父とともに

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 1.兆し

その年の家族旅行は南紀白浜でした。
父が会社を定年退職した年(それはわたしが大学を卒業して就職した年でもありました)の春休みに何年ぶりかで家族旅行をしたのをきっかけに、毎年家族で旅行をするのが恒例となっていたのです。
みんなの休みがとれる5月の連休に行くのがいつものことでした。
家族で行くといってもわたしは札幌、両親は千葉、そのころ学生だった弟は京都に住んでいたのでまずわたしが千葉へ帰り、そこから車で私と父と母が京都の弟の家まで行き、京都から弟の運転で和歌山へ向かうというちょっと面倒なスケジュールを無理やりこなしていました。
京都までは父と私が交代で運転しました。渋滞をさけて深夜に走るため高速道路は大型トラックでいっぱい…途中眠くなるし、父の車はカセットやCDデッキがついていないため音楽を聞くこともできず、運転は泣きたいほどつらかったです。
カセット聞きたいなあ…というと父は珍しく「カセットデッキつけるか。」と少し積極的なことを言いました。来年はカセットテープが聴けるかもしれない、そうなったらずいぶんいいのになあと思いました。
白浜では父の会社関連の保養所に泊まりました。部屋が広く窓から海が見えて気持ちのいいつくりでした。みんなで部屋をほめると、父はちょっとうれしそうにしていました。
私たちは「円月島」と呼ばれる、中央に丸い穴のあいた島が見える場所で写真を撮りました。いつもの年のように、来年はどこに行けるかしらね、といった話をしながら旅行は終わりました。

帰ってきてしばらくしてから父から旅行の時の写真が届きました。円月島で撮った写真でした。父が旅行の写真を送ってきたりしたのそれが初めてでした。さらに手紙の中で、「写真をもっと大きく引き伸ばすといいのに。人が豆粒みたいに小さく写っている。もっと大きくできるんだけどお母さんがしなくていいと言ったから…」と意見を述べていました。写真を焼き増しして送ってくれただけではなく、もっとこうしたらなどと考えたりするのは、今までの父とはどこか違っていました。
頭のどこかで何かがひっかかりました。
やがて父から手紙が頻繁に来るようになりました。1日おきのようにくる手紙の内容はとりとめのないことで、「今会社にいるよー。昼休みだ。」とかそんなノートの走り書きのようなものでした。文字は踊るような早さで書かれていて、わたしは父はいったいどうしてしまったんだろうと不思議に思いました。
それが躁状態というものであることはもっとたってからわかったのです。父がうつ病を持つ人であることは母から聞いて知っていましたが、躁状態というのは聞いたことも見たこともなく、母がいうには初めてのことだったそうです。
あっという間に起きてしまった変化にわたしはどう対応したらいいのかわかりませんでした。

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