ハッピーバースデイ


9月に新学期が始まってから、私はちびくまのクラスを見学することがこれまでより増えました。
見学、といってもただ隅っこで見ている訳ではなく、子供が課題をやる手伝いをしたり、自由遊びの相手をしたり、教材制作の手伝いもします。助手のそのまた助手、というところでしょうか。
たった6人のクラスとは言え、自閉(ちびくま)に、素人の私でさえ気がつくほどの言語障害とADHD、おそらく1人を除いては皆が障害を持つ子です。そのうえ、6人のうち4人が新入生。
学校になじんで、先生の言うことに従えるようになるには、まだ少し時間がかかります。
先生に助手2人でも手が回りかねるような事態を時々目にすると、ちびくまを学校に送っていったまま、「さあ、ここからはあなたの仕事」と引き渡してくるのは、なんだか気が引けるのです。

もっとも、手伝っているつもりなのは私だけで、他のスタッフにしたら迷惑なのかもしれません。
ですが、L先生の子供への取り組みはいつ見ても何か新しいヒントがあるし、「学校であったことは当然おかあさんも知っている」と思っているちびくまへの家での対応にも役立ちます。
何より「あなたは素晴らしいお母さん。いつ来てくれても私たちの取り組みのヒントになるわ。いつでも好きな時に来て、好きなだけクラスにいてちょうだい」と言ってくれる、L先生の言葉が、時に落ち込みかける心の、大変な支えになるのです。
去年度から月に2、3度はクラスを見学してきている私は、先生のやり方もだいぶわかってきて、いちいち指示を受けなくとも、どういう子にはどういう対応をすればいいのか、おぼろげながら飲み込めてきています。それを知っている先生の方も「あ、○○にプランニングさせて」「ちょっと○○を見ていてね」と気軽に頼んでくれるので、身の置き所がないような気持ちにはならないですみます。

年度初めは大変なのがわかっているためか、学校常駐のセラピストたちも空き時間には教室に手伝いにきています。
去年度から毎日ちびくまを送ってきて、教室にもしょっちゅう顔出ししていた私は、セラピストたちともすっかり顔なじみになっていますが、彼女らにも、「あれ、ちびくまのママ、毎日来てるの?」と言われるくらいになってしまいました。
「さすがにやりすぎかな〜」なんて思っていた、先日のことです。

出かける支度に手間取って、学校に着いた時には、集合場所にはもう誰も残っていませんでした。それで、 ちびくまを直接教室まで連れて行きました。
教室では丁度最初の「サークル・タイム」が始まったところ。「サークル・タイム」には、今日は何月何日、お天気は?、今日のスケジュール、出席確認、遊びのプラン、歌やお話を通じて、園での日課と、その時のトピックへの導入が行われます。
去年初めてこの教室に来た頃は、「サークル・タイム」の間、他の子たちと一緒に座っていることができなくて、助手のローラさんに羽交い締めにされて、大泣きして暴れていたちびくまですが、今では一人で座っているし、カレンダーの読み方や、スケジュール表の読み上げなどでは、前に出て、クラスをリードできるまでになりました。
以前は見ているのが辛くて、よく半泣きになっていましたが、最近では、うまくできた時のちびくまの得意そうな顔を見るのが楽しみで、毎日のようにこれだけは参加しています。

でもその日は、学校のスピーチセラピストから出された宿題(ちびくまの語彙チェック)に添えるメモ書きを書く必要があり、サークルには入らず、教室の隅で先生の話すのを聞いているだけでした。
すると、ひととおり、いつもの手順が終わったところで、先生が私に声をかけました。
「ねえ、ママ、今日はこれからちょっとスペシャルアクティヴィティーをする予定なの。手が足りないから、子供たちの中に入ってくれる?」
「オブ・コース」私は子供たちの円座に加わりました。先生たちが歌いはじめます。

♪きょうは/だれかの/とくべつなひ/
すてきなだれかの/おたんじょうび♪

なんだ、そうだったんだ。このクラスでは、日本の幼稚園のような、「お誕生会」のようなことはしません。でも、誰かのお誕生日には、その子は「その日のプリンス(プリンセス)」として、先生お手製の冠をかぶせてもらいます。そして、先生が用意した、小さな小さなケーキに立った、1本だけのろうそくを吹き消すのです。あと、「お誕生日の宝物箱」から、目をつぶったまま、ひとつだけ小さなオモチャがもらえるのです。みんなで、「おめでとう」を言って、それでおしまい。その日のおやつは、その子のママがみんなのために用意する決まりです。キャンディ2、3個とか、シール1枚とか、ささやかな「お誕生日でない子へのプレゼント」を配ることもあります。シンプルなシンプルなお祝いです。

♪いったい/だれの/おたんじょうびかしら/
このへやにいる/だれかさん/
さあ/めをつぶって/
おたんじょうびの/だれかのあたまに/
きらきらかんむり/のせるから/
1、2、3で/おめでとう♪

子供たちと一緒に目をつぶって、「1、2、3」で目を開けた時、先生がニコニコしながら冠を載せたのは・・・

私の頭だったのです。
子供たちが叫びます。「ちびくまのマミーだ!」

私はあまりのことに言葉が出ませんでした。

実は、この間、先生と一緒に子供たちの教材を作っていた時、私の指輪に目を留めた先生がきいてきたのです。
「新しい指輪なの?きれいね。それ、サファイア?」
「そう、誕生石なので、前からひとつ欲しかったの」
「あら、ママって、9月生まれだったんだ」

