父の書いたもの2
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2.就職
四年間の高校生活はあっと言う間に終わりました。
昭和二十九年三月、私は**公社の入社試験を学友のHといっしょに受けました。そのうちに電報で合格通知を受取り、社会人として、**公社の社員となり三十八年間そこでお世話にになることになった
のです。
その頃には住居の問題があり下町の亀戸にアパ−トをHと二人で借り、私はそこ から、**電話局に通いました。Hも電気関係の仕事をしていましたので、Hとは、
学生時代に方向が同じだと言う事で仲良くなり良く一緒に行動もしました。H、N、S、この三人は方向が同じという事もあり良くつきあいました。
これからの話しは長くなりますのでゆっくりと記憶をたどりながら話しを進めていきた
いと思います。
私が**公社に入社して、先ず始めたのが電話機の取替えです。
毎日毎日、リヤカ −に四号卓上電話機を積んで、三号卓上電話機を四号卓上電話機に取替える作業でした。その前に私たち新入社員は二ケ月の新入社員基礎訓練をN訓練センタ−で終了していました。四号卓上電話機はとても重たかったのです。今の六00型電話機に比べると倍以上の重さがありました。来る日も来る日もそんな日が続きました。
その仕事が終り、私は**電話局に配置されました。
最初は自転車で故障修理の仕事を していましたが、そのうちにオ−トバイが入り、毎日オ−トバイ(ホンダドリ−ム号) での仕事が続きました。
そうこうしている内に中等部(部内教育で一年間、S学園に行 く)の試験があるので行かないかと言うことになり、受験した結果、合格したので一年間の教育を受けました。全国から集まっての全寮制による訓練でした。
話は変わりますが私が**電話局に
勤務していた二年間に、私は、ドングリコと言うサ−クルに誘われました。そこでは週一 回集って、ものの考え方見方、など思想的なことをやっていました。歌をうたうったり
、若者達の考え方を育てるサ−クルに活動の一環がありました。そんなサ−クルが当時は一杯あったのです。そう言う時代でした。
職場の若い仲間は皆んな、そこに集まっていました。皆んな、あだな名で呼んでいました。デコ、チクアン、ソンキ、クロ、ポピー、等とうでした。
私はよく映画を観ましたそれも殆どアメリカ映画でした。アメリカ映画には日本の映画に無いスピード感があったからです。スリルとスピード、若い人には魅力的でした。当時
はテレビがありませんでしたからね、良い映画が近くの映画館で観られたものでした。

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