ザカリヤへの受胎告知

 説教を準備するための、原書構文解析です。品詞の色分けは 緑が名詞、青緑が代名詞、ピンクが動詞、紫が分詞、 青が形容詞、濃黄が冠詞、赤が前置詞、黄緑が接続詞、グレーが副詞ほかです。
 黒の長い縦線はSVOCの区分、黒の縦二重線は文節の終わり、赤の下線が前置詞句あるいは前置詞、 青の縦線は前後どちらかを修飾する言葉です。もっとも、厳密なものではありません。
 本来の構造解析であれば、もっと要素をバラして、入り組んだ線を用いるのですが、今回も出来るだけ行数を減らし、 なおかつ画像幅を小さくするために、簡略化しています。なお、英語の逐語訳を付けていますが、各語はいろいろ多様な 意味があり、必ずしも訳語と一致している訳ではありません。

 時制(時称、アスペクト)は末尾の「ASPECT」で解説しています。詳しくは専門書をご覧下さい。
 

ルカによる福音書1:5

Luke_Grek
“Egeneto"(ginomaiの直接法アオリスト能動態三人称単数)という、「動詞で始まる構文」が1章5節から24節に かけて多用されています。"autos"(彼は)または"aute"(彼女は)という三人称単数の主格の強調代名詞が省略された形です。 それで主語は何かということを確認しなければなりません。文脈と性数格で捜すと、"hiereus"(祭司)であることが分かり ます。「(一人の)祭司が居た」が1節の主語述語で、残りは修飾句(語)ということになります。 "hemerais"(hemera 、日)はヘブライ語の"yom"を思い起こさせるセム語的用法で、この場合は時代、 あるいは時期を意味しています。"herodu bashileos"はヘロデの/王の(それぞれ属格)なのですが、 訳本は「ヘロデ王の時代に」と「ヘロデが王であった時代に」と、2通りの解釈があり、属格の並列なのだけど ヘロデを主格的に捉えた例もあります。NIVは" In the time of Herod king of Judea"「ユダヤの王ヘロデの時代」 というニュアンスで伝えており、うまい訳だと思います。ヘロデ王の治世はBC40またはBC37年からBC4年の間です。
 zecharia.gif ザカリヤという名前は、ギリシャ語の原則によってシグマをSと発音すれば“Sakarias"になりますが、 Z音で発音され、NIV とTEVはZechariah NKJは Zacharias  RSVはZachari’ahとなっています。 これは旧約聖書ネヘミヤ記12章の「帰還した祭司とレビ人の名簿」にゼカリヤ(zechryah)という名前があり、 その音写ということでそのように表記しているのでしょう。名の意味は「ヤハゥエは覚えたもう」です。
“efemerias"(efemeria)は「一定日数、宮で祭司の職を勤める組」で、歴代史上24章で、アビヤの組は24に分けられた 祭司の組(ヘブライ語:machaloqeth)の8番目に当たります。。
 elizabeth.gif  接続詞"kai"以下で、ザカリヤに妻が居て、その名はElisabethですが、もともとはヘブライ語のエリシェヴァー、 意味は「神は誓いである」、がなまったものです。 出エジプト記6:23 にはアロンは、アミナダブの娘でナフションの姉妹であるエリシェバを妻に迎えた。と書いてあり、 エリサベトという名前の女性が、アロンの血統であっても不思議ではないのです。

A[彼は]居た/ヘロデ王の時代に/
B [一人の]ユダヤ人祭司が/
C 彼の名はザカリヤ/アビヤの組の所属/
D また彼の妻は/
E アロンの家系の所属/彼女の名はエリサベト

