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創世記 1:1
初めに、神は天地を創造された。
 「さんびか」の後の方に載っている「使徒信条」には、「私たちの信仰はこの通りです」ということが書いてあります。 その「使徒信条」の最初のところには、 「我は天地の創り主、全能の父なる神を信ず。」と書いてあります。「私たちは、私たちのお父さんであり、 天(宇宙)と地(地球)を創られた、何でも知っていて、何でもできてしまう神様を信じます。」という意味です。 そして、使徒信条の中の、旧約聖書に関係しているところは たったそれだけなのです。
 つまり、約1500ページある旧約聖書が、「我は天地の創り主、全能の父なる神を信ず。」という、 たったの20文字に超簡単にまとめてあるのです。そして、旧約聖書のハジマリには、この神様が天地を創られた ということが描かれています。私たちの信仰の一番基本になることですから、一番最初に書かれているのです。

創世記 1:2-5
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
 中学生の人々は、ちょっと今のビッグ・バン理論と違う、おかしいじゃないか、と思うことでしょう。 現代の科学者の考えをまとめると、神様が宇宙を創られたときは、キャラメルくらいの大きさで十次元でした、 そして光はなくて、真っ暗でした。 しかし十次元というのはとても不安定な状態だったので、数秒後には四次元と六次元に別れ、猛烈な光を放って 大爆発しました。そして六次元がどこかへ消え去ってしまい、四次元の宇宙だけ残って、 どんどん膨らんでいって、いまも宇宙は膨らんでいる最中と考えられています。つまり、天地創造は今も続いているのです。

 でも、2500〜3000年前の、創世記が書かれた時代の人たちはそんなこと知りませんから、「神様はこのようにして宇宙を創られた」 という伝説をそのまま書いているのです。

 さて、今日の聖書の箇所、難しい言葉で書いてありますね。でも本当はとても楽しい書き方がされているのです。 ちょっと皆さんに説明しましょう。プリントをご覧下さい。 今から、ヘブル語の朗読※をテープで流しますから、 カタカナの所を見ていてください(2回)。


※インターネット(Shma Israel)で旧約聖書のヘブライ語ナレーションを入手することができます。


 なんとなく、歌でも歌っているような調子でしょう。ユダヤの子供たちはこのように調子をつけて学んでいるのです。

 皆さんの聖書は大人向きの難しい言葉で書いてありますね。プリントの2枚目を見てください。


創世記 1章1節〜5節(ムーミンパパ・訳)

1.さいしょに神さまはつくられた。天(シャーマイム)と地(エレツ)を。

2.地(エレツ)はさっぷうけい(トーフー)、空っぽ(ボーフー)でした。
  深い水(テホム)の上にはくらやみ(ホーシェック)が。
  水(マイム)の上では神さまの息(ルーアッフ)がおどってました。

3.神さまはおっしゃった。
  「光(オル)あれ!」
  光(オル)がありました。

4.そして神さまはその光(オル)を見て「良い(トーブ)」と思われた。
  神さまは光(オル)とくらやみ(ホーシェック)をとり分けられました。

5.そして神さまは名前をつけました。
  光(オル)を日(ヨーム)と、
  くらやみ(ホーシェック)を夜(ライール)と。

  夕方(エレブ)になり、朝(ボケル)になりました。
  第一の日(=日曜日)です。

二つのことば、あるいは文章を組合せています(同じ意味のことばや反対の意味のことばなど)

  シャーマイム ←→ エレツ
  トーフー = ボーフー
  テホム ←→ マイム 
  ホーシェック ←→ ルーアッフ
  オル ←→ ホーシェック
  オル = ヨーム ←→ ホーシェック = ライール
  カーラ←→ ライラ
  エレブ ←→ ボケル


 ことば遊びになっていますね。ですから、本当は読んでも聞いてもとても楽しい文章なのです。
 「日曜日に天地を創り、月曜日は銀河と海を。・・・」こどもたちは楽しく聞いて、楽しく覚えて、 神様のことを信るようになるのです。

 2008年6月1日の教会学校説教を多少手直しして提供します。ジャーナル級の内容を子供たちに判るように話すのは 難しかったけど、楽しい作業でした。
引用聖書:聖書(新共同訳)、BHS

付 録

創世記 1:1

 1節はいきなり前置詞句で始まり、3-5-5-5という音律になっています。1行目に置く筈のバーラー・エロヒームと、 2行目に置く筈のベレシートを倒置させることによって、リズムを整えるとともに、 「バラー(創造した)」という動詞を際だたせているように思います。バラーは受動態完了形なのですが、 主語がエロヒームなので、意味合いとしては「創造されました」という丁寧表現です。そしてフォーカスとしては、 創造という行動の効果として、天と地が存在するという結果がずっと続いている状態を指しています。
 続く目的格記号「エト」で始まる二つの文節は、対比的なパラレリズムで共に目的語を表しています。

創世記 1:2

 2節は1節の最後の語と同じ「ハ・アレツ」で始まり、続く同義的並行法とあわせ、1節の3-5-5-5に続く-5-5という音節を 形成しています。
 トフーとボフーは語呂あわせで、両者の意味の違いを詮索してもあまり意味がありません。 むしろ両者を併せて、荒涼とした砂漠のような、何もない状態を表現していると理解するのが良いでしょう。
 後半部分は新たな3-5-5という音節を形成しています。主節の動詞が省略されていますが、前半部分の動詞 (ハエター)が隠されている考えてよいでしょう。
 この部分はヴェ・ホシェフとヴェ・ルーフの節が並行し、2つのアル前置詞句が並行しています。メラヘーフェトは 分子なので、直前のエロヒームの前か後のbe動詞が省略されていると考えられます。

創世記 1:3

 3節は、それまでと違って、3+3と3+3の2つのフレーズになっていて、 後の2つが語感あわせの並行法になっています。イェヒー・オル/ヴァィヒー・オル。そして主語・述語の関係を見ると、 V+S、V+O、V+Sのサンドイッチ構造になっています。巧妙な仕掛ですね。

創世記 1:4

 4節の前半はふたたび5−5に戻していますが、後半は畳み掛けるようなリズムになっています。5−5−3+3−3−5。
 前半と後半の構文的な形が似ていますね。いずれもエロヒームが主語、接続詞込みの動詞ヴァイヤール(見る)と ヴァィヤブデール(分けた)が語呂合わせになっています。 前半の並行部分それぞれの最後の音節は長母音のoになっているので「ハ・オール」と「キ・トーヴ」の語呂が合っています。 そして最後の2つの文節は反語的並行法になっています。

創世記 1:5

 5節は3+3−3−3−4−4−4−3という音節になっています。
 前半では動詞カラ(呼ぶ、名付ける)とそれに従属する前置詞節の位置関係が逆立ちになっているのが面白いですね。
 ラ・オールとヨーム、カーラとライラは語呂合わせの楽しさを持っています。日本語に訳しようがないニュアンスですね。
 ヴァ・ィヒーで始まる後半の2つのフレーズは反語的並行法。音節が2+2でぴたり一致しています。しかも前半の終わりも 2+2なのです。そして最後の文節は2つ目の文節と同じO+Cになっています。