そう、私は9月生まれです。
でも、ちびくまが生まれてこのかた、誰にも誕生日など祝ってもらったことがありません。

ちびくまパパはちびくま生後4ヶ月の時から、2才になる直前までアメリカに単身赴任していて、不在でした。 本社からの突然の日本人送り込みに、アメリカ人スタッフの反発が激しかったらしく、ちびくまパパはずっと自分のことで手がいっぱいで、日本に残した私やちびくまのことなど、気にかける余裕もないようで、連絡すら途絶えがちでした。
私は私で、ちびくま0才の時には、アトピーがひどく、1才の時には、保健所主催の育児グループで、「しゃべらないのはお母さんのせい」と何度も責められ、一人ぼっちの子育てに、自分の誕生日など気にしている暇はありませんでした。

社命でアメリカに引越しして、一緒に暮らすようになると、パパは「君を信頼して子供をまかせていたのに、基本的な躾もできていない。しゃべらないのも、君が冷たい女だからだ」と言って怒りました。そこへ階下からの「子供が足をどんどんしたり、床や壁を叩いたりの音がうるさい。すぐにやめさせろ」という、連日の強硬な抗議が加わり、疲れきった私は、精神的にズタズタの状態でした。夫と顔を合わせれば夫婦喧嘩、一日中ちびくまの手足を叩いて叱り付け、ちびくまがやっと寝付いた深夜にウイスキーや睡眠導入剤を飲んで眠る、という毎日を送っていました。とても誕生日どころではありませんでした。

別のアパートの1階に引っ越して、騒音問題はことなきを得たものの、まったく喋らず、わけのわからない行動を取り続けるちびくまに障害があるらしい、と気がついたのが翌年の夏。この年の誕生日には、「うちの子に限って障害児であるはずがない」と言う夫を無視して、検査の準備を一人でしゃかりきになってやっているところでした。

そして今年。随分いろんなことがあったけれど、とりあえず、障害がきちんとわかったことで、ちびくまとパパとの関係は急速に回復していきました。パパがちびくまを認める。ちびくまがパパに甘える。可愛く思ったパパがちびくまと遊んでやる。今ではちびくまにとっては、まあ合格点のパパになっています。私もちびくまの一見無茶苦茶な行動の裏にあるものが理解できるようになったことで、随分理解あるお母さんになれたような気がします。自閉性障害の子を持つ親が、障害の中身を理解することの大切さを痛感します。
ちびくまとの関係が良くなったことで、破綻寸前まで行った私たち夫婦の関係も、なんとか首の皮一枚でつながりました。

素晴らしい先生にも出会えて、ちびくまも私もずっと進歩して、やっと一息。
夫は今年も私の誕生日など、きれいに忘れていましたが、私は自分にご褒美がやりたくなって、ちょっと奮発してサファイアの指輪を買いました。といっても、小さな、安物なんですが。
「よく頑張ったね。これからも頑張ろうね」
そう、自分に言ってやりたかった。
その指輪を、目ざとく見つけた先生との、そんな何気ない会話でした。
先生がそんなことを覚えているとさえ、私は思っていませんでした。

先生お手製の、シールを散りばめた、名前入りの冠をかぶった私は、他の子供たちと同じように、先生の用意してくれたろうそくを吹き消し、「宝物箱」から小さなカエルをもらいました。
「ハッピー・バースデイ、ちびくまのマミー!」
子供たちが怪しい発音で(言語障害があるので)、でも一生懸命叫んでくれます。
「サンキュー。ありがとう、みんな」
「でもね、ちびくまのマミーはとってもスペシャルな人だから、もうひとつ、プレゼントがあるのよ!」
そう言って、L先生が教具箱の陰から持ち出したのは、一抱えもある、大きな花束でした。

♪Happy birthday to you/ Happy birthday to you /
Happy birthday, dear Kyoko, Happy birthday to you ♪
助手のローラさんとカレンさんが、先生に合わせて歌ってくれます。
子供たちの声がそれに混じって・・・
涙を精いっぱいこらえる私に、先生たちはいたずらっぽく笑ってウインクしてきます。「びっくりした?ごめんね〜。(笑)」
この人たちは障害児教育の技術者なんかじゃない。普通の先生より、周りに振りまく愛を沢山持った、「スペシャルな」先生なんだ。
そんな人たちに、言葉も不自由な外国で出会えた、ちびくまと私は、なんて幸せ者なんでしょう。

その花束は今もリビングに飾ってあります。
夫はその花の出所を聞いて、「ダンナでも忘れとったのにな」ときまり悪そうでしたが、どうせ来年も忘れるにきまっています。(笑)
「アメリカ人の奥さんなら、もうとっくに離婚してるよな〜」全く、日本の男ってのは(笑)。

ちびくまと手を携えての道のりは、これからも辛いことがたくさんあるでしょう。でも、ちびくまの先生たちに、こんな風に今年の誕生日を祝ってもらったことを、いつまでも心の糧にして、頑張っていけそうな気がします。


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