板門店には韓国に来た当初より早く行きたいと思ってた。
が、同じ学校に通う日本人友達との間で、今度行こう、みたいな会話をしてしまったもんだから、
一人で行くわけにも行かず、伸び伸びになってしまってた。
で、先週で春学期も終わることから、約2週間前にこの休み中に行こう、という話になり、
やっとこさ行くこととなった。
ちなみに、板門店にはツアーに参加する形でしか訪問出来ない。
で、10:20までに明洞(ミョンドン)にあるロッテホテルまで来るように言われてた。
間に合うように部屋を出たのだが、なぜか地下鉄が来ず、10:40に到着。
40人ぐらい乗れるバスが2台。
ほとんどの参加者が日本人のもよう。
ガイドは日本語でしてくれる。
年間15万人がこのツアーに参加するらしく、ほとんどが日本人とのこと。
ちなみに、北朝鮮側からも同様のツアーがあるらしいが、年間1万人程度の利用者で中国人が多いらしい。
雨が心配だったが、何ともいえない空模様で、今日一日もってくれることを願うのみ。
なぜなら、途中でバスから降りて歩くとき、場所によっては傘を差せないから!
(いざというときに武器になりうるからとのこと。)
そして、カッパもダメ!!
(武器を隠してるのでは、ってなるからとのこと。)
実際、過去の体験者で、ズブ濡れになった、との某サイトへの書き込みなどもあった。
ついでに言うと、服装にもいろいろと制限がある。
「ジーンズ、Tシャツ、運動服、半ズボン、サンダル、ミリタリースタイル、ミニスカート、露出の多い女性服、
男性の長髪または整髪されていないヘアスタイル、その他共同警備区域・米軍支援団司令官が許可しない服装。」
が事前に言われていた禁じられている服装。
中には、ツアーに参加するまで禁じられている理由が分からないのもあったが、バスの中で説明されて分かった。
ジーンズ、Tシャツは80年代の労働者がよく着ていた服装らしく、板門店で警備する北朝鮮の兵士が見て、
韓国もまだ貧しいんだなー、と思うため、ダメなそうな。運動服も同様の理由。
サンダルは、いざというときに走りにくいから、という何とも現実的で最もな理由。。。
車内でそんな説明や、朝鮮戦争の背景などのガイドを受けながらバスは北へ向かう。
臨津閣(イムジンガク)。
朝鮮半島の統一を祈願するために立てられた。
1972年に建設が進み、軍事境界線から
南に7km離れた所に位置する。
地下1階、地上3階のこの建物は北朝鮮記念館と
各種記念碑、公園があり、北朝鮮記念館には
北朝鮮の軍事、政治、社会などの生活全般が分かる
各種資料や映像資料約400点が展示されている。
自由の橋。
1953年休戦協定を結んだ直後に
捕虜の帰還に利用された。
韓国の捕虜がこの橋をわたるときに、
「自由万歳」と叫んだのが名前の由来。
自由の橋、たもとより。
橋のたもとにあるプレート。
橋の先にあったもの。
臨津閣は板門店のように入場許可が必要でないため、
韓国国内の人々も多く訪れる。
メッセージがたくさん書かれていた。
あんまりよく見なかったので、
どんなメッセージかは分かりません。。。
この向こう側には警備所があり軍人がいた。
反対側を向いて撮ってみる。
周りの景色。
このような鉄線は至るところにある。
4種類ぐらいの電流が流れているらしい。
臨津閣の向い側にある望拝壇。
毎年旧正月と旧盆に故郷を離れた人々が
祭祀を行うところ。
臨津閣では、観光というより休憩といった感じで約20分ぐらいしか滞在しなかったため、
記念館などの資料は見ることが出来なかった。また改めて来ようと思う。
そしてバスはさらに北に向かう。
臨津閣から約14kmのところに板門店がある。
統一大橋手前で一旦停止し、国連の職員によるパスポートチェックを一人ずつ受ける。
板門店は、停戦協定の締結後、UN(国連)側と北朝鮮側との共同警備区域として定められた
前後左右の距離わずか800mの狭い場所である。
この板門店は公式的には、UN軍と北朝鮮軍に共同警備区域(JSA;Joint Security Area)と呼ばれる。
南北韓双方の間、行政管轄権がない特別な地域である。JSAはUN側と北朝鮮側が各自6カ所の警備所を運営し、
35人で構成された警備兵を常に投入している。
1976年以前には、JSAの中で両側の警備兵がお互いに往来することができたが、
1976年8月18日、北朝鮮軍の斧蛮行事件の後、両側の警備兵たちが相手の地域に入れないようになっている。
板門店を管轄している韓国軍管轄地域では唯一UN軍が担当している基地があり、ここをボニファスキャンプと呼ぶ。
このキャンプの名前である「ボニファス」は1976年の斧蛮行事件で亡くなったボニファス大尉の霊を追悼するため。
ここでソウルから乗って来たバスから、
UN軍のバスに乗り換える。
バスステーションの壁にあった
アメリカ国旗とJSAのマーク。
国連軍のバス。
これに乗り換え。
ボニファスキャンプ内食堂で昼食タイム。
バイキング形式で、パスタやピザなどもあり、結構おいしかった。
食後、食堂の隣りの小屋で朝鮮戦争勃発から現在に至るまでの経緯についてスライドを使った説明を受ける。
そして、これから向かう軍事停戦委員会の本会場を訪れるに当たっての注意事項等の説明も受ける。
さらに、万が一何かあっても(起きても)UN軍、および韓国軍に責任は無く、
訪問者の安全を保障することは出来ません、旨の宣言書にサインをする。
