Origin


 アドベント/待望


わたしは主に望みをおき わたしの魂は望みをおき 御言葉を待ち望みます。
わたしの魂は主を待ち望みます 見張りが朝を待つにもまして 見張りが朝を待つにもまして (詩編130.5-6)

 
 クリスマスの4っ前の日曜日からクリスマス(降誕節)までを「アドヴェント」と呼びます。「待降節」と訳されます。
イエス・キリストを待ち望み、心を整えて準備する期間というわけです。「アドベント・クランツ」といって、円形にひいらぎなどの葉っぱで飾りを作り、扉などに飾ります。
 4本用ローソク立てを用意して、日曜日ごとに1本ずつ点火するローソクを増やし、クリスマスが来るのをわくわくして待ちます。また、「クレッシュ」といって、ジオラマの生誕場面を飾ったりします。その中の飼葉桶を「クリッペ」または「キンデルヴィーゲン」と呼びます。
 詩編130編は紀元前450年頃、ネヘミヤの時代に作られたと言われますが、苦難に耐えて神を待望するという意味では、アドベントの形容にふさわしいと思います。

 起 源

Bethlehem  「クリスマス」の語源はラテン語の「クリストゥス・ミサ」の略で、キリスト降誕の祭礼を指します。
 もともと、キリストの誕生日が12月25日とされたのは2〜4世紀ですが、その決定以前にどうもクリスマスは祝われていて、 誕生日の公的な決定は庶民が行っていた祭礼という、現実の追認であったらしいのです。

 イエス・キリストの生誕をコア(核)にして、様々な美談や奇跡、家族愛・隣人愛が、2000年かけて真珠のように熟成されたもの。 それがクリスマスではないでしょうか。一義的に解釈することはとても難しいと思います。

 そのような曖昧さと、もともとが民俗行事とあって、クリスマスの祝い方も国、民族、地方、家庭によりさまざまです。 オリゲネス(AD185-254)という人は、「まるでエジプトのファラオであったかのようにキリストの誕生を祝う」という考えそのものを罪深いものと非難しています。
 庶民の家庭から発生した、という意味では権威主義とは無縁の、民俗発生的な祭礼と言っていいと思います。馬鹿騒ぎするのは考えものですが、クロムウエル時代の英国のように一切のクリスマス行事を禁止してしまうのも困りものです。
 七面鳥をたべたり、ケーキを食べたりというのは、もちろんずっと後になつてからですが、ごちそうを家族や親しい者が集まって食べるというのは、初期の頃から行われていたことと思います。

 クリスマス休戦

 クリスマス休戦、というのがあります。初めてこの言葉に出会ったのはベトナム戦争でしたか。この日は兵士も戦場からわが家に戻る。・・・・・毎日がクリスマスだったら平和になるでしょうか。1568年のナタラ(クリスマス)は、織田信長と松永久秀が堺で対峙していましたが、両軍の兵士70名が友愛と礼節を持って交わり、共にミサをささげたそうです。

 クリスチャンにとっては、十字架と復活、すなわちイースターの方が大事な日であることは言うまでもありませんが、どちらかといえばクリスマスの方が盛大に祝われます。
 僕が洗礼を受けたのは17才のクリスマス礼拝でしたが、クリスマスに受洗する人はけっこう多いのです。キリストとともに新しい命を得る、新しい時代を迎える。それもクリスマスのひとつの過ごし方だと思います。

 ・・・・・・ごめんなさい。ちょっと説教ぽくなってしまいました。・・・・・・ 「停戦」の話しに戻りますが、兵士は家に帰り、家族との団欒を楽しむ。あるいは、しばし武器を置き、敵対していた者と共に歓談飲食し、相手のためにも真摯な祈りを捧げる。 差別され、あるいは見捨てられたかに見える人々を、普段は無関心な人々が訪れて慰問する。 そう、クリスマスは、あり得ない筈の「神の国」が、この世に実現する希有な日なのです。

 クリスマスは何月何日

ユダの地ベツレヘムよ・・・・・

ユダの地ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で、決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。 (マタイによる福音書2.6)

