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今年(平成11年)の8月から10月にかけて『やさしい精神保健講座』という講座に参加しました。全部で10回の講座の中で、いろいろなことを学び、感じました。そのときの感想を書いてみます。
講座を受けようと思ったきっかけはいくつかある。ボランティアというものに興味があったこと、でも講座などは平日の昼間に行われるものがほとんどで、たまたまこの講座は夜間だったので「これならいける…」と思ったこと。さらに”精神保健”という名前がついていたことで、ふつうのボランティアとは何が違うのだろう、どんなものなのだろうと知りたい気持ちが強かったこと。また純粋に心に障害をもつ人と接する機会が欲しいと思っていたことなどである。
第1回の講座に出席してはじめてこの講座が主に「精神分裂病」の障害のことを扱うものであることを知り、少し複雑な気持ちだった。
どちらかというと精神障害のなかでもわたしは「うつ病」や神経症などのほうに強く関心があったから。けれども精神分裂病のことは自分にとって関わりがないのではなく、むしろ「うつ病」の次に関わりをもっているものだった。わたしの叔母(父の妹)は精神分裂病をもつ人である。
その話をきいたのは父が亡くなったあとのことで、わたしはそのころには少し障害に関して勉強していたことと、叔母のことは小さい頃から知っているしいつもあたりまえに接していたので病気があることをきいて特別なにかが変わったわけでもなかった。
講座に参加して回が進むに従ってもやもやとした疑問が自分の中におこってきた。
精神保健の流れや作業所・デイケアの活動内容、共同住居というものがあること、当事者や家族の思い、医療に携わる方からのことば…いろいろな話をききながらますます疑問が強くなっていく。
作業所・共同住居の体験訪問を前にして、グループディスカッションがあった。
訪問を前にして、疑問に思うことや質問したいことをみんなで話し合うものだった。けれどもわたしはほとんど何も発言できなかった。同じグループになった人たちも同じような気持ちらしかった。
ディスカッションはしばしば時間をもてあまして、まわりのほかのグループの人たちが何か思うところを話し合っているのをどこか遠い声のようにきいていた。
何を話していいかわからなかった。
わたしたちは調査しに行くのでも治療をしにいくのでもない。
あたりまえに訪ねていって、あたりまえに話をしたいだけだった。
いくら想像してみても、初対面の人たちに対して親しげに会話をする自分など浮かんではこなかった。それでディスカッションの時間はなんだか苦痛な気持ちがした。
体験訪問は作業所と共同住居へと半日ずつ行ってきた。
作業所では封筒作りと、パンをつくる作業を手伝った。お互い作業にすっかり夢中になって、あまり話はできなかった。
共同住居ではサポートをしている病院の方からこまかい説明を聞いたあと、居間に大勢で集まってとりとめのない話をした。毎日どんな風にしているかなどの話を大笑いしながら楽しそうに話してくれた。
「ボランティアに望むことはなんですか。」という質問が出た。
集まった人たちはすこし顔を見合わせてから、いちばんにぎやかだった人が「いらない」とひとこと言った。
それは、『今病院の人たちはとても細かく面倒を見てくれているし困ったことはないかといつもきいてくれる。
友達もこんなにたくさんいる。わたしたちはとくに何かお手伝いしてもらう必要は「いらない」 』という意味なのだろうとすぐにわかった。
わたしたちはそのあともにぎやかにおしゃべりの時間を過ごして帰ってきた。
帰ってきてやはりわたしの中では疑問がむくむくとしていた。
わたしたちのしようとしていることはなんなのだろう。
作業所でも、共同住居でも手助けが必要とされるような雰囲気はどこにもなかった。
みな明るく満足して過ごしているようにみえた。
精神保健ボランティアっていったいなんなのだろう。
次の講座はフリーディスカッションの時間だった。
ひととおりみんなが行ってきた場所の報告などをしたあとわたしはとめられなくなって自分の疑問を口にした。
「ボランティアっていったい何?」
するとたくさんの返事が返ってきたのだ。
「あたりまえに接することじゃないかな。」
「特別なことをなにかするのではなくて、毎日日常で困っている人を見かけたら手を貸してあげたり、障害があることで差別をしたり偏見を持ったりせずに接するとか、そういうことなのでは。」
「ここで勉強したことを家へ帰って家族に話して、理解してくれるひとを増やしていくことも、そうなのかな」
「いつかみんなが自然にそういうことができて助け合って生きていける社会になったら『ボランティア講座』なんてしなくてもよくなるのかもね」
どれも「そうだ、そうだね。」って言いたくなる言葉だった。そしてわたしは自分の出しただだっ子みたいな質問にみんながすごく真剣に答えてくれたことがうれしかった。こんなふうに意見を出し合えることがうれしかった。
そうなのだ。心の障害についてこんなふうにみんなで何も隠さずに意見や疑問を話し合える場所があったということだけでもすごいことなのではないか。
最後の日は全員が名前を呼ばれて、「修了証書」をもらった。
わたしはなんだか学校の卒業式のように感動してうるうるしていた。
終わりははじまり。
講座は終わったけれど宿題はたくさんある気がする。
決まった一つの答えがあるのではなく自分の意志で考えて、行動して答えをみつけていくもの。
ひとりではとっても難しいと思うけど、ここで仲間に会うことができたから、がんばっていけそうな気がした。
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