父の書いたもの3
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2.職場での生活その1
昭和四十?年三月、私は本社検査部勤務から、H電話局線路宅内課、線路係長を拝命されました。当時としては若い係長ということでした。ここでの係長は始めてのものでしたので私は気のまわらない係長と言う事で、皆さんに多大なご迷惑をかける事になる訳ですが、幸いにも次席のT君がよく気を配って課の中をまとめてくれました。私はこの年、神経症で入院しました。三ケ月間入院して、その後、半日勤務で次の局へ転勤するまで
、H電話局で過ごしました。
私は三ケ月の神経症による入院生活で、非常に良い体験 をすることができました。自殺未遂これは完全に神経症でした。こわい夢を見たという経験でした。病院の生活についてはプライベートの事なのでここでここで、触れるつもりはあ
りません。ただ言える事は神経症や精神病の人達には暖かい気持ちで接してあげることが 、一番でしょう。平常心で生活している人達には理解できない面が、ある訳です。これは日本の社会の申し子であるといっても過言ではないでしょう。
話がわき道にそれてしまいましたが、次の私の勤務地はK電話局でした。東京の外れのK局に配置して下さった方は、きっと、私の性格を考えての方針であったと思います。
のんびりとした電話局でした。柴又の寅さんの舞台も近くにありましたし、水元水郷も管内にある、静かな地域でした。線路係長としての仕事はどこも同
じで、課長の補佐役でした。いろいろありましたが三年間なんとか務めました。
私は**公社に勤めている間、だいたい三年の周期で各局を転勤していました。人をしてこれを人工衛星などと言っていますが、全部、隅田川から東の墨東地域で
したので、通勤に不自由はなく平穏な、 サラリーマン生活の毎日でした、家庭でも子供達
はそれぞれ成長して行きました。
長男は昭和四十七年七月十八日に生まれました。長女と 五ツ違いでした。長男は**の産院で、クーラーの入った産室で誕生、姉もすくすく と育っていました。これで私の家族は四人になりました。
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