わたしたちの町に

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参加しているメーリングリストからこんな連絡が届きました。

私の知り合いの精神障害者のグループホームで重大な問題が発生しています。
要旨を**さんのHPにアップしていただいていますので御覧の上、御協力願えれば幸いです。フォーマット部分をプリントアウトして、連絡先にFAXして下さい。
よろしくお願いいたします。

のっていたアドレスへ行ってみると、東京のある町で初めての精神障害者のグループホームができることになったが、市民の反対運動が起きて移転計画がすすめられているという話でした。

なんということ…。

わたしは「我邦十何萬ノ精神病者ハ実ニ、此病ヲ受ケタルノ不幸ノ外ニ、此邦ニ生マレタルノ不幸ヲ重ヌルモノト云フベシ」ということばを思い出しました。

『精神病者私宅監置ノ実況及ビ其の統計的観察』という本の中で呉秀三教授が述べたことばです。この本が出された大正7年は、日本には「精神病者監護法」という法律がありました。
精神障害者は社会の秩序を乱す危険な存在として、警察の監視の下に親族で面倒を見ることが義務づけられていました。
そのため「私宅監置」(自宅の物置などに精神障害者を閉じこめて家族が食事などの世話をする)といったことが多くおこなわれていたそうです。
呉教授の告発によって法律が改正され、「精神病院法」という法律ができました。
この法律によって、精神障害者が医療の対象として位置づけられました。でも実際は公立精神病院の設立が進まなかったために「私宅監置」はその後もずっと続けられていたのです。

時代と共に世の中は変化し、法律も変わりました。
平成5年の「障害者基本法」、平成7年の「精神保健及び精神保健福祉に関する法律」などの法律で、精神障害者は「長期にわたり日常生活または社会生活に相当な制限を受ける障害者」としてとらえられるようになってきています。
障害による生活上の困難を支援する”福祉”の対象とされるようになったのです。

ちょっと難しいですが精神保健にはこういった流れがありました。
わたし自身もはっきり理解できているわけではないです。
「こころの医者のフィールド・ノート」(中沢 正夫)、「やさしい精神保健講座」の資料を参考にしています。またここで使われている精神障害は主に精神分裂病のことを表します。

「精神障害者は危ない」「なにをするかわからない」といったことばをよく聞きます。
けれども正常といわれている多くの人が、犯罪を犯してはいないでしょうか。
精神障害者であっても、そうではなくても人は同じだと思います。
ボランティア講座の中で、わたしたちは”町で障害を持つ人をみかけない”ことをよく話題にしました。医療制度が確立されていく中で、障害を持つ人々は「施設」に収容され、社会と切り離されていったのではないかと。。
精神障害は治っても再発しやすい性質があります。病気になる前と同じような生活ができるとはかぎらないのです。そこでグループホームや共同作業所(正確には授産施設というのかな)などが必要になります。
このような施設ができることに対して「この町に建てるのは反対だ。」などという声があがるのはとても悲しいことです。わたしはそう考えます。
みなさんはどう感じるでしょうか。

★この文章をアップしたのは2年くらい前のことです。考えが足りない部分がたくさんあります。自分はこういう正論みたいなものを振りかざすところがあるなあとあらためて思います。
このとき起きた反対運動はごく自然などこにでもあるものだったと思います。反対運動はチャンスでもあるのでしょう。いろいろな人の考えや利害を表現し、多くの人に知ってもらうことができます。何人かの人はそれについて考えをめぐらせたと思います。グループホームが近くにできるってどういうことなんだろう、自分たちにどんな影響があるのだろう、グループホームってなんだろう…。あるいは何も考えなかった人もいるかもしれません。このグループホームは今どうしているのだろうと思います。苦労してできたグループホームは、喜びとなったのではないでしょうか。べてるの家を見学したあとの私の感想です。[27.July.2002 追記]

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