父の書いたもの3

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1.結婚

仕事にも慣れて来た頃でした。新しくM電話局が出来るので、そちらを手伝ってくれと言う事になり、M開局準備室にて働くことになりました。プレハブの事務所でした。 Oさん、Fさん、私と三人での仕事場でした。私は雑用係、パソコン、ワープロの無 い時代でしたので、ソロバンにエンピツ、集計用紙、材料調書、皆んな手書きでした。そのM電話局が開局したのが、昭和三十五年でした。私は**電話局から奇遇にも このM電話局に配属になりました。当時は電話産業の成長期でしたので沢山の仕事がありました。私にとっても青春の真っ盛りの時代でした。組合活動もしました。野球も盛ん でしたがそれは**電話局の時代でした。ブルースカイ、なんて言う名前のチームを作っ て対抗試合を良くしたものでした。私は中学時代よく野球をやっていました。手造りのグ ローブに手造りのボールなどなどで遊んだものものでしたが、N**にバイトをしているに肩をこわしてしまい、遠投が出来なくなってしまいました。
話しをもとに戻しましょう。M時代は野球はやりませんでした。よくテニスをやりました。スキーもやりましたが、弟と霧ヶ峰にスキーに行き足の膝をやってから、右足の膝がどうしても普通ではありませんでした。手術をしたのですが完全に直りませんでした。骨折の方がよかったと思いますがいたし方ありませんでした。それはまるで交通事故のようなものでした。当て逃げされた訳です。山も好きで良く丹沢に行きました。体が丈夫なのもこの頃の歩きが私の体の基礎となっているものと考えます。

私は暫くして、**のおばさん、Hの親戚に当たる人でしたが、その人の紹介で、今の妻と見合いをして、その場で決めたのです。時に彼女は二十三才、私は二十八才でした、 その頃には世帯を持ちたいという気持ちだったので、彼女は北海道の人でした。
そして手紙による交際が続き、昭和三十九年五月十三日に結婚し、江戸川区**のア パートで生活を始めました。私たちの結婚生活はごく普通のものでした。今のような住みごこちの良いアパートではありませんでした。一応新築でしたが木造モルタルの六畳一間 の狭い所で、共同のトイレ、風呂なしなので銭湯に二人で良く行きました。共同トイレはいわゆるボットン便所でした。
二年が過ぎる頃、何回も申し込んでいた公団住宅が当たり現在のこの家となっている訳です。だから最初の娘は**で生まれましたが、住まいはこの現在の団地でした。妻は大きなお腹をして**の産院に通っていました。昭和四十二年六月二十一日、長女が生まれました。ちょうど、私は出張中でしたが大きな(三千グ ラム以上)赤子でした。母子とも健在であると言うことを聞いて安心したことでした。

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