● 最古の降誕賛歌
わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう。 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、
身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、 私たちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。
(ルカによる福音書1.47-55=マリアの賛歌=マニフィカート)
● 世俗の歌が起源
クリスマスにクリスマス・カロル(キャロル)は欠かせません。14世紀以降、礼拝堂で歌うラテン語聖歌にかわって、
土地の言葉による詞が世俗の舞曲のメロディーにのって家庭や街で歌われるようになりました。荘重な聖歌では、家庭で歌っても楽しくありませんし、子供にとっては言葉の意味もチンプンカンプンですからね。
1517年、マルチン・ルターによって始められた宗教改革以降は、クリスマスの世俗化(民衆化)が一気に進みます。ルター自身も何曲かカロルを作っています。
(讃美歌101番「いずこの家にも」はルター作詞です。)クリスマス・ツリーを始めたのも彼だという伝説があります。
● 作者不明
クリスマス・キャロルには作曲者や作詞者が不明という曲が少なくありません。
地方の小さな教会で牧師や信徒が作詞し、オルガニストが旋律を付けたり、貴族の家庭の礼拝で専属の音楽家が作曲したり、
既存の民謡に賛美の詩をつけて編曲したりと、さまざまです。優れた曲は写符されて、ほかの教会や家庭でも歌われ、地方に広がっていきました。
そういったキャロルや讃美歌は出版業が盛んになり出してから、音楽家が編集し、世界に広まるようになりました。
ですから、「フランスのノエル」とか、「**の出版した音楽集から」などという曲がたくさんあるのです。
イラストは讃美歌109番「きよしこの夜」の100周年を祝って作られたオーストリアの切手です。左が作曲家グルーバー、右が作詞者ヨーゼフ・モール牧師です。
左側に「ダビデの星」が描かれていますが、ヨーロッパでは尾を引いた「ダビデの星」の意匠が普通用いられているようです。
フランツ・グルーバーが聖ニコラス教会のオルガニストだった頃、聖ニコラス教会のヨーゼフ・モール牧師と親交があり、クリスマス前に「クリスマスの真の歌を作りたい」とグルーバーが提案し、二人は意気投合しました。
1818年12月25日午前4時までかかってモールが詞を書き上げ、朝9時まで寝て、詩をグルーバー届けました。しばらくしてグルーバーは楽譜を聖ニコラス教会に届けに行きました。
あいにくその朝は教会のオルガンが故障していたため、グルーバーは壁のギターを取り、モール牧師に歌って聴かせ、二人で3度の和声で歌いました。礼拝の始まる30分前のことでした。
礼拝ではグルーバーが歌い、聖歌隊がこれを繰り返しました。
他の教会の人が聖ニコラス教会を訪れ、この曲の素晴らしさに感動し、楽譜を写して各地の教会に紹介しました。
その際に作詞者と作曲者の名前が書かれていなかったため、長い間作者不明でした。
F.J.ハイドンか、弟のJ.M.ハイドンの作曲ではないかと思われていましたが、1854年にベルリンの宮廷礼拝堂が調べたところ、
サルツブルグの聖ペテロ教会の聖歌隊員フェリックス・グルーバーが、その父フランツの作曲であることを証し、二人の作であることがが判りました。

● キャロル言葉
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