ヘロデ王の時代に、一人のユダヤ人祭司が居た。
その名はザカリヤ、アビヤの組の者。
彼の妻はアロンの家系の者、その名はエリサベト。


CとEが倒置の関係にあり、散文でありながらさりげないテクニックが用いられていることが分かります。

ルカによる福音書1:6

Luke_Grek
 6節も動詞が頭にあります。英語のbe動詞に当たるeimiの未完了形能動態三人称複数で、強調代名詞"auta"が省略された 形ですから、これ一語で「彼らは(何々で)あった」を意味します。接続詞"de"が2語目に置かれていますが、 ギリシャ語ではしばしばあることで、間違いではありません。
「彼ら」は何かという形容詞が2つ続いています。「正しい」と「二人とも」で、形容詞の名詞的用法と捉えれば、 「二人とも正しい人でした。」になりますし、「彼らは二人とも正しい人でした」と普通に訳してもいいと思います。
 “enantion"以下の前置詞句は「主の御前において」で、詩編によく出てくる「ヤハゥエの御前で」という表現を 思い起こさせます。
 続く"poreuomenoi"は"poreuomai"の分詞で現在形能動態主格男性複数形で、「(彼らは)歩んでいた」という 主語/述語を形成しています。"en"以下の前置詞句「すべての律法によって」 ("en"は多義なので、いろいろな解釈が可能です)、接続詞"kai"以下で「主の規定と」

 最後の形容詞"amemptoi"は主格なので"poreuomenoi"を修飾し、「落ち度無く」。

A そして
B 彼らは(何々で)ある(未完了形)
C 二人とも正しく
D 主の御前において
E 彼らは歩んでいる(現在形)
F 全ての律法と主の規定に従って
G 落ち度無く

その二人は主の御前において共に正しくある。
全ての律法と主の規定に従い、落ち度無く歩んでいる。


E-F-Gが B’-D’-C’の関係にあり、対句ということが分かります。

ルカによる福音書1:7

Luke_Grek
最初の接続詞"kai"を順接(and)ととるか逆接(but)ととるか、微妙なところです。 訳書も二通りに分かれています。6節の「彼らは正しく歩んでいた」を受けて「にもかかわらず」と解釈すれば逆接、 淡々と事実を述べていたと解釈すれば順接でよいと思いますし、強いて訳出しなくても構いません。

 「彼らの子はまだ無かった」。子"teknon"が主格、動詞が"eimi"の三人称単数未完了形なので「子」が主語で、 未完了形を強調して訳せばそうなります。続く修飾節は「なぜならエリサベツは不妊であった」という主語述語を備えた文節。
 続く"kai"以下は"amfoteroi"(双方は)という主格の形容詞が名詞的用法で主語、述語は末尾の"hesan" (“eimi"の未完了形能動態三人称複数)という、凝った文学的?構文。5節の"hemerais"がここでは「生涯」という意味に 用いられて、「彼らの生涯において」という修飾句を作ります。

A いなかった(未完了)/彼らの子は
B エリサベツが不妊であったため
C そして
D 二人とも年寄り
E 彼らの生涯中において
F (何々で)あった

 子は彼らに無く、二人ともとっくの昔に老いていた。(意訳)

A-Bが否定文、D-E-Fが肯定文で、述語の位置も文頭と末尾という、対比的な構成になっています。
Eの分詞は完了形で、以前において老齢期に入っていたことを示しています。

ルカによる福音書1:8-9

Luke_Grek
 8節と9節は繋がった文章なので纏めて解説します。"autos"が省略された形の動詞"egeineto"、 「(彼は何々)始めた」が主語述語。接続詞"de"は2語目なのだけれど、7節と8節を接続する言葉。
 何を始めたかというと、9節の"eiselthon"、「入る」(分詞)ということで、要するに「彼は神殿(本殿)に入り始めた」
というのが8−9節の主文で、残りは修飾句ということです。なお「くじを引く」というのは、神託を伺う時の常套手段で、
ヨシュア記18章11節、ヨナ書1章7節などがそうです。

A (ある時) 彼は何々し始めた
B 彼が祭司の勤めの時
C 彼の祭司の組が当番であったとき
D 神の前で
E 祭司の職務の慣例によって
F 彼はくじを引き(当たったので)
G 香を炊くため
H 主の神殿[/本殿]へ入ること