   結論から言えば、イエス・キリストの本当の誕生日はわかりません。とにかく、公的に認められる以前から12月25日に降誕を祝ってきたのです。
キリストの誕生日を12月25日とした最古の記録は、AD336年で、ローマのフィルカロスの暦に記載されているのだそうです。
 よく知られているように、クリスマスの日付を決定するときに、「冬至祭りとの習合があった。」そうです。これは「絶対不滅の太陽神の祭り(ディエス・ナタリス・インヴィクティ・ソリス=12/25)」で、暗闇に光が打ち勝つ、ということを暗示し、ヨハネによる福音書も光と闇という象徴的な言葉でキリストの誕生を表しています。 ほかにサトゥルナリア(黄金時代をしのぶ祭=12/17-21)やジギルラリア(人形の祭=12/22)もこの時期です。また、ユダヤ教のハヌカ(宮潔めの祭り=12/25)との関連も指摘されています。 もっとも、これらの説も後代の学者が仮説を立てて資料から推定しているだけです。「〜ではないか」と言っているのです。
 一方、東方の教会では1月6日を「公現日」=イエス・キリストが現れた日として祝っていました。4世紀の後半になって両者が合併し、12月25日から1月6日までをクリスマス・シーズンとしたのでした。


 洗礼者ヨハネはユダヤ教の祭りの頃に懐妊したと書かれていますが、これを9〜10月の秋分「仮庵の祭」と仮定します。また、それから6ヶ月後に乙女マリアがエリサベトに会いに行ったとき、エリサベトの胎内で胎児(ヨハネ)がはじめて踊った、と書かれています。これは妊娠五ヶ月目にあたる事なので、妊娠期間を「十月十日(280日)」とすると、キリストの誕生はだいたい12月頃ということになります。また、マリアが受胎告知を受けたのは3月の春分「過越の祭」ということになります。

 ついでながら、マギ(東方の博士たち)が東方で見た星が(再び現れて)、という記事があります。バビロン(東方)からの旅程を60日、それぞれの(天体)十二宮が隠れている期間を70日とすると、「見えなかった星が再び輝いて」の記事と符合します。また、当時は冬至該当日から水瓶座(アクエリアス)が太陽の座になったようです。イラストは僕が計算した、当時の暦です。 あるいは彗星や惑星だったかもしれません。紀元前7年には魚座で木星と土星の相合が3回起こっていたそうです。


 NHKの「コメディーお江戸でござる」で、幕府の天文方は定点観測が原則で、地方に出向くことはないという解説をしていました。東方の博士たちにとっても、 それは同じだったと思います。わざわざ西へ出向きヘロデ王のもとへ行ったのは、現在の天体の事象と同じ事があった過去の時期にユダヤで何が起こったか、その関連を調べに行ったのでしょう。 そして、その出来事とはずばり「ユダヤの王の誕生」ではなかったでしょうか。
 ヘロデ王自身が預言者の預言通り平民から王座にはいずりあがった、ということを知っていると、このあたりの緊迫感が違います。

 マリアはいくつ

Madonna   Little Maria  西洋の「聖画」のマリア像、カトリックの聖母像を見ると、気品・威厳に満ちた妙齢の女性になっていますが、実際はいくつくらいだったのでしょう。
 ヒントは聖書の中にあります。マリアは「ヨセフの許婚者(いいなづけ)」になっていたのです。これは今の「婚約」とはちがい、日本の昔の<いいなずけ>に近いものです。
 ヨセフはマリアがまだおさなかったので、適齢期になるのを待っていたのです。 この時代の女性の結婚年齢は15歳から18歳くらいまでということが資料で分かっています。

 どちらにしろ<高校生>くらいの年齢です。しかも、その年齢に達していなかったわけですから、イエス・キリストを宿したときは、少女に毛の生えた程度だったと考えられます。 中学3年くらいの幼さの残った子が、<聖霊によって懐妊>したということを、どうやって両親、婚約者に説明し、納得を得たのでしょうか。とても大変な事だったと思います。 もし、あなたに未婚のお嬢さんか妹がいて、彼女が「聖霊によって身ごもった」と言ったら、素直に喜ぶでしょうか。どうされます?

 マリアを描くときは、画家の力量だけでなく、その信仰が試されているとも言えるでしょう。聖書には年齢もスタイルもフェイシアも記述されていません。
 多くの絵描きは精一杯の想像力で理想の女性像を具現させていると思います。 でも実際には、まだいたいけない少女がけなげにも赤子を抱いて・・・というのがリアルな「聖母像」だと思うのですが、いかがでしょうか。