卒業研究(卒論−その2)

卒業研究提出許可証をもらうまで

卒業研究の提出許可証をもらうまでには、「卒業研究作成の手引き」によると、面接指導を2回以上、通信指導を3回以上、合計5回以上、指導を受けることが望ましい、とあります。
初めての指導は、面接指導で、このとき担当の先生と話して、研究の進め方、論文の書き方についてだいたいの方針をたてることになります。

研究といっても、実験や、調査を行ってデータを取って統計的に処理をするような研究や、私がやったような文献を読んでまとめる文献研究など、研究によって、いろいろ違ってくると思います。私は文献研究だったので、ひたすら関連のある分野の本を読んで、基礎的なことを学んだり、自分なりに理解したり、という作業でした。
初回の面接指導の後、章立てをひととおり考えて、10月ごろ、先生に一度章立てを通信指導で送りました。
そのあとは、本を読んで、使いたいと思う場所を抜き出して書く作業を延々繰り返しながら、論文そのもののほうはほとんど進まず、残っていた科目をとることでせいいっぱいになっていました。その年度内に、結局必修科目が取り終わらないことがわかって、論文そのものもほとんど進んでいなかったので、卒論の提出をその年の3月にすることはあきらめました。そして、せっかく1年延ばすのなら…と、土曜スクーリングの「心理学実験」をとることに、してしまいました。心理学実験は、とても私にとって、役に立った、意味のある科目でしたが、これをとったために、再び卒論はほとんど手をつけないまま持ち越されてしまいました。心理学実験を先にとっていたら、実験や調査を行う卒論に取り組めたかも…と思うこともありますが、やっぱり、難しかったかも、とも思います。
卒論が進められなかったのは、私の中のテーマ(問題意識)が、明確ではなかったといえるかもしれないし、範囲が広がりすぎていた、ともいえるし、このテーマで、どんな結論が出せるのだろう、たぶん出ないのではないか、と思うような、研究計画の時点で問題があったような気がします。けれども、そうは言っても、そのテーマで取り組むことはとてもおもしろくて、関連のある分野の本を読み始めると次々出てきて、つながっていって、研究過程そのものは、かなり楽しんで進めていた気がします。一方、論文として形にならないことのあせりもあり、楽しみながらも、苦しい2年半でした。
心理学実験が2004年の1月に終わって、あとは卒論を出すだけという状態になりました。のばしのばしにしていた、卒業という課題に、取り組むときが来てしまいました。自分なりに、「(2004年の)9月に卒業しよう」という目標を立てていましたが、心のどこかで、ほんとにできるのだろうか…(まだ、しなくてもいいのでは)という気持ちがずっとありました。
最初の面接指導から2年近くたって、2004年の5月に、久しぶりに、2度目の面接指導を受けました。そのときに、中身はなんとか書けてきたけれど、最後のまとめをどうしていいかわからない、と先生に相談しました。いろいろ話をしてから、先生は「これとこれを読んで、とりあえずまとめてごらん」といって、本を2冊、紹介してくれました。実際、そのとおりにはならなかったのですが、2冊の本を読むうちに、なんとなく、まとめ方の道筋のようなものが、見えてきた気がしました。先生と、話すことはすごく私には重要でした。必ずしも、そのときお互いの話が一致しているとは限らないのですが(実際はすれちがっていることも多かったのですが)、すれ違いの部分を後で考えたり、自分の考えをどうして説明し切れなかったのか、考えているうちに、今までと違う視点から、まとめることができたりするのでした。
いよいよ7月の卒論研究提出許可願い締め切りまであと1ヶ月、というときになって、私はとても激しいあせりを感じました。あと1ヶ月なんて、できっこない、無理、という気持ち。とてもできない、やりたくない、と逃げたい気持ち。ほんとうに、闘う相手は、自分自身でした。落ち着いて、だいじょうぶだから、まだ時間はあるし、内容をそんなに大きく広げなければ、今書けることでまとめれば、できるから...
今、書けることを書けばいいのだ、自分にできないことをする必要はないのだ、といい聞かせることで、落ち着いてきました。7月15日(卒論提出許可願い締め切り)の直前に、面接指導を申し込んで、初めの計画より後半の内容を削った形で、提出しようと思っていることを先生に相談して、先生はあまり賛成ではないようでしたが、「できるだけやってごらん」と言ってもらって、提出許可願いを出してきました。

'04/08/16

つづく...