 あるとき、彼は香を炊くため、聖所に入ろうとしていた。 それは彼が祭司の勤めをしていた頃、彼の組が主の御前で奉仕する当番であったとき、 慣例に従ってくじを引き、(神託によって)香を炊く役に選ばれたので。(意訳)

A-Hが主文、GはFとHを修飾するという、離れわざみたいな文章です。

ルカによる福音書1:10

Luke_Grek
香を炊くとき、本殿の外には(境内)で祈っている(現在)雑多な人々がいた(未完了)。

「雑多な(/大勢の)群衆」が主語、「いた」(未完了形)が述語で、(彼らは)「(本殿の)外で祈っていた(分詞)」、 「焼香の時」が修飾句。

ルカによる福音書1:11

Luke_Grek
すると、主の天使が彼に向かって香壇の右に立っていた(完了形)のを彼は見させられた(アオリスト)。

 “ofthe"「(彼は)見させられた」(アオリスト受動態)が主語述語、「彼に向かって主の天使が立っているのを」と 「香炉の壇の右側に」が修飾句。時称から、立っていたのが先で、見たのが後。ということは天使が歩いて 出現したのではなくて、香の煙の中に天使が立っているのをザカリヤが見つけたという状況ですね。

ルカによる福音書1:12

Luke_Grek
 “etaraxthe"「(彼は)恐怖させられた」(アオリスト受動態)が主語述語、「それを見たザカリヤは」が修飾句、 「恐れが捉えた」(アオリスト能動態)は、独立した主語述語。

A ザカリヤは恐怖させられた
B 恐怖の念は彼を襲った

見たザカリヤは恐怖させられ、怖れが彼を縛った。

 AとBが続けてあったのではなく、1つの出来事を主客逆転させ繰り返し(強調して)表現したものです。 ご丁寧なことに名詞と動詞の位置まで倒置してあります。ヘブライ詩みたいな対句(パラレリズム)ですね。

ルカによる福音書1:13

Luke_Grek
 「そこで天使は彼に言った」に続く文章は、17節まで続く天使のことばで、詩文体です。

A 恐れるな、ザカリヤ。(述語/主語)
B 聞かれた/お前の望みは、(述語/主語)
C お前の妻エリサベツは/お前の息子を産む(主語/述語)
D 名付けよ/彼の名をヨハネと。(述語/主語)

(13-17の訳は末尾に記載)

 12節までの構文に比べ、ずいぶんあっさりしていますね。会話そのものの口語文なのでしょう。 接続詞の"dioti"はこの場合「理由・原因を表す」機能をします。「なんとなれば」あるいは「なぜならば」なのですが、 文脈からそれと分かるので、翻訳しない例が多く見受けられます。
 yohanan.gif  なお“Iohannes"(基本形で)は、歴代誌・エズラ・ネヘミヤによく出てくる「ヨハナン」という人名のギリシャ語音写した もの。意味は「ヤハゥエは恵み深い」です。

ルカによる福音書1:14

Luke_Grek
A [彼は]喜びとなる/あなたの/しかも大喜びと
B 多くの者(形容詞の名詞的用法)は/誕生を/彼の/喜ぶ

 Aの"xara"から"agaliasis"への言い換えは、言い間違えたのではなく、詩文としてのリフレイン(繰り返し表現) なのでしょう。ですから「彼はあなたの喜びとなり、また悦びとなる。」と訳したら詩文的になりますね。意味不明ですが。(笑)
 Aの主格名詞"xara"の動詞形態"xairo"をBの末尾で使っているので、14節はちょっと気の利いた言い回しであることが 伺われます。

ルカによる福音書1:15

Luke_Grek
15節から17節は「なぜ喜ぶか」という、14節の具体的な内容を説明していきます。

A 彼はなる/偉大な者(形容詞の名詞的用法)に/主の御前において
B 葡萄酒や濃い酒を/決して飲まない
C 聖なる霊で/彼は満たされる(受動態)
D [その聖なる霊は]既に/(在る時)から/彼の母の胎内に

