父の書いたもの2
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1.夜間高校での生活
それは私が中学校を卒業して上京してからのことになると思います。
昭和二十五年四月 、私は親戚の人の紹介で、T電気商会(江東区**三丁目)に弟子入りすることになりました。夜間高校に行けるという約束の上でのことでした。
夜間高校には後期生として入学しました。それまでは弟子入りの仕事のため遅れてしまいました。夜の教室で入学試験に臨みました。入学試験はそれほど難しいものではありませんでした。
簡単に入学を許可されました。生徒が少ない時代でしたし夜間高校とい うこともありました。その学校はT電気商会から歩いて七分ほどのところでしたので通学には非常に便利でした。都立**工業高等学校は平成十二年に百周記念になることになっています。
さて、話しを元に戻して記憶の旅を続けることにしましょう。
T電気商会では良く自転車で千住方面に行きました。工場の電気工事が主でした。私と少し前に弟子入りした、Sさん(群馬の山の中が故郷でナマリが非常に強力なも
のでした)、親父さんの従兄弟のお兄さん、あと職人のWさんでよく一緒に仕事をしました。丁稚ぼうこうの私はほとんど雑用係でした。
食事、寝起きもみんな共にしました。朝食は必ずコッペパンと、なんでしたか記憶にあり
ませんでしたが、肉体労働をする人はお腹がすくのできっと沢山食べさせてもらったものと思います。
当時、猿江公園だとか錦糸公園など今でこそきれいになっていますが、当時はうず高く積まれたオカン箱で山でした。昭和二十六年頃はまだ戦後のかたづけが済んでいなかった時代です。
相変わらず私は学校と仕事の毎日でした。二年間そこでお世話になりましたが、或る日私はそこの生活を辞める決心をしました。肉体労働がつらかったのと、サラリーマンになりたいという気持ちをどうすることもできませんでした。私の苦難の時代がはじまりました
。
当時、千代田区に学徒援護会というものがありアルバイトを紹介してくれるということを 学校の仲間から聞かされ、私はN電気にアルバイトで働くことになりました。
そこの仕事は電話交換機の部品の検査ということで肉体的にも楽なものでしたが学校までの通学が 大変でした。T電気商会を辞めてしまった私には住むところがありません。錦糸町の叔母
の家にお世話になりました。

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