を考へることが必要である。金の代はりに使つても量が少いからだめだらうが、アルミとか銅とかの代はりに鐵が使へればそれなりの量が捌ける。

 イギリスで始まつた技術開發が、ドイツなど大陸にも飛火し、アメリカで大發展した。その驅動力は、プロテスタント、特にピューリタンの金儲けしなければならぬといふ強迫觀念であるが、そこには社會に貢獻するといふ表向きの大義名分もあつた。兩者は無関係ではなく、またどちらも嘘ではない。貢獻しているか否かが儲けた金で判定されるといふことである。
 後進國日本の場合、目標は歐米に追ひ付くことでしかなく、技術開發になんの理念も大義もなかつた。とにかく歐米に潰されまいといふ無手勝流の頑張りでしかなかつた。
 それ故、安くできたものを高く賣つて儲けても良心の呵責どころか當然の成行きとしか思はなかつた。歐米の樣に儲けた金を再投資に囘す譯でもなく、社會の改善に使ふ譯でもなく、飽食や泡沫不動産に散財した。再投資に關しては、意識的にはなかつたのであるが、老後の不安から庶民が貯蓄に走つた結果として投資が増加し、未曾有の繁榮をもたらしたのであつた。そして經濟で追ひついた今、目標を失つて茫然としてゐるといふところであらう。
 搾取した金をODAなどとしてばらまいてゐるが、誰にも感謝されない。むしろ、金額では少いヨーロッパの方が感謝されてゐはしないか。ヨーロッパは將來より大きな市場にするための投資として考へ、後進國を積極的に育てようとするが、日本は單に現在のお客さんとして遇し、技術力があまり伸びられても困るといふ樣な對應をするから嫌はれる。將來の市場と言つたが、大義名分としては後進國をヨーロッパ流の~の光の當る國にヘ化しようといふことである。有無を言はさず、世界中がヨーロッパ文明に飮み込まれてしまふのである。歐米は搾取のためにヘ化しようとして一應は感謝されるが、日本はあからさまに商賣だけしようとするから嫌はれるしかない。

 金滿家日本はこれからどうすればよいのか。泡がはじけて金満に翳りもでてきた。社會資本の蓄積も少い。國債のつけはどうするのか。團塊の世代が老年にはいると少い勞働力で澤山の老人を養はねばならぬ。ODAも削減し、年金を切下げ、老人も働かせれば解決するのか。しかし、GNPを維持でき、人口もさして増えぬのなら、基本的にはあまり問題はないのかもしれぬ。

 歐米において、技術とはユートピアを實現するための手段である。歐米の樣に歴史を積重ねて理想社會に一歩づつ近づくといふ希望もなく、自分が死んだらすべてお終ひの日本人にとつて技術とは何なのか。米作りの技術は、自分たちが生きていけるだけのものが收穫できれば取り敢ずよかつた。今の技術は、これだけやればいいといふ樣なものではない。限りなく前進を迫られる。世界中で競爭であり、勝たねば生残れない。米作りで失敗したら飢死にするしかない樣に、日本人は負けたらお終ひの樣に感じてゐる。歐米の樣に蓄へを持つておいて失敗してもしばらく辛抱しておいてまたやり直せばいいとは、なかなか氣がつかない。だから遮二無二努力する。
 歐米の考へ方は、現在を未來のための過程に過ぎなくしてしまふが、一方で、そんなに急に理想は實現できないからと現世をのんびり樂しむこともできる。大部分の人間はさうしてゐる。逆に日本人の方が食ふか食はれるかで餘裕がない。日本ではこの世がすべてであるから、この世で失敗できない。しかし、日本人も、腹の底のどこかで、失敗したら腹を切ればいい、所詮この世は幻、とたかを括つてゐる。腹さへ切れば、馬鹿とは言はれても、最低限、恥はかかずにすむ。
 お先棒を擔がされてゐる歐米流のユートピアで何が待つてゐるのか。それはすべてが機械化され、人が生きるのに他人を、社會を全く必要としない世界、人が~になる世界である。すなはち死の世界である。しかし所詮ユートピアには到達できない、だから杞憂に過ぎないのか。とはいへ、そこに向かつて進むこと自體が間違ひではないのか。
 いまさら誰も止めることはできない。毒を食らはば皿まで、とにかく行けるところまで行くしかない。もつとも、日本人は毒を食つたといふ自覺もないのであるが。

(平成13.1.2)