 Aは「彼は偉大になる…」と訳してもいいでしょう。「濃い酒」は箴言20章1節に出てきます。

ルカによる福音書1:16

Luke_Grek
A 多くの人々を/イスラエルの子孫の/彼は連れ戻す
B 主へ/彼らの神である

 ここでは14節の「多くの者」(主格)が対格で用いられて、対になる文とみて良いでしょう。

ルカによる福音書1:17

Luke_Grek
 天使の話の最後はクライマックスにふさわしく?、たたみかけるような構文になっています。 「彼は歩む」が主語述語、最後の独立した文節を除いては修飾句です。

A 彼(子)は/歩む
B 御前を/彼(主)の
C 霊と力によって/エリヤの
D 立ち返らせるため/(彼らの)心に/父祖たちの
E (イスラエルの)子孫たちを/(主に)逆らう
F 分別により/正しい
G 主のため用意する/人々を/準備された者(として)



 「エリヤの」は、マラキ書3章23・24節を参考にすると良いでしょう。

LXX Mal.3:23-24 3:23 見よ、わたしは 大いなる恐るべき主の日が来る前に 預言者エリヤをあなたたちに遣わす。
3:24 彼は父の心を子に 子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって この地を撃つことがないように。

参考のため、七十人訳を併記します。ルカ1章17節が、マラキ書のデッド・コピーではない、というより、 かなり書き方が違う点が分かると思います。

ルカによる福音書1:18

Luke_Grek
 「そしてザカリヤは天使に向かって尋ねた(eipen)」に続く文はザカリヤのことば。詩文体ではありません。 "gnosomai" (ginoskoの未来形能動態一人称単数)のニュアンスを日本語に訳すのは難しい。未来形(未来時称)なので、 「後日理解する」なのですが、日本語として「後日理解するでしょう」とすると推定を含意することになります。 NIVは"How can I be sure of this?"と訳出していますが、英語でも時称を表現するのは難しいようです。

A そこで
B ザカリヤは尋ねた/天使に
C 何によって/私は理解できるようになるのか/このことを
D 私は(主格の強調代名詞)/なぜなら/老人だ
E また私の妻も/かなり重ねている/齢を

 そこでザカリヤは天使に言った。「何によってそれを信じよと言うのかね? 私は高齢者だし、家内もババアになって久しいのに。」(意訳)

 推定ですが、Eの内実の意味は「更年期を過ぎている」と言うことでしよう。「とっくに月のものが無くなっているのに」 というニュアンスにとれば、ザカリヤが信じなかった理由が明快になります。
 C−Eを「そんなタワゴト、信じられんね。このわしゃ爺だし、家内もとっくの昔に婆だ」というニュアンスで 受け取ると、後で天使が怒るような会話になると思います。その場合Bを「ザカリヤは天使に言ってのけた」とすると、 余計良い?訳になります。

ルカによる福音書1:19

Luke_Grek
 「そこで天使は彼に言った」以下は天使の会話です。"ego eimi"は一人称単数主格の強調代名詞+be動詞の基本形で、 「私」を強調しているので、「私を誰だと心得ている!」という、強いニュアンスを含んでいます。

A そこで/答えた/天使は/彼に向かって言った
B この私は/ガブリエルである/立つ者
C 神の御傍近くに
D そして (ここに、神によって)遣わされている/お前に伝えるため
E それは 善い知らせを告げるため/お前に/これらのことを

 そこで天使は彼に向かい答えて言った。「この私、ガブリエルは、神のみ側近くに侍る者。 聖使(みつかい)としてお前に遣わされた者。これら良き聖旨(みむね)をお前に伝える者。」(意訳)

 「私を侮辱するのは、私を派遣された神を侮辱することだ」とでもいうような、厳しい言葉なのだと思います。 ここではDEの接続詞"kai"を積極的に訳すと、より分かりやすくなります。