そして、自由の家の前にてバスから降りる。
ここからはカメラと貴重品以外の携帯は禁止される。
つまりカバンを持ち歩く事を禁止される。
さらに、2列に整列し、UN軍先導のもと軍事停戦委員会の本会場へ。
板門店概略図
軍事停戦委員会の本会場内。
いきなりやけど。。。
写真撮影が出来る場所が
かなり限定されてるので。。。
建物の中には2人の韓国警備兵がいる。
左側が韓国。右側が北朝鮮。
つまり、この画像は北朝鮮の領域に入って
撮影してることになる。
机の中央に置かれた3つのマイクが
軍事境界線そのもの。
左側が北朝鮮。右側が韓国。
建物の外はこのようなコンクリートで
軍事境界線が敷かれている。
左側が韓国。右側が北朝鮮。
北朝鮮側を撮ってみた。
外で警備する韓国兵。
外には3人の警備兵がいた。
みんなこの体勢でピクリとも動かず。
聞けば、45分間この体勢で警備し、15分間の休憩。
これを3時間繰り返して交代するとの事。
ちなみに、警備兵はサングラスをかけている。
これはどこを見ているのか、分からないように
するためとの事。
決してカッコイイからではない。
ここJSAでは、選ばれた軍人が警備にあたっているとの事。
まずは、身長が175cm以上。さらに、UN軍との共同警備をするにあたり、
英語の能力がある者。そして家柄に問題の無い者等。。。
よって、結婚相手として人気があるらしい。
自由の家の横にある展望台から。
3つある青い建物の中央が先ほど
訪れたところ。
北朝鮮の板門閣。
1969年9月、2階建てで建設された。
北朝鮮側の警備兵事務室に使われていて、
軍事停戦会談や南北会談代表の
待合室としても使われている。
北朝鮮兵が双眼鏡でこちらを見てた。
大きな画像・その1。
といってもショボイ画像やけど。。。
この日ばかりは自分のデジカメの
貧弱さを嘆かざるを得なかった。
北朝鮮の警備所。
ここにも北朝鮮兵が。
大きな画像・その2。
またまたショボイけど。
この日、外に出ていたのは2人だけだったが、
残りの33人は建物の中にいるとのこと。
さらに、建物の中からも双眼鏡でこちらを
監視しているとのこと。
平和の家。
1980年6月、韓国と北朝鮮の
総理会談に備えて建てられたが、
1989年12月に現在の所に
再び新しく建てられた。
ここでは南北の軍事会談を除いた
民間レベルでの会談が開かれている。
自由の家。
1988年7月建設された。
様々な南北会談や交流などの
南北間の連絡業務を行っている。
非武裝地帯の北朝鮮側にある、
宣伝洞村(キジョンドンチョン)。
北朝鮮が韓国に対して北朝鮮を
宣伝するために作られた。
ここには偵察兵以外に一般人は1人も
住んでいないと言われている。
また、世界で1番高いと言われている
高さ160mの掲揚台がある。
なお、韓国側にも同様の掲揚台があり、
高さは100mとのこと。
お互い高さを競い合うようにして
このような高さになったらしい。
現在はこれ以上高くしないように
取り決められているとの事。
バスでちょっと移動した
ところから北朝鮮を望む。
中央付近の木と木の間に
ある建物が旧板門店。
北朝鮮の山々。
中央やや左に数文字のハングル有り。
「偉大なる将軍様」みたいな意味らしい。
画像では分かりにくいけど、
北朝鮮の山々はいわゆるハゲ山が多い。
これは、資源利用として伐木されたためとの事。
帰らざる橋。
軍事境界線の真ん中を通る。
1953年の休戦以後この橋で
捕虜交換が行われ、一旦南か北かの
方向を決めたら2度とこの橋を渡って
帰ることが出来ない事から
この名前が付けられた。
右上が北朝鮮の警備所。
左下の青い建物が韓国の警備所。
この間に帰らざる橋がある。
映画「JSA」でおなじみ。
UN軍参加の国々を表した石碑。
この辺にいた時から雨が降り始める。
バスの車内から、斧蛮行事件の現場。
1976年8月18日の午前11時に
北朝鮮軍が起こした。この事件は
当時UN軍側が警備所の視野を覆う
ポプラの木を切断しようとしたところ、
北朝鮮軍側がこれを防ぐために
ボニファス大尉とバレット中尉を
斧で殺害した事件。
この事件で米国軍4名と
韓国人4名が重軽傷を負った。
バスの車内から、帰らざる橋。
ほんの1分程度の停車。
しかも雨が降っていたのが
悔やまれる。。。
帰らざる橋のたもとにある、
韓国側の警備所。
北朝鮮側の警備所には軍人がいるが、
韓国側の警備所は現在は無人との事。
昔は軍人による警備を行っていたらしいが、
斧蛮行事件以降、あまりにも危険という事で、
現在はカメラによる警備を行っている。
UN軍のマーク。
バスの背もたれにあったもの。
ゲストバッジ。
ツアー参加者はこのバッジ使用により、
UN軍側のゲストとして板門店を
訪れる事が出来る。帰るときに返却。
これで無事に全日程を終了。
訪れる前に書いた宣言書を返してくれた。
帰りにお土産屋に寄ったが、特に買い物はしなかった。
バスは一路ソウルへ。
いろいろと制限事項が多く、ちょっとの動作でも緊張した。
先日、新炭里方面に行った時もそうだったが、
今までに感じたことのない緊張感を存分に感じた。
参加者の中には、他の観光地と同じ感じで来てるバカタレもいたけど。。。
訪韓の際はぜひ板門店を訪問して頂きたい。
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