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父の書いたもの1(生い立ち)
『私小説』を出版するのだと言って突然文章を書き始めた父に
家族全員あっけにとられていました。
最後の年になった躁状態の真っ最中のことでした。
文章はワープロで書かれ、フロッピーと紙に印刷したものと
両方が残されていました。
少しだけ父の望みをかなえたいのと
自分自身でも興味があって
父の書いたものをアップします。
(自己満足のコーナーで申し訳ありません…)
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1.生まれたころ
昭和九年十月十五日、○○ **郎、**江の長男 として甲府市飯田町****番地にて出生。
姉が小学一年入学の時の記念写真に写っている私は三才だったのかな、
その写真が私の小さい頃の唯一の写真である。
父も母もまだ若く父はハンサムだスーツを着ている。母は和服で私の妹の**子を抱いて いる。私は戦闘帽をかぶり洋服を着てひじを椅子にかけ立っている。姉はセーラ服にラン
ドセルを背負い帽子をかぶっている、姉の入学祝いとして撮影したものであろう。
私の兄弟はみんな三才ずつ違っていたので、姉六才、私三才、妹ゼロ才、その時は父母と私と姉 と妹の五人家族であった。 父は七十二才で他界、母は八十五才で他界している。
思うに撮影は昭和十二年三月のものであろう。
当時としては恵まれた一家だったのかな、でも昭和十二年頃の社会はあまり景気の良い時代であったとは思えないが、まあ家族そろって入学祝いの写真をとるくらいだから、まあまあの生活はしていたのではないかと想像できる。
でも家は隣の大家の借家であった。
六畳と四畳半の二間の平家で、外にボットン便所、その隣が物置で塗装関係の資材が置いてあった。ペンキの臭いが何時もそこではしていた。その臭いは私はきらいではなかった。
朝、起きると水道が無かったので大家さんの井戸でギーコン、ギーコン、井戸をこいで 水を出しそれで顔を洗ったり、歯をみがいたりしていたから食事の水もそれを使っていたのだろう。
その後、弟が生まれ三女が生まれて家族が七人になった。当時は生めよ増やせよの時代であったので各家でも子供は多かった。

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