ふうの日記

1999年5月

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1999/5/27(木)

今の気持ちは明るくない。さっきまでは「不安」を感じていたが、今は沈んだ気持ちで 少し落ち着いている。
気持ちが沈んでいるときは、何を見ても、聞いても悲しくとらえてしまう。
そんなふうに感じることはないのに、と思っても心がそういう色になっている時は、 なかなか物事をそのまま見ることができない。ゆっくりその気持ちが過ぎていくのを 待つのみである。

「犬を飼いたい。」といつも思っていた。ねこも好きだけれど、いっしょに散歩したり できる犬がいたらいいなあと思う。父に「犬、飼いたくない?」と聞いたことがある。 父は「犬は死んでしまうからねえ。」と言った。小さい頃、飼っていた犬が死んでしまって 悲しい思いをしたという。そんなことを言って、父は亡くなってしまった。勝手な人だ。
わたしはいつか犬を飼いたい。犬の寿命は人より短いから、きっとその死に出会うの かもしれないが、それでも生きている間に過ごした楽しい時間は、いっしょにいなければ 味わえなかったものであるように思う。



1999/5/26(水)

課題(応用英語のことです)をやっている時に、『landmark』ということばがでてきた。 わからなかったので辞書を引いてみたら、”1(航行や旅人にとっての) 目じるし,陸標. 2(土地の)境界標識.3きわだった特色[部分],画期的な出来事;歴史的意義のある建物.” と出ていた。 わたしはこの言葉をみたとたん、自分が旅の途中で道に迷ってしまっている様子が 頭に浮かび、そして、そのとても困っている瞬間に「目じるし」を見つけて目の前がぱっと明るく なる気持ちを味わった。たったひとつのことばが、これだけのことを味わわせてくれる なんてすごい。
実際その単語は3の”歴史的意義のある建物”という意味で使われていたのだが、 わたしはひととき明るい気分にひたっていた。


1999/5/23(日)

やっと「心理学概論」のレポートの清書が終わった。
文字数制限と謎のキーワードもなんとかクリアして封筒を閉じて・・・。 やれやれと思っていたが、「課題報告集」を読んでいて、『課題の表現そのものを 教科書の中から探し、みつかると、その部分を抜き書きしているのが多いようです。』 ということばが目に止まった。
うわー。どうしよう。わたしのレポートはまさにほとんどそれである。教科書に ないキーワードにぶつかったときだけ別の本を借りてきて、結局表現を写していることに は変わりない。もしかして「不可」だったりして・・・。
なんとか通ってくれるように祈りつつ、次の敵「応用英語」に立ち向かう。少し前から 辞書を引き引き読み始めているのだが、読むより辞書を引いているほうが断然多い。 やる気が出ないでいるところへもってきて、ねこがテーブルの上にのっかり、教科書の上に 座り込む。何度どかしても座り込む。やる気はさらに無くなる。
ねこが寝るまで勉強はおあずけにしよう。わーん。キーボードの上歩かないで!


1999/5/20(木)

少し悩んでいる。 「仕事」と「心理学の勉強」と、両方こなしていくことに不安を感じている。 どちらも片方をきちんとやるだけでも、けして簡単なことではない。両方 やろうとするのなら、それなりの努力をしないとならない・・・はずなのだ。 でも自分はというと、以前とあまり変わっていない。 両方なんて、欲張るのが間違ってるんだろうか。わたしの苦手な『優先順位』 をどちらかに付けなければいけないときがきてしまったのだろうか。
・・・とここまで考えてから、どっちが大事とか、そういう問題でもない気が してきた。仕事と両立したいからとわざわざ通信教育を選んだのである。 少し欲は張ってるけど、張りすぎというほどでもない。 今わたしが悶々としているのは、どちらにも充実感を感じられずにいるからだ。 どうしてかというと、会社にいるときには勉強のことを考え、勉強をしている ときには逆に仕事のことを気にしてしまったりしているのだ。
そんなんでは、どっちもうまくいくはずがない。とりあえず、会社にいるときには 仕事に集中してみよう。勉強しているときには仕事のことを考えないように しよう。すっごく当たり前のことなのだけど。わたしにはこのへんが課題なのかもしれない。


1999/5/16(日)

自分の気持ちに変化が起きていることがわかる。 わたしは父が亡くなったことを悲しんでもいいのだと、今は思っている。 もしわたしに何か責任があったとしても、そのこととは別に、父が死んでしまった のは悲しいことだ。悲しんでいいのだ。
わたしは父に拒否されたような気持ちがしていた。わたしを含む全世界を父が拒否した ように感じていた。もしかしてある瞬間はそうだったのかもしれない。 でもいつもそうだったわけでは、ないのだ。父はだいたいにおいて、わたしを愛してくれていたし、 わたしも父を愛していた。だから悲しんでいけない理由なんて、ないのだ・・・。 どうしてこんなふうに思えるのか、よくわからない。頭で思うと言うより、 ただそう感じる。頭ではずいぶん前からそんなふうに考えようとしていた。 でも、心がそれを受け入れるのは、ずっと時間のかかることだった。


1999/5/14(金)

今週はスケジュールが詰まっていて疲れた。 (月曜日から札幌に戻ってきている) 今日で講習会weekが終わってとってもうれしい。きのうは後半多分 キレていた。思い出したくもないような講習会をしてしまった。 今朝になって妙にエネルギーの低い状態の落ち着きが出て、今日は思ったより ひどいものにならなくてすんだ。なぜだか涙もろくなっている。朝から 少し考え事をしてうるってしまったし、帰ってくる途中も不安定な気分。 そんな中で最近まわりの方々のHPに刺激されて自分のところも少しずつ 直しはじめてみた。
始めの頃は文字がちゃんと表示されたり絵がでたりするだけですごーい!! と思っていたものだ・・・。今でも基本的にはあまり変わっていないけど。

