● 聖ニコラウス
モスレムの お父さんでも プレゼント
世界中の子供たちが、この日を楽しみにしています。サンタ・クロースの元祖が聖ニコラウス、というのはよく知られている話ですね。
聖ニコラウス司教(270?〜342?)は小アジア(現在のトルコ)出身の実在の人物で、人々に親切にし、死後もいろいろな奇跡を起こしたことで知られています。
その聖ニコラウスの祝日は12月6日で、スイス、フランス、ドイツ、オランダでは子供の日になっています。この地域ではサンタは12月5日の晩にやってきたようです。また聖ニコラウスは聖公ウラジミール1世(955?〜1015)の時からロシアの守護聖人になっていますし、ギリシャの守護聖人になっています。
● サンタの帽子
赤ずきんと白ひげは16世紀の宗教改革以降からです。宗教画に描かれる聖ニコラウスは、司教の帽子を被っています。(帽子を被ってない絵もあります)西欧とアメリカに聖ニコラウスを伝えたのはオランダ人で、船乗りの守護聖人であったからだと言われています。
北欧の国ノルウエーではサンタ・クロースのことを「ユーレニッセン」と呼びますが、その語源の「ニッセ」は赤い帽子をかぶった森の妖精。おもちゃ工場のこびと達そっくりですね。
同じく北欧のフィンランドでは「ヨウルブッキ」と呼ばれ、サンタに扮した父親や近所の人が、子供たちがまだ起きているときにやってきます。
赤くて長い帽子をかぶって。服は灰色の木綿生地で、赤い飾りがついているところは普通の?サンタとちょっと違います。戸口をトントンたたきます。「この家には良い子はいるかな?」・・・子供たちの輝く瞳が目に浮かぶようですね。
現代の商業主義的なサンタとクリスマス・プレゼントは、19世紀以降アメリカで流行し世界中に伝播したようです。
● 隣人を助ける
ニコラウス(ニコラス)は、信仰の厚い両親のもとに生まれました。少年時代から聖書に親しみました。
両親が亡くなって、莫大な遺産がニコラウスに入りました。
さて、ニコラウスの隣には、身分は高いが、貧乏な家族が住んでいました。
その家には三人の娘がいましたが、貧しさのあまり娘を売って生計を立てようとしていました。
それを知ったニコラウスは驚きました。そして、ある夜こっそり金を投げ入れました。
隣家の長女はそのお金で嫁ぐことが出来ました。そして次女もおなじように結婚できました。
「このように親切にしてくれる天使は誰だろう」・・・三人目の娘の時、窓から金を投げ入れようとしているニコラウスを
隣人が見つけ、足に接吻をしようとします。彼はそれを押しとどめ、自分の生存中はナイショにしておくよう命じました。
● 嵐にあった船を助ける
これもニコラウスが生きていた時の話です。
航海中の船が突然の嵐に遭遇しました。その船に乗り込んでいた人たちは、「ニコラウス様、あなたについての噂が本当なら、私たちを助けてください」と叫びました。
するとどうでしょう、ニコラウスの姿をした人が現れ、彼らを助けたのです。やがて嵐がやみ、航海を終えて上陸したとき、その人たちは逢ったこともないニコラウスが一目で分かったのだそうです。
このことから、ニコラウスは船員の守護聖人にもなっています。船のへさきにニコラウス像を飾った船も沢山あったそうです。
帆船マニアなら、よく知っている話です。でも、当たり前かもしれませんが、サンタクロースの格好はしていません。
● 神に捧げる祭り
「クリスマス」の「マス」はミサ(プロテスタントでは「サービス」=礼拝)を指します。
このミサなりサービスのもともとの意味は「犠牲を捧げる」あるいは「自分自身を捧げる」ということです。
ですから、プレゼントをもらうのではなくて、神に捧げる祭りなのです。ちょっと聖書を引用させてください。
「主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのをみて食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をおられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。」
そこで、王は答える。「はっきり言っておく、わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」
・・・・・・(マタイによる福音書25章31〜46節からの抜粋)
この箇所は「靴屋のマルチン」や「クリスマス・カロル」などの名作のモチーフになっていると思います。
聖ニコラウスの伝説では、親からもらった莫大な遺産を困っている人たちに分け与え、飢饉に際して輸送船から皇帝の小麦を数十キロ分けてもらい、船の積み荷が減らなかっただけでなく、分けてもらった小麦で国中が2年間食べることができたという伝説が残っています。
ほかにも死者をよみがえらせたとかいう話も残っています。これらの逸話に共通しているのは、イエス・キリストを模範とした愛の実践という事です。
見返りはプレゼントされた者の喜ぶ姿だけ、という贈り物はいいことだと思います。それを多くの人と分かち合えたら、もっとすてきだと思います。
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