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『阿部組』の沿革

 

 阿部組の沿革、といっても語るほどのリッパな歴史がある集まりでないことは、ご承知の通り。以前は『 I 組同窓会』なんて称していたときもあった。高校時代、途中でクラスからいなくなったヤツもいたけれど、昭和46年・47年、つまり一年生・二年生のとき、 I クラスで “御一緒” だった同級生。修学旅行を含め、あまり見たくない男ばかりの写真をたくさん持っている仲間でもある。
 僕の高校生活、青春グラフティーと云えば、久仁彦・勝基・下保と撮った京都三千院でのスナップ、学生服で羽山と二人の夜の銀ブラ写真、そして荒川と肩を組んでいるツーショットだ。ホントにウレシイッー!・・(涙)。

 『 I 組同窓会』が何故『阿部組』に?
 う〜ん、いつからそうなったのかは、よくわかんない。ただ、阿部先生は声がけをすると、必ずクラス会に出席してくれて「君たちが元気そうで、ボクはもうそれだけでうれしいねぇっ」と話しながら、いつもの笑顔がこぼれる。僕たちの中心はヤッパ阿部先生だ。
 敬三がかつて鳥取大学で研究職をしていたり、鵜野が九州大学、羽山が北海道大学で教鞭をとっていたり、そして池田、介一、尚之がドクターであっても、僕らみんなにとっての“先生”というのは I 組担任“阿部先生”しかいない。『I 組同窓会』はどうしても『阿部組』になる必然性があったんだよね、きっと 

 卒業後、進んだ道は違えども、連絡の取れる人間は「××が札幌に帰ってきた」「△△がゴルフを始めた」と理由をつけては集まった。そこでは、卒業以来、顔を見たことがなくても「OOはこうしてる」なんて情報が飛びかう。だから、会ってもいないのに、会った気になっている連中も、お互い、たくさんいたりする。
 団塊の世代ほどの結束力はない。でも、昭和30年代生まれで高度成長真っ最中の世代、今はアナログ生き残りをかけたオヤジ達、それなりの連帯意識だけはあるようで、取り敢えず、呼びかけると返事はある。だから集まれる。あまりジトーッとしていない人間関係が素敵なのと、一言ではいえない、いい意味での一人ひとりの個性の豊かさが、阿部組の魅力かな。そんなよくある同窓生。これが阿部組。

 亡き冨田と永倉を含め、多くの友人たちに思いをはせながら・・・。

 (文責 竹川茂憲 2001.10.10)

 

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