ルカによる福音書1:20

Luke_Grek
  “kai idu"「そこで今」以下、ザカリヤに対する制裁が告げられます。

A お前はなる/静かに
B かつ/できない/話すことが
C まで/その時/実現される(仮定法)/それらの事が
D なぜなら/ことによって/信じなかった/私の言葉を
E それらは/執行させられる
F (実現される)その時まで/それらの事の

 (事の重大さゆえに:idu)お前は聞くことも、語ることも出来なくなる。 事が実現されるその時まで。私の言葉を信じなかったゆえに。事が成る時まで(罰が)執行される。

 AとBは同じ意味のようですが、22節からみると、Aは「聞こえなくなる」と理解すれば重複表現ではなくなります。 もちろん、「お前は沈黙する」でも構わないわけです。Aは未来形ですが、文脈からするとリアルタイム、 即時実行の未来です。

ルカによる福音書1:21

Luke_Grek
冒頭の接続詞"kai"をNIVは「Meanwhile」(とかくするうち)と、うまく訳しています。 邦語訳では訳されていない例が多いのですが。

A していた/人々は/待つ/ザカリヤを
B そして/いぶかっていた
C ことを/長く留まっている
D 中で/神殿の
E 彼に対し

 人々はザカリヤを待っていた。そしていぶかっていた。彼が神殿の中に長く留まっていることを。

「人々は彼を待っていた」が主文で、最後の"auton"が"prosdokon"に係り、"prosdokon"は"Zakarian"にも拘わる 二重対格を持つ分詞という、何とも面倒な構文です。

ルカによる福音書1:22

Luke_Grek
A さて、彼は出てきた
B できない/(彼は)話すことが/彼らに
C そこで、(彼らは[その訳を])認識した
D から[だと]/幻を/彼は見た/本殿の中で
E それから、彼は/合図をした/彼らに
F そして、続いている/話せないし聞こえない[状態が]

 さて、彼は出てきた(ものの)、彼らに(祝福を)告げることができなかった。 それで彼が聖所で幻を見たからだと識った。それから彼は彼らに合図をした。 そして引き続き彼は話すことも聞くこともできなかった。

 E、会衆に合図したのは、本来ならそこで託宣を告げる、つまり「五穀豊穣」とか「商売繁盛」とか、 お決まりの祝福の言葉を告げる筈のことが出来なかったので、「解散してくれ」ということをジェスチャーで 表現したのです。

ルカによる福音書1:23

Luke_Grek
A 来た/満了する/時が/勤めの/彼の
B (彼は)帰った/家へ/彼の

 彼の勤めが満了する時が来て、彼の家へ帰った。

 「家」といっても、エルサレム市内や近郊にあったのではなく、知行として与えられている土地(ユダの山地の町) へ帰ったのです。

ルカによる福音書1:24-25

Luke_Grek
24節と25節は後日談で、Dが24節に含まれていることから、「その後彼女は身を隠した」 「その後彼女は言った」という2つの文が"de"という接続詞で並列的に述べられていることがわかります。

A その後
B 日に/身ごもった/エリサベトは/妻の/彼の
C 身を隠していた(未完了形)/彼女自身の/5ヶ月間
D 彼女は言います(現在形)
E 次のように/私を/した(して下さった)/神は
F この日々/(彼は)わたしに心を置いた(アオリスト)
G 取り去る(同)ために/私の恥を/人々から

 その後の日、彼の妻エリサベトは身ごもり、五ヶ月の間身を隠していた。 彼女は言っている(現在)。「神は私にこのようにしてくださった。この日々なんと彼は私の事を思ってくださったことか。 人々から私の恥そしりを取り去るために。」

 BCとDが2つの文。Cの「五ヶ月」というのは妊娠が安定期に入り、胎児も動き出し、お腹も少し膨らんで、誰の目にも妊娠したという ことが明らかになった時期ということなのでしょう。月経が無くなっていたとすれば、胎動はエリサベツにとっても、 妊娠を確信する間違いない証拠になります。なおEFGは口語文のようです。

