クールなヘルパー

アメリカ制作のTVや映画でよく見かける学校生活。やたら教室移動が多いように思いませんか?ちびくまの通うW小学校も例外ではありません。アートの時間はアートの部屋へ、図書の時間はライブラリーへ、昼ご飯はランチルームで…、と低学年のうちから毎日何度も教室を移動します。

日本ならこれを引率するのは担任の先生の仕事ですが、W小学校では、上級生が当番でこの役にあたります。ちびくまのいるプリスクールクラスも、体育の時間や、図書の時間といった、障害児保育専門でない先生が指導する時間帯には、どこからともなく小学生のお兄ちゃんやお姉ちゃんたちが出てきて、助手の先生の指導の下、子供たちのヘルプをしています。日常的に大きい子が小さい子の面倒をみる、という場が与えられているのです。私たちがアメリカに対して抱いているイメージからすると、ちょっと意外な光景かもしれません。

プリスクールの教室の移動は、小学校の授業中が多いので、上級生のヘルプはつきません。その代わりにクラス内でできる子(普通児)ができない子(障害児)の手助けをすることが再々あります。先生たちはこれを「ヘルパー」または「パートナー」と呼んでいて、「○○、今日は△△のパートナーになってね」と声をかけます。ヘルパーの子は手をつないで、相手が横道にそれないように、ころばないように、と気をつけながら助手の先生に付き従って教室を移動するのです。

毎日の始業・終業時、バスの発着所から教室まで、教室からバスの発着所までの移動は、やはりヘルパーの出番です。親が車で送り迎えをする場合も、原則としてバスの発着所で子供を受け渡すことになっているのです。最初の頃は、子供たちはヘルパーを言いつけられても、相手をどう扱っていいのかわからず、引き摺ってしまったり、手を繋ぐのをいやがったり、ということがよくありました。でも、およそ1年が経った今は、先生が言いつけなくても、「今日ぼくは○○のヘルパーをする」と殆どの子が自分から申し出るようになりました。

先日、バスの発着所で、もう1台来るはずのバスを待っていた時のことです。5才のマイクとエヴァンがケンカを始めました。特に仲が良い訳ではなく、どちらかと言えばお互いをライバル視している感じの2人です。どうしたことかと耳をそばだてて聞いていると、「ぼくがちびくまのヘルプをする」「いや、今日はぼくだ」「ぼくの方がちびくまのヘルプがうまい」「ちびくまはぼくの友達だ」「ぼくは毎日ちびくまと同じバスに乗っているんだ」なんと2人はどちらがちびくまのヘルプをするか、どちらがちびくまと仲が良いか、で揉めていたのでした。

当のちびくまは彼らがもめていることすら解らず、ただニコニコと手を繋がれているだけです。いつもよく面倒を見てくれるマイクもエヴァンも好きなことは彼の仕草や表情でわかりますが、果たして「友達」という概念すら彼の中に育っているのかどうか…。そのちびくまが「どちらの友達か」ということで、障害のない子供2人が大真面目にケンカしている、そのことになんだかジーンと目の奥が熱くなってしまいました。

障害のあるなしで子供を区別しているのは、大人だけなのです。障害のない子に「面倒を見てもらっている」「遊んでもらっている」と考えてしまう私も、ハンディキャップゆえに自分の子を低く見ているのかもしれません。障害のある子への差別は作られるもので、元から子供の中にあるものではありません。よく、「障害のある子とない子が自然に触れ合ってゥvという表現がされますが、それがことさら取り上げるべきことである方が何かオカシイ。

後でマイクに話しかけてみました。「いつもちびくまのヘルプをしてくれてありがとう。ちびくまは自分では言えないけど、とてもあなたのことが好きよ」と。マイクは「ぼくもちびくまが好きだ。友達だから」そう言ってちょっと照れたように笑って見せました。「それにぼくはビッグ・ボーイ(お兄ちゃん)だし。ビッグ{ーイが小さい子の面倒を見るのはとってもクールなことなんだ」

「ビッグ・ボーイ(ガール)」「クール」アメリカの子供がよく口にする言葉です。「クール」というのは日本語とはちょっとニュアンスが違って、「かっこいい」「イケてる」というところでしょうか。困っている人を助けることはかっこいい、小さい子の面倒をきちんと見るのはかっこいい、どうかこの子供たちがいつまでもそう思ってくれますように。2列縦隊で教室へ向かう子供たちの後ろ姿を見送りながら、そう思わずにはいられませんでした。


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