最近人のやさしい気持ちに感動することがしばしばである。自分の心がいかに 狭いかを実感する。人って不思議な生き物だ。ものすごくやさしくもなれるし、 多分ものすごくわがままにもなれるんだろう。


1999/5/9(日)

この時期にこちら(千葉)へ帰ってくると、環境の変化に適応できず、アレルギーが出る。 わたしはアトピーと、 ねことハウスダストにアレルギーをもっている。
ねこ?飼ってるのに? そう、飼ってからわかったことなので、しかたがない。 それほど激しいものではないので、薬で調節 している。(そのかわり毎月薬代がかかる。こういうことをしているから 変わってる。またはがんこもの、といわれるのだと思う)実家に帰ると ねこがいないため、あまり起こらない。昨日は起きちゃったけど。
アトピーはなんだかよくわからないが、環境が変わったときとか、体力的にきついときにあらわれる。 薬があればかなり抑えられるけれど、今回は薬を忘れてきた。 それで日に日に、顔がはれぼったくなっていくのを実感。あーなんで 忘れちゃったんだろ。あしたまでの辛抱だけど、普段の状態に戻るには けっこうかかる。去年もそうだったから。

父の死という事実に関して、わたしは長いこと、自分がどういう感情をもって いいのかわからなかった。父の病気のことや、去年の夏から今までになく調子が 悪くなって入院(任意の)したことに、もっと注意してよかったのに、それを しなかった自分に、責任があると思う気持ちから逃れられなかった。 悲しむ?何もしなかったくせに?悲しむ権利なんかわたしにあるのだろうか。 でもそういう気持ちを人に話して、「自分を責めないで」とか言われることは もっと恐ろしかった。だから話せなかった。
今、ここに書いたということは、少し自分の気持ちが変わってきているのだと 思う。


1999/5/8(土)

水曜日から実家へ帰っている。 まさに初夏という感じ。外へ出ると木々の緑がまぶしい。 家にいるとほんの少し家事の手伝いをするほかは、マンガか本を読んで 過ごしている。京都に住んでいた弟が学生生活を終えて家へ戻ってきている ので、今は一部屋がまるまる弟のマンガと本とCDとNBAのビデオと スポーツ雑誌で占領されている。始めて見たときは気を失いそうだった。 家が沈んじゃうよ・・・。
文句を言いながら、いつもちゃっかりおもしろそうなものは読ませてもらって いる。今回は日渡早紀の「未来のうてな」(1〜11)を読み終わった。「ぼくの地球を 守って」より、さらにおもしろかった。「愛」について少し考えた。 ふだん、誰かを愛したい、とか愛されたい、とか願うときがある。でも、多分本当は、 ちゃんと誰かに愛されているし、愛してもいる。けれどそのことに気付くのは難しい ことだ。すごくすごく、難しいことかもしれない、と思った。


1999/5/4(火)

父の夢を見た。前は見たいと思っても、ぜんぜん出てきてくれなかったのに。 すごく自然に家族みんなと一緒だった。5月の連休は家族旅行をするのがここ数年の 習わしになっていた。
起きてからぼおっといろいろなことを思い出して過ごした。
父は30年間、病気とちゃんと闘った。わたしだって、ちゃんとがんばれる。


1999/5/2(日)

人の声が好きだ。声というか、歌声が好きだ。歌声の中でも、 声と声がハモるときが一番好き。楽器の和音もいいけれども、声の場合に もっとも気持ちいいと感じる。それで大学の途中までは合唱をやっていた。 合唱が一番楽しかったのは、高校生の時かなあ。
歌を歌っていて、忘れられない経験がある。毎年年末に「市民の第9」という催し があって、初めてそのステージで歌ったとき、オーケストラを聴きながら気持ちが 高まっていき、最初のベースのユニゾンが始まったときに、頭の中がスパークした。 感動が、わたしの許容範囲を超えたような気がした。音楽で、これほど感動したのは それが初めてだった。演奏が終わって家へ帰ると、友人から電話があった。
「良かった。すごく。」と言われた。あ、この人もそう感じたんだ、と思ってうれしかった。 なんでこんな昔のことを思い出したんだろう。今聞いていたのはビリー・ジョエルなのに。
その友人とはもう何年もあっていないけれど、ときどき突然電話が来て びっくりしたりする。こんなわたしのことを忘れないでいてくれることがうれしい。


1999/5/1(土)

わたしはパソコンのトラブルサポートの仕事もしている。 (こう書くととても詳しい人みたいだが、「仕事」として それをしているだけで、実際はあまり詳しくない。)
よく「パソコンがおかしくなった。」と電話がくる。パソコンは 「おかしく」なんてならない。と、いうかパソコンに関する 「どこか」が「おかしく(正常に働かなく)」なっているのであって、 「パソコンがおかしい」というのは、省略のしすぎだ。(と思う。) 「どこか」は、物理的に何かの線が抜けていたり、プログラムファイルが 壊れていたり、マシンのメモリが不足していたりすることで、それを 直してあげるとマシンはきちんと動くようになる。 でもこの「どこか」の見当がつかないときは、自分もパソコンは「おかしく」 なるものだと思っていた気がする。
今、精神障害に関する一般向けの本を読んでいて、パソコンの場合に少し 似ていると思った。もっとずっと複雑だけれども。 病気によって、感情障害があったり、思考障害があったり、 コミニュケーションに問題があったりしても、それはその部分にトラブルが あるだけで、その人が「おかしく」なっているわけではない。 そうか、そうなんだ。ふうの旅はまだそんなところをぶらぶらしている。

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