わたしが生きていること

大切な人が自殺を考えていたり自殺してしまったりするのはとても悲しいことです。
できることならもうだれひとりとして自ら命を断つことがないようにと思います。
けれども誰かに生きていて欲しいと願うとき、自分がどうして生きているかということにも向き合うのではないかと思います。
はじめこの答えはとても難しいと思いました。人がなぜ生きているのかというような問題は、哲学者や思想家といった人たちがとても時間をかけて考え、さまざまな答えを述べているものだと思うから…。
でももしかしたらそんなに難しいことではないのかもしれません。なぜ生きているのか知らなくても、わたしは生きている。まわりを見ると、木や草や花や小さなものたちが生き生きと命を輝かせている。
わたしは生きているのに、理由はいらないのではないかと思いました。自分は自然の一部のように感じます。 それからまた、命がつながっていくことも感じます。父と母がいて自分がいる。でも自分はたくさんのほかのものに支えられている。自分だけではなく、世界全体、宇宙全体がひとつのつながった命のように感じます。遠い昔からつながっていたものが自分の後にもとぎれることなく続いていく。わたしは多分、宇宙の中の一部です。

それからわたしは、生きているのに理由はいらないけれど、命を輝かせる何かが人には必要なのかもしれないと思い始めました。何かの事情で命を輝かせることができないとき、生きていることは苦しいものになると思います。そしてそんなふうに命を輝かせることをできなくする事情が、世の中にものすごくたくさんあるのです。
そのたくさんの悲しいことを全然考えることなしにただぴかぴかと輝いているなんて、きっとできないことでしょう。 命を輝かせるものが何なのか、輝かせなくしてしまうものは何なのかを、わかりたいと思いました。
それがちゃんとわかるときが来るのでしょうか。今の私には、何もかもが漠然としたままのようです。

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