父の書いたもの1(生い立ち)
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2.小学生の頃(2)
昭和二十年七月十五日ちょうど終戦の一月前である。 甲府市はB二九の空襲を受けた。
夜中だと記憶している。当時はカヤを吊っていた。
私は枕もとに置いてあった服を誰よりも早く着ていた。カヤを漕いで窓から外をみていると、照明弾だパット空が明るくなった。
それから雨のようなものが落ちてきた。もう、焼夷弾が落ちて来たのだろう、その頃は皆んな起きて来た。私、お袋、姉、弟、妹、一番下のS子は親父がオンブしていた。
私の次 に起きたお袋はどういう訳かフトンを裏の庭の方に放り出していた。
私達、兄弟は川の方 に逃げようということになり、川の方に行った。
その頃になると市内の方から逃げてくる人達で道路は一っぱいになっていた。 リヤカーに荷物を積んで引っ張ってくる人、皆んな 川の方へ川の方へとあるいていた。歩きながら空を見ると雲の合間からB二九の機体が手
のとどかんばかりのところに見えた。
私は弟と二人で川の土手の石垣の上にフトンを被り かくれたつもりで寝ころんでいた。どいう訳か二人とも生卵子を持たされていた。私の卵子はぐちゃぐちゃとつぶれていた。
その頃は焼夷弾の雨がどんどん降って来ていた。親父 が、一番下の妹のS子をおんぶして川の中、橋の下にかくれているのが見えた。
ヒルル、 ヒルル、ヒユーンとい云う音がいっぱい聞こえていた。フトンの下から頭を出して外を見ると、まるで流れ星のような光が空をあちらこちらで見ることができた。それは焼夷弾の閃光であったのだろう。道路は市街地から逃げて来る人達でだんだんいっぱいになって来た。
夜が明けてみると逃げて来た人達が毛布にくるまって皆んなボーツとしていた。
一夜明けたその日、私達は家に戻ることにしたが妹のA子が行方不明になっていた。そ して家の中は市街地から逃げて来た人達でいっぱいになっていた。私達家族はどうするこ
ともできなかった。
その内、妹が戻って来たので、皆んな無事でいることが判明した。
近所の皆んなも無事であった。甲府市街地はこの空襲で一夜にして全焼した。

当時は家の回りは田んぼだった。その田んぼに無数の不発焼夷弾がつきささっていた。ある子供はその不発弾をいじっていて爆発して死んでしまったと云う噂が、当時ながれたも
のでした。
私達もその不発弾を拾って来ては悪戯をしたものでした。長さ約八十センチメ ートル、直径が六角形をしていて約八センチメートルぐらいでした。信管の部分にポッチ
とした出っ張りがありそれを押すか、押されると爆発して中に入っているゼリー状のもの が火のかたまりとなって飛び散ると云うものですね。悪戯をする時はその信管を外して中
に入っているゼリー状のものを捨てその筒をオモチャにしたものでした。

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