A-C その後妊娠したエリサベトは5ヶ月間、身を隠していた
A,D-G そして彼女は言った「神様はわたしの恥を濯ぐため心に留めて下さった」

付録−1 13-17 詩文体の読みと訳

Luke_Grek

13 恐れるなかれ、ザカリヤよ
聞き届けたり、汝(な)が願い
汝(なんじ)が妻の、エリサベツ、汝の男子(おのこ)、孕むべし
その男子、名づけらるべし、ヨハンネと
14 汝喜び、小躍りす
多くの衆(やから)、また歓ばん
15 その男子、大いならんや、主のみ前にて
彼(か)は酒飲まず、酔い潰るるは、なかるべし
聖霊に、満たされる
彼の母に、宿る時より
16 多くの衆、聖国(くに)の民、彼は連れ戻す
主のもとヘ、彼らが神へ
17 彼は歩む、主のみ前
エリヤの霊と、力によりて
立ち返らせる、父祖(ちち)の心に
逆らう子らに、分別もたせ
主がため備えん、潔き民


付録−2 アスペクト

ASPECT  ★「アオ」(アオリスト時称)は、直説法の場合、語りの時点、もしくはそれより過去に起きた出来事をあっさり(淡々)と記述するのに 用いられ、アスペクト(時間の流れ/話の焦点)は点的になります。5節の「祭司が居た」は、文脈からみて語りの時点と出来事の時点が 一致します。9節の「くじを引いた」や13節の「願いが聞き届けられた」は、語りの時点より前に起きたことと思われますから、 語りの時点(×印)より、事象の時点(星印)を左にプロットしています。

 ■「未完了時称」は、過去から将来に向かって継続的におきている動作(事象)を表現します。7節の「子がない」は、 結婚後ずっとそうであったことを表現しています。10節の、「人々が居た」は、祭礼が始まって解散するまで継続された 事象です。アスペクトは線的です。

 □「完了時称」は、過去に起こった出来事の結果や効果が、語りの時点まで線的に及んでいることを示します。 ですから、18節の「歳をとった」のは過去で、話点では「歳をとっている」という状況になっている事を示します。

 ■「現在時称」は、現在起こっていることを線的に表現します。「現在進行形」に近い意味合いです。 だいたい話点より前から後まで続きますが、13節の「怖れるな」は、話点以降のアスペクトを持っています。

 ■★「未来時称」は、話点より未来、あるいは直後において、線的あるいは点的に<確実に>起こる事象を記述します。 推論「なるであろう」ではなくて、「こうなる」という記述です。13説の「男子を産む」や、「名付けよ」(これは命令法併用)が これに該当します。


あとがき

 正直言って、こんなに面倒くさい事を始めてしまったのを後悔しながら作りました。 それも、「何とか終わった」程度で、公開してよいものかどうか分かりません。と言いながら、公開してしまっています。(笑)
 ヨハネ文書に比べると、ルカは遙かに難しいですね。語彙は多岐に渡るし、構文も実に複雑でした。 その分、勉強にもなりましたが、こんなこと(コンテンツ作り)でも無い限り、ここまで手をかけはしなかったでしょう。 聖書ギリシャ語に馴染みのない方がご覧になってもチンプンカンプンでしょうが、 邦訳では、そして英文でも訳しきれていないルカ文書の味わいの一端でも分かっていただけたら幸いです。



2005/11/17
引用聖書:
"NESTLE-ALAND NOVUM TESTAMENUM GRAECE" 6.Druck 1999: (c) DEUTSCHE BIBLEGESELLSCHAFT, 1898 and 1993
聖書(新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会)
"Holy Bible": New International Version

参考文献:
J-Bible 2nd (c) 日本コンピューター聖書研究会 1996-1998
新訳ギリシャ語辞典 岩隈 直著 増訂6版 2000/05/10 (株)山本書店
新約聖書のギリシャ語文法 織田 昭著 2003/05/20(有)教友社
ヘブル語大辞典 名尾 耕作著 1982/07/20 (株)聖文社
聖書語句大辞典 7版 日本基督教協議会文書事業部 コンコーダンス委員会 (株)教文館